知ってる誰かがnoteを更新すると、釣られるように書きたくなる誘い水。

今年の1月8日に、この廃工場に移り住んでから4カ月が経つ。

去年の上京前に地元で暮らしていたとき———このアングラの社交場みたいな訳の分からない所に住むと決める前に———僕が心の内で型作っていた東京の生活の点描とは大きく異なる。

ここ、東京の東にある、自動車の整備工場と何トンもある象すら轢き殺せそうな建設用重機が出入りする車両リース会社がお隣の、平成にすら忘れ去られたままの軍需工場地帯の町工場群みたいなところで日常を過ごすのではなく、そこそこ清潔な銭湯と、広くて蔵書数が多い図書館があって、澄んだ青い空の下にある西東京のどこかの街を探し出して、そこでひっそり暮らすつもりだった。

部屋はボロでもいいけれど、ここに巣食った忌々しい鼠の一族どもではなく、愛猫を実家から連れてきて共に暮らしたかったし、方々から紹介される変わった仕事を掛け持ち転々として、東京全域と近隣の県を飛び回るのではなく、駅近くの本屋か何かでバイトをし、創作学校に通い、固定シフトの規則性が生み出すリズムを守りつつ、ひたすらに自分のBPMをキープして、本を読んで書くだけの生活をしたかった。

写真の絵はこの荒川下流西岸の地域を描いたものではない。僕の故郷である宇部の工場地帯だ。鉄工所に勤めていた時、上京した後もこの風景を忘れまいと思って走り描きたものだ。そこでは、海や河口沿いに居並ぶようにぶっ建っている煙突が、どこからでもよく見えた。そいつらは、スカイツリーよりもずっと遠くからでも見えていた。かの地のランドタワー達は、24時間休むことなくぼうぼうと煙を吐き出し続けていて、その靄が街全体を取り囲み、南方にある海の先には大分や愛媛が見え海を走れば異邦の港があることや、この地がどこかへ繋がっていること、つまり、外の世界への絆を、もの知らぬあどけない子供たちの曇りなき目から隠し通そうとでもしているようだった。

やっとこうして、心理的な意味も含めて、そこから逃れ出たはずなのに、結局今もこうして、目新しさも安らぎも感じられないこの場所で、日々寝起きしてこの文章を書いている。

しかしここに住む同居人たちは皆、時に呆れてしまうほど純粋であり、赤心を持ち、一種の幼稚さを保っているとも言える。小説家の丸山健二は著書『群居せず』収録のエッセイ「作家になって驚いたこと」で、「幼稚さと純粋さは違うのではないか」と言っている。僕はその着眼点を慧眼だと思うが、その推論は少し間違っていると思う。どこからか湧きおこってくる社会的、生理的な様々なの欲求を叶えるべく正直に素早く行動し、素直なままに表現する同居人たちを見ていると、間違いなくその二つは彼らの中に同居し、混ざりあっている。僕のように他人の顔色を窺いすぎるくせに、愚痴の多い性質の心ばかり早々と老いてしまった人間では身動きの取れない場所でも、彼らは自由に笑って走り回る。

彼らと一緒に過ごし、時に彼らの持つそれぞれのテンポに影響されるという環境は、僕が書きたいのに書くことを深層から恐れている気持ちを溶かし、今もなお自閉したいと泣き叫ぶ鉄の門や、思うように行動しなかった他者を忌々しく邪魔に思う浅ましい剣で身を守る必要性などないのだと、感じさせてくれるのかもしれない。だから僕は未だにこうしてここに居る。





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