holy新

ホーリー、あるいはホーリー

あのとき彼女が放ったジョークは、本当の本当に歴史的傑作だったと思う。
まったく思い出せないけど。
おそらく人類の古びた脳に定着させるには、あまりに新しい発想だったのだ。
といっても、基本的にはholyholeyをひっかけたダジャレに過ぎなかったはず。

2秒で言い切れる短いセンテンスの中で、意味と無意味、知性と反知性がスリリングな衝突を繰り返し、明確に政治批評を含んでいて、しかし政治批評を含んだジョークというものを完全に否定してもいて、「うちのワイフが言うにはね」式の古典的な口調で語られているのにも関わらず、下地には残虐な幼児性みたいなものが練り込んであり、それを豆板醤とあんずのジャムで煮たとしか思えないような、うっとりするほど濃密な混沌、ビル・エヴァンス的詩情、でも結局は味がうすくて塩を足すときの憂鬱……そういったものが、ゾウに襲いかかるアリの大群みたいに、僕たちの心と体を静かに蝕んでいったのです……。
って、途中からなに言ってるのか完全に見失っちゃったけど、とにかく最高に先鋭的で破壊力のあるジョークだった(ちなみに下ネタだった)。
なにしろ僕たちは40分間もげらげら笑い転げてしまったのだ。
内容はまったく思い出せないけど。
笑い過ぎたんだと思う。
あのとき誰かが僕たちふたりの頭を正確に狙撃してくれたら、もっと最高だったのに。最高のエンディングだったのに。

まあ、それはもう、どうでもいい。

ここで重要なのは、彼女自身がじっさいにholey、つまり穴だらけだということだ。そして「穴だらけ」ってのは、やっぱり問題のあるところにしか使われない言葉なのだ。
前置きが長くなったけど、彼女の体にはところどころ穴が空いている。本来はこの文章が冒頭に来るはずだった。

彼女の体にはところどころ穴が空いている。

どうです?
がちがちに頭の固い高校の文芸部部長、その入魂の書き出し。みたいだと思いませんか?
ああいう血とルサンチマンにまみれた、稚拙かつ高潔な文章で本当は口火を切りたかった。

そうしなかったのは、僕がすでに高校生ではなく、しかも文芸部の文章ってのを実際には読んだことがないからだ。
しかし、四六時中妄想にふけっているような文芸部の連中をも上回る自意識と奥ゆかしさは、僕の中にも熱く煮えたぎっている(自意識と奥ゆかしさって、じつはほとんど同じ意味かもしれないけど)(その両者のブレンド具合は絶妙で、神がかってすらいる・僕の中で)(冒頭にこそふさわしい文章を中途半端な位置に置いてしまったのは、それが原因だ)(こんな気取った、読みづらい、何かにかぶれたような文章を、恥ずかしげもなく僕がさらしている理由もそれだろう)。


さて。
彼女の体にはところどころ穴が空いている。
「自分で数えたら13個だったけど、お姉ちゃんに数えてもらったら17個だった」
と彼女は棒読みに言う。
彼女はいつも、僕の目には見えない字幕を読むように喋る。

彼女の体に空いた17個の穴はすべて正面から背中に向けて貫通していて、のぞき込むと向こう側の景色がはっきり見える。ピストルで撃たれても穴が空くだけで死なないような、大昔のアニメみたいだ。
「実際にピストルで空いた穴はこれ」
彼女はおへその近くの穴を指さす。穴から今日の空が見える。
良い天気だ。

「穴がぽこぽこ空いてることで、私はやっぱり軽く差別されたりすることもあるんだよ。こないだもゴルフ場に入れてもらえなかったし」
「タイガー・ウッズも同じこと言ってたね。90年代に。プレーさせてもらえないゴルフ場があるって」
「タイガーが受けた差別とはまったく別種のものだけどね、私のは。だって私の場合、ゴルフ場の言い分もわかるもの。ゴルフ場に余計な穴があるのって、やっぱり問題じゃない?」
「そうかな」
「そうだよ。18ホールも回らなきゃいけないのに、私は常に17ホールを所持した状態なんだよ。そんな女がうろうろするのって良くないと思う。あ、ピアスホール入れたら19個だ」
「15番ホール、パー3、19ホール所持の女が、8番アイアンでダブルボギー」
「ほら。ややこしい」
僕も彼女もゴルフなんてぜんぜんやらないし、ルールもうろ覚えだから、これは僕たち特有の上滑りの会話なんだけど。

ピストルで空いた穴はイレギュラーなもので、たいていの穴については、
「言うのも恥ずかしいけど、心の傷が体に表れたものなのよ。ああ恥ずかしい。馬鹿みたい」
と彼女は顔を両手で覆う。手のひらの下でくすくす笑っている。

最初に穴が開いたのは両親が離婚した6歳のとき。場所は左肩だった。
病院をたらい回しにされたあげく、さまざまな医者の膨大な言葉を総合すると「なんとも不思議な現象ですね」ということにしかならなかった。テレビにも出たりした。そのストレスで右太ももに穴が空いた。

14歳で学校の教師に真剣に恋をしたときには、喉に穴が空いてしばらく呼吸が苦しかった。
バレリーナの夢をあきらめたとき。おばあちゃんが死んだとき。犬が死んだとき。ピストルで撃たれたとき。
穴は着実に増えていった。
どの穴も大きさは同じ。
「悲しみの大きさって、じつはどれも同じなのかも。それぞれの意味が違うだけで。どんな大きな悲しみも人は乗り越えられるし、どんな小さな悲しみも人は乗り越えられない。そのことを表現しているのね、神さまが私の体を使って」彼女は無表情に、無感動に言う。「そんな童話でも書いてみようかしら」

彼女のベッドのシーツは星空の模様。
僕がプレゼントしたものだ。
その上に裸の彼女を寝かせると、穴の向こうに宇宙が見えて、何とも神秘的な気分になる。
「私の穴からいろいろな景色を楽しむの、やめてくれるかな」
「でも、きみの胸の谷間の穴からのぞくテイラースウィフトのウインクは最高だった」
「最低かよ」
「そして、きみの右肩の穴からのぞくスフィンクスの右ウイングはとても官能的だった」
「無理してわけのわからないこと言わないで」
「僕もわけがわからなくなりたいんだよ。きみみたいに」
「私はふつうの女よ。穴が空いてるからって、特別な生き方をする必要はない」
「それはわかってるけど」
「それにね、私に空いた穴って二度とふさがらないし、結局のところ私は穴だらけになって死ぬんだよ」
「死なないよ。現に今、こんなに穴だらけなのに死んでないんだから」
「でも、すべてが穴になったら私は消えちゃうんじゃない? 穴って単体では存在できないよね? ケーキに、ケーキより大きな穴が空いた場合、私たちはそのケーキをどのようにして食べるのかしら?」
「哲学の領域に入ってきたな」
「まあでも、死ぬって結局はそういうことだと思う。人って穴だらけになって死ぬんだよ。誰だって。穴が見えないだけで。だって、成熟したものには必ず穴が空いてるよね? チーズとか、ボウリングの球とか、選挙制度とか」
「どれも貫通してないよ」
「貫通しようがしまいが穴は穴。我々は穴を差別したりしない」
「我々?」
「私と、私の穴たち」
「そんな連帯意識があるんだ、きみたちって」
「安心して。我々、つまり私と、私の所持するすべての穴は、あなたのことを心から愛しています」
「ありがとう」
「私にもともと空いていた穴たちも含めてね」
「もともと空いていた穴?」
「耳とか」
「ああ」
「鼻とか口とか」
「ぜんぶ言わなくて良いよ」
「おしりの」

その直後に彼女が口にしたのが、冒頭の(理想の冒頭ではなく、実際に使用された冒頭の)ジョークだ。
内容は覚えていない。笑いすぎたから。僕たちはベッドのうえで40分間も笑い転げたのだ。笑い終わる頃には、僕たちが裸になる際には必ずかけるようにしている幻想的な電子音楽もすっかり枯れ果てていた。

僕は40分間も彼女の笑顔を見続けていたわけだけど、バリエーションが豊富で、1秒ごとにアップデートされていくような魅力的な笑顔だったから、それは奇跡のような体験だと言えた。
「笑顔は少しも欠けないんだよ。どんなに悲しいことがあってもね」といって彼女はにっこり笑う。「そんなセリフで終わる80分くらいの映画を撮りたいな。予算60万くらいで」
「おもしろくなさそう」
「絶対におもしろくない。でも、ところどころはホーリーなんだよ」
「どっちのホーリー?」
「どっちものホーリー!」彼女は僕をじっと見る。「我々はホーリーを区別しない。差別もしない」
そう言って彼女は、人差し指で僕の胸の真ん中を突いた。
そこに穴が空けば良いのに。と僕は思う。
穴が空いた自分、ってのを想像してみる。
当たり前だけど、彼女の裸を見るときの気持ちと少し似ている。
僕の中でぐつぐつ煮えたぎる自意識と奥ゆかしさ。とても厳かな気分だ。教会で祈りでも捧げているような。神聖な。
そう、神聖なんだよ。
彼女と、彼女の穴たちっていうのは、僕にはとても神聖なものなのだ。
変な意味じゃなくてね。
いや、変な意味もちょっとはあるけど。




#小説

※数年前にnoteに書いた同名の小説を、少しだけ修正したものです。以前のバージョンと、内容にほとんど差はないです。