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炭鉱のカナリア

炭鉱のカナリア、なのかもしれない。

最近のあらゆる事象が歪みの極致点で凹凸を作り出し、その頂に立たされた対象が血祭りにあげられ、最深部に陥いると悲劇的な結末を向かえる、といったことが頻繁に起こってきている。

事象は一見無秩序に点々と発生しているけども、それをひとつずつ地図上に並べてみると、膝をたたいてしまう意味のありげな姿が浮かび上がる、そんなイメージ。

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ここ数年の活動を通じて、日本に唯一残されたソフト面の資源は、アニメ・漫画・ゲームなどのオタクコンテンツだと本気で思う。

世界中に熱狂的なファンを生み出しているこのコンテンツを、もっとより多くの人に届けることができれば、もうすこし明るい希望を見せられるのではないか。観光立国というハード面ももちろん有効活用して、日本という衰えつつある国の未来を明い方向に転じられたら。

ただ、思ったよりあまり時間がないのかもしれない。

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いままでアンタッチャブルだった芸能人やタレント、そして社長や大企業。世の中の偉いとされていた人や団体が、個の集団によってバタバタと倒される時代になった。ひとりひとりの力は小さな蟻なのに、それが何万、何十万と寄ってたかって群がると、巨象もたまらず倒れこむ。

その個を動かしている力が、正のエネルギーに溢れるとき、世の中は希望に満ち、人は優しくなれ、健やかに経済活動に勤しむことになる。だが、ひとたび負のエネルギーに溢れてしまうと……。

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僕が小学生の頃は、デジタルやバーチャルというものは、当時の大人には新しすぎて軽んじられてきた時代だったと思う。子供は元気に外で遊び、スポーツをするのが普通。そうえいば猛暑といっても今みたいに平気で40度近くまで気温が上がることもなく、思いっきり公園でサッカーをしては図書館の冷たい自動水飲み機にたむろしていた記憶がある。インターネットが普及し出す前、高校生の頃も、まだデジタルはオタクのもので、ニフティサーブというパソコン通信で有料月額サービスに入会してコソコソと活動していた記憶がある。インターネット技術でこのフォーラムもいずれ無料になると騒がれた頃。当時主流だったICQというメッセンジャーで「カッコー」の鳴き声がリフレインする。

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インターネットによって、とてもとてもなめらかになってしまった「情報」が、洪水のように器からこぼれ落ちてしまっていて、これまでなら存在すらあいまいで飲みたくても飲めなかった不幸の蜜を、誰もが常時味わえるようになってしまった。スマホと同じく、人間の器官の一部に蜜を吸い上げる機能がついてしまったようだ。

一度でもその蜜をエネルギーとして使ってしまうと、負のエネルギーに支配され、個人が「自分なりの正義」をふりかざしているつもりが、それを信じる者同士がインターネットによって繋がり合わさり寄りそい攻撃を始める。攻撃の対象を見つけだし、イナゴの大群のようによってたかって田畑を蹂躙して、後には何も(本当に何も)爪痕さえ残らないすっからかんの土地だけが残るのだ。

あの当時、人々がインターネットに見たユートピアはどこにいってしまったのか。個の力が高まり、権力に対抗できる力が獲得できると信じられていたあの甘酸っぱい未来像。たしかに獲得したはずだが、それは別の形で実現してしまったらしい。もしかしたら、攻撃対象さえも権力に情報を操作され、本当に立ち向かわなければならない対象から目をくらまされているのかもしれない。

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個人のストレスが平成の30年の間、毎年一次関数の綺麗な右肩あがりの直線で伸び上がってきた。そしてそろそろその臨界点、しきい値が個が重なると暴力的な振る舞いでしか、「消化」できないようになってきてしまっている。本来、そのストレスを「消化」させてもらっていた、エンタメの作り手たちにも、牙をむく時代。

政治が悪い、政治に関心のない若者が悪い、少子高齢化が悪い、社会構造が悪い、民主主義が悪い。エンドレスに責任をなすりつけてこの国は年老いてしまう未来が、言葉にはできない悲鳴としていまあらゆる事象が起こってるのだとしたら。それが炭鉱のカナリアとして認識できないだろうか。

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったと罪をなすりつけられたマリーアントワネットへ向けられた憎悪と、日本という国全体が抱えるストレスの正体が重なる。最近見えてきた事象をなぞると浮かび上がる、これは目に見えず顔のない現代の『一揆』なのだ。

それに抗うことはできるのか。解決できるのか。

それはまったくもってわからないが、僕ができることは日本の素晴らしいコンテンツを海外に流通させ、広め、買ってもらうことくらい。自分の持ち場で粛々と行動し続けるのみである。

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僕の大好きなコンテンツは、この先ももっとダイナミックに世界に通用するポテンシャルを秘めている。この先もっと人々がヒマになり、そのヒマというペインを解決する効果的なエンタメコンテンツを世界に流通させられたら。

その活動は紆余曲折ありながらも徐々に認められだして、ここからようやく僕たちの世代が得意とするデジタルなテクノロジーとの融合によって、よりなめらかな世界を作り出せるアイデアを試す出番が来たように感じる。

実行あるのみ、いまの日本を憂うだけでなく行動をしていくことしかない。コンテンツを流通させるためのトンネルをより大きく広げるプロジェクト、この夏始めます。

“賊軍”の彼らを“官軍”にしたい――世界中のファンがアニメ記事を翻訳する「Tokyo Honyaku Quest」の意義https://animeanime.jp/article/2019/07/25/47151.html

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