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覚書①

昔から違和感があった。
誰のことも愛せない。

恋愛は確かに何度もした。
でも、最初の数カ月が過ぎるともう興味がなくなり、
嫌悪感すら湧いてくる。相手が誰でも。
申し訳ない気持ちから、演技を続けるのだけれど、
途中でもたなくなってたくさんの人を傷つけた。

このひとではない誰かならば。
そう思ってきた。ずっと。どこかにきっと、と。

仕事でLGBTの方やQIAの方と関わることが増え、
違和感が確信に変わった。
自分は、Asexualだと思う。おそらく。
定義づけしてしまうことは好きではないから、絶対に、とは言い切れないけど。

愛という名のもとの束縛が嫌い。
触れられることが嫌い。
「俺のもの」なんて言われると逃げたくなる。
愛情確認されると壊したくなる。
そもそも、愛という意味がわからない。
好きとどう違うのか。
なぜ性的な関係をもたなければいけないのか。

「世間」が求めることを自分もなぞってきたけど、
ぞわぞわする違和感をずっと抱えてきた。
身体的性別と性自認は一致している。
同性愛者ではない。
異性愛者かと問われるとそこでつまる。

男性の男性的といわれる骨や体つきや声や大きさや無骨さが嫌い。
上から押し付けてくるようなものの言い方が嫌い。
女性の女性的といわれるしなやかさや柔らかさや陰湿さが嫌い。
下からすくいあげてみるような目つきが嫌い。

友人関係でいるのはどんな人でもまったく問題ない。
それはそのひとをその人として好きか嫌いか、だけだから。
そこに性的な要素が少しでも見えてくると吐き気を感じる。
相手から自分が性的な対象だと思われているということに気づくと
逃げたくなる。離れたくなる。
でも世間は、「そんなに思われるのは良いことだ」という価値観を押し付けてくる。

結婚もした。
自分が自分でいられなくなって離婚もした。
その時、誰一人、理解してくれなかった。
否、自分でも自分のことを理解していなかった。
たくさん、大切なひとたちを傷つけた。
自分が切り刻まれるような思いをしたことは問題ない。自業自得。
でも、傷つけてはいけないひとたちを傷つけた。

自分でも今のこの気持ちはうまく表現できないし、
深く理解できてもいないと思う。
人間なんて変わるものだし正解なんてものはないし。
ただ、年齢を重ねてきてよかったのは、
男性からのアプローチが減ったことだ。
そしてバリアの張り方を自分でも覚えたことだ。
性愛的な意味で、もう誰ともかかわりたくない。
愛してるとか、好きだよとか、言われたくない。聞きたくない。
考えただけでぞっとする。

友達にちらっと話してみたけど、なんのことだ?という反応だったので
これはリアルの世界では封印しなければ。
でも自分の考えをまとめるためにもここに少しづつ残しておこう。
世界は広いから、「そうだよね」と言ってくれるひとがいるかもしれない。
どこかに。

ずっと自分の片翼を探してきたけれど、
わたしにはそもそも両翼あったんだ、と
思えただけでも良かったかもしれない。


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