小野カズマ氏についての話。

先日投稿した文章で名前の出てこなかった残り2人の役者の事について書こうと思う。その2人は小野カズマ氏と坂本和という名前で排気口は私を含めて7人いるという事になる。特に彼らは2人は最初っからいるので敬意を込めてそれぞれ別々に書こうと思う。まずは小野カズマ氏から。

 小野カズマ(以下、カズマさん)と私が初めて出会ったのは18歳の頃である。同じ大学に入学してカズマさんと私は大学の寮に住んでいた。自治寮という学生だけで運営される寮だ。廃墟になったマンションに勝手に学生が住んでいる。と想像してもらえるといいかもしれない。今では道端に落ちている吸殻をビニール袋に入れて集める事を日課としているカズマさんであるが、出会った当時は常にゴム手袋を付けているような病的な潔癖であった。その病的な潔癖さはとにかく人が触れたものにアルコール消毒しないと気が済まないという姿勢に現れて早々に多くのトラブルを起こしていた。なんでこの人は寮に入ったのだろう。と私は疑問に思った。

 特に理由もないまま頻繁に私の部屋に来るようになったカズマさんは毎夜毎晩、アルコール消毒液を片手に酒を飲んでいた。そして酔っ払うと必ず新潟県の悪口を言っていた。私や他の友人が「そんなに新潟は悪い所じゃないよ」と言うものなら癇癪を起こして机をひっくり返すのが常であった。潔癖で乱暴者。これが私のカズマさんへの印象だった。しかし幾分か落ち着いて話している内に彼は深夜ラジオが大好きでお笑いにも詳しい事が分かってきた。私は深夜ラジオやお笑いには余り詳しくないのでその話を聞いてる時は楽しかった。そうしてよくよく彼と話していると案外、悪い人ではない事も分かってきた。

 ある日、カズマさんが部屋にやって来てこう言った。「あんな、僕の宝物みる?」手にはなにやら袋を持っている。「みる」と私が言うとカズマさんは「あんな、みんなには秘密なんだ」と言って袋からボロボロのジャポニカ学習帳を机に置いた。ボロボロのジャポニカ学習帳の表紙には1年2組おのかずまと書かれていた。「あんな、ノート広げてみてよ」と言うので広げてみると、そこには色んなシールが貼ってあった。違うページにはポストカードや綺麗な折り紙が挟まっていた。「これなに?」と私が聞くとカズマさんは「これな、僕の手作りシール帳、僕の宝物」と照れながら答えた。「これな、ラメの入ったシールでな、こっちは触るとプニプニする猫のシールなんだ」と1つ1つ説明するカズマさんの顔はまるで子供の様であった。私はこの手作りシール帳をとても素敵だと思った。聞けばカズマさんは小学生の頃からお気に入りのシールやポストカード、折り紙を見つけてはシール帳にコレクションしていたのである。裏表紙にはお洒落なマスキングテープがカズマの形で貼られていた。

 カズマさんのシール帳を思い出すと喪失という感慨が私の胸に広がる。恐らく18歳の私たちは自分が考えている以上に何も知らなかったのだ。例えば何かを得る時に他方でもう2度と戻らない何かを失うという事とか。

 出会ってから初めての夏、カズマさんに誘われてある有名な廃墟に行った。その頃のカズマさんは廃墟に非常に熱心でいつもうわ言の様に「廃墟に住んでみたいな」と繰り返していた。その廃墟は本当にボロボロで素人が足を踏み込んでいい場所では無いような気がした。3階建ての元々はホテルだったというその廃墟の中でテンションの上がり切ったカズマさんは犬の様に走り回っていた。それから3階の部屋が一番凄いのだと言いズンズンと奥の階段へ進んでいった。確かに3階の部屋は凄かった。荒れ放題の廊下を抜けてドアの外れた部屋の窓からは、廃墟になった遊園地が見えたのだ。かつての楽しい夢の残滓が時の残酷さでより輝いてるように感じた。隣に立つカズマさんは「廃墟のホテルから廃墟の遊園地をみると不思議な気分になるね」と呟いた。暫くしてリュックサックを漁り始めたカズマさんは私にカメラを差し出し廃墟の遊園地をバックに自分を撮って欲しいと言った。私はカメラを構える。ファインダー越しにカズマさんが窓から身を乗り出すのが見えた。「うんちょ、うんちょ」と赤ちゃんみたいな擬音を発しながら、どうやらカズマさんは窓から身を乗り出してやや危険な構図で写真を撮って欲しいらしかった。納得いかないように何度も角度を変えては窓から身を乗り出すカズマさんだったが、段々と本当に危ないような気がしてきた。「カズマさん、それ以上乗り出すと落ちるから危ないよ」と私が言っても「うんちょ、うんちょ、よっこらしょ」と全く聞く耳を持たない。そして事件が起こった。カズマさんは身を乗り出すのに邪魔だと判断したのかリュックサックを降ろそうとした。しかしそのリュックサックは先ほど彼がカメラを取り出してから口が開けっ放しだったのだ。さらに運の悪いことに廃墟にテンション上がっていたカズマさんはあろう事か私にリュックサックを振り回して渡そうとしたのである。カズマさんがリュックサックを振り回した瞬間、中身が一斉に窓の外に飛び出ていった。その中にカズマさんの宝物のシール帳もあった。

 カズマさんは比喩でも何でもなくワンワンと泣いた。床には剥き出しのガラス片や釘が散らばっているのもかまわずしゃがみこんでワンワン泣いた。私が「下に行ってシール帳探したらきっと見つかるよ」と慰めたがカズマさんは「僕の宝物が飛んでった、大切なシール帳が飛んでった」とさらに泣き叫んでいよいよパニックになった。それからゆっくりと立ち上がったかと思うと、おもむろに窓から身を乗り出して「僕のシール帳返してえ」と言うが早いか窓から飛び降りたのだ。慌てて窓に駆け寄り見下ろすと、うずくまったカズマさんが小さく見えた。うずくまったままワンワン泣いていた。

 幸いな事にカズマさんは足を骨折するだけで済んだ。シール帳も見つかった。寄せ書きをしてもらうから硬いギブスにしてくれと騒いでいるカズマさんの声を聞きながら私はようやく安堵のため息を吐いた。やけに静かな病院の廊下であった。

 特に理由もないまま私の部屋に頻繁に来ていたカズマさんは特に理由もないまま私の部屋に来なくなった。それから私とカズマさんは疎遠になった。勿論、顔を合わせたらお互いに挨拶ぐらいするが、決定的にそれまでの様な親しみは失われた。私は酒に溺れ授業にも行かずに日中から酒を飲んだり、時々図書館に行っては本を読んだりして日々を無駄に過ごしていた。片やカズマさんはインカレサークルに入り忙しそうにしていた。そのインカレサークルはイベントを主催するサークルらしく、1回だけ渋谷のクラブで開催されるパーティーに誘われた事がある。しかしテキーラ何杯飲めるのか聞いてきたカズマさんにテキーラ飲んだことないと答えると、やや失望した顔で「広告代理店のOGも来るからお前はやっぱいいや」と言い足早に去って行った。髪を金髪にしてド派手なネルシャツを着て、同じように派手な友人たちと談笑しているカズマさんを見るにつけ、あの夏までの日々は夢だったのだろうと思えてきた。それはどんな夢だったのだろう。まるで忘れる為に生まれた夢みたいだ。

 それから長い時間が経った。私もようやく授業に行き始めた冬のあれは深夜だった。ノックの音で目が覚めた。起き上がって返事をするとドアが静かに開いた。外の冷気と一緒に入って来たのはカズマさんだった。何も言わずに近くの椅子にそっと腰を下ろして手をこすり合わせていた。「どうしたのさ、こんな時間に」「起きてるかと思って」「ノックの音で起きたよ」「そうか、それは悪い事をしたね」それから私たちは話す言葉を無くしてしまった。過ぎって行った長い時間が昔の様に私たちが話すことを許さないのだ。そんな風に私は思った。「燃やそうと思って」ふとカズマさんが呟いた。「何を?」私は聞いた。でも何となく答えはわかっていた。コートのポケットから袋を取り出して机に置いた。それは宝物のシール帳だった。

 適当に木の枝を拾って重ねただけなのに予想以上に激しく燃え盛った。廃材置き場で私たちは炎に照らされながらお互いの顔を見ないようにしていた。まるで新しい薪を追加するようにカズマさんは宝物のシール帳を簡単に放り投げた。あっという間にシール帳は黒くなって炎に飲み込まれていった。私たちはしばし佇み、それを眺めていた。夏は遠く過ぎ去り今は冬で、もうすぐ春がやって来る。もうシール帳は跡形もない。「とっても哀しいけど、不思議と涙が出てこないんだ」カズマさんは静かに言った。私はどう答えていいかわからず黙っていた。「そろそろ行こうか」とカズマさんが歩き出した。その後ろ姿を眺めながら私はカズマさんが得たものについて考えてみた。それは沢山思い浮かんだが、宝物のシール帳より素敵なものは無いように思えた。

 終わった話にこんな風に考えるのはフェアではないが、もしもあの時、どちらかがシール帳を燃やすのをやめようと言い出していたらどうなっていたのだろうか。しかし結局、何も変わらなかったのではないだろうか。私たちは何も知らなかったのだ。それから酷く子供だったのだ。失うものと得るものの天秤を想像する事もしないで、ただ楽しく夢を見ていたのだ。そしてそのような時間は私たちだけに用意された特別なものでもないのだ。
  
 前回の公演の合間にふと思い出してこの話をしたらカズマさんは「やめてくれよーん、やめてくれよーん」と叫んでそのまま劇場を飛び出してしまった。それから帰って来なくなった。しょうがないので双子の弟に代役を頼んだ。なので前回の公演から小野カズマとされる人物は実は双子の弟なのだ。本物のカズマさんは今なにをしているのかわからない。ただ元気でいれば良いなと思う。またシール帳を作っていたらそれはとても素敵な事だ。

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