「癌」になって、考えたこと、感じたこと(2)

<3カ月遅れの取材記事掲載>

 このシリーズの序説とも言うべき初回に、あるメディアの取材を受けたけれども、その記事が公開されていないという話を書いた。その取材からは3カ月が経過したのだが、記事の公開が始まることになった(全5回の予定だ)。
 記事の公開が遅れた理由は、ほぼ私の推測通りだった。取材した記者の奥様が、癌に罹っていて症状が深刻であり、看病・介護・看取りなどで記者さんが忙しかったのだ。プロの仕事として「連絡無し」は感心しないが、許すことにした(許さない場合、私は記事をボツにしただろう。大いにあり得る話だった)。亡くなった奥様のご冥福をお祈りする。
 記事は、主に、私の癌を巡る経過のエピソードを紹介するもののようなので、noteには、私があれこれ考えたことを書くことにしよう。今回は、情報の取捨と治療法の選択がテーマだ。

<情報を、拾うか、捨てるか>

 2022年8月に主治医の診断宣告(食道癌、ステージⅢ)を受けて、少し気持ちがしゃっきりした。癌に罹ったこと、病状がこの段階まで進んでいることについて思い悩むのは無益だ(「サンクコスト」だから)。これから変えられることに気持ちを集中しようと思った。
 この時に、半ば反射的に思ったのは、自分が接する癌に関する情報を適切に制限しなければまずいだろうということだった。
 世の中には、癌に関する情報が溢れかえっている。加えて、人は親切なので今後多くの情報がもたらされる公算が大きい。
 一方、情報はそれを正しく解釈して使えなければ意味が無い。ところが、正しい情報解釈のためには、情報を理解し判断する能力、正否を判断するための材料となる追加情報、理解・判断に費やす時間、決定後に後悔する可能性などの精神的負荷、など、多くのリソースが必要だ。「接する情報を制限しないと、身が持たないよ」と自分の直観が語りかけて来た。
 情報については、多く集める事よりも、余計なものを捨てることがより重要だろうと思えた。
 例えば、たまたま癌が治ったという本人や周囲の体験談は、癌患者にとって魅力的だが、その体験には個別性・特殊性が大いにあって、判断のためのデータとしては、統計風に言うとサンプルが小さすぎて参考にならない(しばしばN=1だ)。しかし、個々のエピソードには大いに心を動かされるだろうから、体験記の書籍、体験談を元にしたアドバイスなどは「危険な情報」だ。
 一方、どのような治療法が有効なのかについて知りたいことに加えて、自分の今後がどのような確率と期待の下にどうなりそうなのかということの判断材料は是非欲しい。そのためには、信頼できるデータを背景とした情報が判断材料として必要だ。

<利害関係のない、好意的な、医療専門家>

 私は、癌に限らず、病気に関する知識が豊富だとは言えない。例えば、経済やビジネスの話なら、本屋に行ってみたり、Amazonで何冊か書籍を取り寄せてみたりして、自分で一から情報収集する手があるかも知れないが、「癌」は無理だ。しかも、時間が限られている。
 手始めに、医者、学者、医療ビジネス関係者で数人、知識が信用できるバックグラウンドがあり、私と直接の利害関係が無く、私に対して好意的な人物を選んで、アドバイスを求めることにした。
 情報ソースとして、最初に勧められたのは、国立がんセンターのホームページだった。各種の癌について要領よく説明してあって、概要を把握するには具合がいい。癌が見つかった読者、癌が心配な読者は、先ずここを訪ねるといいだろう。
 次に勧められたのが、「診療ガイドライン」だ。癌の種類別に、症状、治療法、予後などについて情報をまとめて、参照すべき論文などがまとまられた冊子が、それぞれの学会によって作られている。
 食道癌は、2022年が改定の年に当たっていた。医療に詳しい知り合いが、「食道がん診療ガイドライン」の検討用のドラフトがネットでダウンロード可能であることを教えてくれたので、このドラフトを大いに参考にした。
 食道癌の治療方法は、過去10数年の間に進歩していて、手術が可能なステージⅢの場合、抗がん剤3剤(5FU、シスプラチン、ドセタキセル)の投与を2クール行って、手術ないし放射線で根治を目指す方法が標準的な治療になり、かつてよりも数%から10%くらい5年生存率が改善しているようだった。
 かつては、早く手術をして病巣を取って、その後に抗癌剤を使って転移を防ぐような手順と考え方だったらしいが、手術前の体力がある状態で抗癌剤を十分使って癌の縮小を期すると共に、将来の転移の可能性を叩くというような考え方に変化したらしい。さらに、この方法にあって、2剤を使っていたものを3剤にしたら効果がさらに改善したようだ。
 5年生存率のグラフ(横軸に治療からの経過年数、縦軸に生存者の割合)を見て、自分の場合の5年生存率を「50%弱」くらいだろうと見当を付けた。
 ごくレアだが、手術の失敗によって短命になる事がある。逆に、手術が成功して順調であれば、その時には「50%〜60%くらい」と見込んでもいいのではないかなどとも考えたが、それ以上に楽観的な材料は見つけられなかった。
 2022年の9月には、食道学会があり、その場で「食道がん診療ガイドライン」と「食道がん取り扱い規約」の最新版が発売されるとのことだったので、知り合いに調達して貰った。また、学会の様子はオンラインで視聴可能だったので、視聴できるように手配して貰ってパソコンで見た。私の手術の執刀を予定している医師の発表があったので、見たかったのだ。専門的な話は分からなかったが、医師の人柄などが「少し」だが分かったような気がした。当たりはソフトだが、話に無駄のない、頭の良さそうな先生だと思って、満足した。
 ガイドラインを読み込んだことは、標準的な治療メニューを知り、その大凡の結果について見当を付ける上で役に立ったし、医師と話をする上でも便利だった。また、学会の動画を見ておいたことも、医師とコミュニケーションを取る上では悪くなかったようだ。大学病院の医師は、医者であると同時に、大学の教師であり学者でもある。こうした専門家に対して敬意を以て接する姿勢を見せられたし、そのことによって詳しい話を聞きやすくなったと思う。

<治療方針の決定>

 ガイドラインに書かれている治療は、学会で認められるようなサンプル数のデータを伴った治療方法で、いわゆる標準治療の最新版だ。概ね健康保険を使って治療が出来るということでもある。
 日本の「標準治療」がベストなものなのかについて、私は判断材料を持っていない。例えば、海外の治療方法まで調べるともっと有望なものがあるかも知れないし、国内にも健康保険で認められていないだけで実は有効だったり、学会で認められていないけれども良い実績のある治療方法があるのかも知れない。
 標準治療よりも良い治療方法がある可能性について、私は否定しない(できない)。だが、今回の自分のケースでは、自分の情報の理解力や判断のための持ち時間などを考えた時に、「標準的な治療でベストだと思えるものでいい」と割り切ることにした。
 ただ、後に得られた知識から少しだけ補足すると、癌の種類がレアで症例の少ないものだと、十分なエビデンスが無くて健康保険で使える抗癌剤の種類が少ないなど、データや制度が制約になる可能性が若干ある。本稿の冒頭に記した、記者の奥様は日本では数の少ない種類の癌で使える薬が少なかったと聞いた。
 筆者の食道癌は、そこそこの症例のある癌だが、それでも胃癌や直腸癌ほどの数はない。治療結果に決定的に関わるような薬ではなかったが、食欲不振等の症状に陥った時にネットで情報を調べて使ってみたい薬があったのだが、「その薬は、食道癌ではまだ(健康)保険で認められていないので使えません」と言われたケースがあった。
 仮に、読者が罹った癌がレアなものであった場合には、海外の癌治療に詳しい専門医などを探して、可能な治療の可能性を早く見つけることが望ましい場合があるかも知れないことを付記しておく。
 さて、筆者の食道癌だが、治療方針の選択肢は、抗癌剤3剤の投与を2クール(1クール10日から2週間くらいの入院になり、間が2週間)行って、その後で、手術ないし放射線で根治を目指す治療を行う事になる。
 両治療の5年生存率は、手術の方が放射線よりも数パーセントいいくらいのデータであったが、自分の癌にどちらが合っているのか、また治療後の状態なども含めてどうなりそうなのかが判断材料になる。
 筆者が一つ気にした材料は、治療後の「声」の問題だった。声帯を司るのは反回神経と呼ばれる神経だが、食道癌の手術ではリンパ節を郭清する際にこの神経に障る可能性がある。自分の仕事を考えると、原稿を書く以外に、講演などで話す仕事や、コンサルティングの仕事で「話す」ことが必要なものが相当の割合で存在する。概算してみると、書く方が時間は長いが、生みだしている経済価値は話す仕事の方がやや大きい、というくらいのバランスであることが分かった。
 主治医に聞いてみると、上手く手術すれば大丈夫だとの答えだった。だが、信用しない訳ではないが、外科のお医者さんなので、「切る(=手術する)」ことを好むバイアスを持っている可能性がある。
 幸い、相談していたメンバーの中に、癌の放射線治療が専門の大学病院の医師がいた。CTの画像なども見て貰った上で得た彼の意見によると、「手術で取りきれるなら、手術する方が根治の確率は大きいのではないか。手術に賛成する」とのことだった。
 「知り合いの医師に意見を求めたいので、私のデータを送って下さい」と主治医に頼んだら、簡単にOKしてくれて、紹介状のような形式でデータを送ってくれた。
 うろ覚えだが、かつて、米国では癌治療のセカンド・オピニオンは、先ず放射線の医者に求めると聞いたことがあった。筆者の知り合いは、癌の放射線治療を長くやってきた医師で、数年前に筆者の同僚が肺癌に罹った時に腕のいい放射線科医を紹介してくれたことがあった(同僚は治療後5年が経過して現在大いに元気だ)。放射線の専門医で相談できる相手がいたことはラッキーだったかも知れない。
 最終的に手術にしようと心に決めて、主治医との話に臨んだ。物静かで頭の良さそうな主治医が、珍しく言葉に力を込めて「一緒に、頑張りましょう」と言った。やや意外感を覚えたが、ありがたいと思った。こうして、治療の方針が決まった。

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