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西から黄色に染まる街①

 こ-きょう 【故郷】‥キヤウ
生まれ育った土地。ふるさと。郷里。平家物語(2)「二度に―に帰りて、妻子を相見むこともありがたし」。「―を懐かしむ」
▼~へ錦を飾る
▼故郷を忘じ難し
広辞苑 第六版 岩波書店

1. 駄菓子と妖怪

 妖怪。
 そう聞いて何を思い浮かべるであろうか。
 科学では説明できないもの、幽霊、ガセ、勘違い、ゲゲゲの鬼太郎。人によっていろいろあるだろう。そしてそれは大概が怖いものか不思議なものとして説明される。科学が進んだ昨今であっても、時にこの妖怪というものは世間をざわつかせることがある。
 今でも覚えているが、九十年代、まだ僕は物心ついて間もない頃であったが、テレビで口裂け女の話であったり、首なしライダーの目撃情報であったりを再現していた。そしてこういう類の番組は沢山あった。ゴールデンタイムにそういった番組を放送するものだからどうしても目についてしまう。幼かった僕は恐怖をそれらの番組に植え付けられ、トイレに行けなくなるわ、眠れなくなるわ、酷いときには泣きじゃくるわで両親を困らせていた。
「もう二度と見るもんか」
毎度僕はそう決意する。でもどうしても見てしまう。なぜだろう。いつしか僕は、
「本当におばけっているのかもしれない」
と思うようになっていた。なぜなら、そう思わせるくらいには連日おばけの話がテレビでなされていたからだ。絶対におばけはいる。

  けれども、成長していくとともにおばけの存在を疑わずにはいられなくなっていった。友達との会話が増えたからであろうか。男の子同士だとどうしても「怖がり」よりも「怖いもの知らず」の方が格好いいという話になる。だから皆こぞって「おばけなんていない」と言い張る。本当にいたら怖いに違いないが、誰も見たことがないのだ。そして「いない」と決めつけ、「だから何も怖がることなんてないんだ」と主張する。こうすることで「怖いもの知らず」であることを掲げることが出来、さらに周りの「おばけがいる」と主張する人間を黙らせることが出来るのだ。
 僕もこの考え方に迎合した。幼い脳を以てしてもこの考え方は非常に理に適っていると思えたのである。それに僕は怖いものが嫌いであった。でも不思議な好奇心のせいで見たいと思ってしまう。この欲求を満たすためにはいかにおばけが怖くないものであるかを自分なりの解釈で説明できなくてはならなかった。だからこの、経験主義的思考法を僕は採用することとしたのである。そのときから僕の頭の中からおばけは存在しなくなった。おばけの目撃情報の類は全てフィクションと化したのである。
 それに時代の流れもあった。九十年代の末から二千年代前半を小学生として過ごしたが、年が経ていくごとにテレビでおばけを取り扱ったコーナーや番組がどんどんなくなっていった。毎週のようにやっていた心霊写真の紹介コーナーもなくなったし、おばけの目撃情報も一切流れなくなった。
「おばけはやっぱりいないんだろう」
小さな僕でもそれは容易に導き出せた。少しはいてほしい気もした。でもおばけの話を耳にしなくなり、とうとう僕はおばけの話を一つの娯楽としてとらえる様になってしまった。遊園地と同じである。皆、遊園地が人工的な空間だとは知っている。だが皆そこに夢や娯楽を求めてやってくる。中にいるキャラクターの着ぐるみ。その着ぐるみの中では労働者が必死に仕事をしていることを皆知っている。けれども皆そんな野暮なことは一切口にしない。おばけ話を聞くとき、「おばけがいない」ということは知っているが、「もしいたら」と思って耳を傾けるのである。そして感情を揺さぶる―怖いと思って楽しむのである。
 こんな小学生を見て「冷めた子供だ」と思うかもしれない。しかし、これは致し方ないことなのだ。僕たちは科学の信奉者として育て上げられていた。算数、理科、社会、国語。これらの科目は全て科学的に説明される。それを毎週5日、朝から夕方まで教わる。目に見えていること、世の中で起きていること、そういったものを理解させられるのだ。そしてそれが全て正しいものとして扱われる。そうなるとどうしても「おばけ」なんていう目に見えるのか見えないのか分からないものは胡散臭いものになってしまうのだ。だから、こんな冷めた子供になってしまっても仕方がないのである。

  しかし、そうは思うもののやっぱりおばけっているんじゃないかと思わせられる出来事が起きた。あれは確か四年生の時だったと思う。
 当時、高学年になったことでクラスメイトの多くがおこずかいを親からもらっていた。放課後、皆で遊ぶときそのおこずかいを握りしめて駄菓子屋に行き、各々の好みのお菓子を買って、公園でわいわいしながら食べるというのがブームになっていた。僕もそうであった。皆で駄菓子屋に入り、お互い何を買うのか窺いながら自分の購入するお菓子を決める。相談することもある。時には被ってしまいケンカの一歩手前になるようなこともあったが、往々にして楽しい時間であった。
 ただ、その後が問題であった。どこの公園に行くか、これが中々決まらないのである。狭い公園は僕たちで占領できるが、駄菓子を食べた後にできる遊びが少ない。広い公園となるともうすでに誰かがいる可能性がある。それだけならまだいいが、地元の非常に評判の悪い中学校の生徒がいると危険だ。上級生の何人かがカツアゲされた話をよく大人から聞かされていたので、知り合いでもない限り絶対に近づいてはいけないのである。だからいつも僕たちは流浪の民のように自転車で寂れた片田舎の街をさまよい、結局小さい公園に落ち着くという日々を過ごしていた。どうすればこの問題を解決できるか。これがクラスメイト達のもっぱらの話題となっていた。
 この問題から脱却するために僕は自治会の大きな地図を家から学校へ持って行った。その前日に仲の良いクラスメイト達と「明日ちゃんと作戦会議をしよう」という話になっていたのだ。だから僕はうってつけの資料だと思い持ってきたのである。放課後、机を4つくっつけてその大きな地図を広げ、それを囲むようにして僕たちは席についた。まるで会社の会議のようである。なんだか少し大人の気分になったようで気持ちが高揚する。
「じゃあ、いつもの公園やけど、あれがどのへんや?」
N君が先陣を切る。僕は得意げに「ここやな」と地図を指さした。
「で、どこが〝よした〟や?」
N君は全く自分で探そうとしないが、地図帳をよく眺めていた僕を頼っているのだろう。またもや僕は得意げに指を指す。
「めっちゃ近いやん!それやったら直行したほうが絶対いいよな?」
「そうやな、でもやっぱり地図でもこの公園めっちゃ小ちゃいんやな…」
うーん、と皆唸る。どうしたものか。
「とりあえず目に付く公園に色付けようか」
僕は皆に提案した。皆の顔がぱっと晴れる。僕は机の中から色鉛筆を出し、皆に配った。手分けして公園の場所をあぶりだす作戦である。
 皆黙々と地図に対峙し色を付ける。黄褐色の地図が赤や青、ピンク、緑、紫といった色に徐々に染まっていく。そんな状況を見た先生が「エラい勉強熱心やん。どうしたん?」と少々心配そうに僕たちに声を掛ける。
「ちゃうねん。公園の場所探してんねん」
誰かが先生に説明した。すると先生は少し安心したようで、「あんまり遅くまで学校おらんようにな」とだけ声を掛けて出ていった。僕たちは相変わらず皆で地図を虹色に染め上げる。
「ここは公園やっけ?」
「近所やけどそこは行ったことないな…ちなみにここは?」
「あ、そこ公園じゃないで」
皆で情報を交換しながら僕たちはついに公園の塗りつぶし作業を終えた。途中からはただただ地図に色を塗ることに楽しみを見出していたような気がするが、まあそれはいいだろう。正しいか正しくないかは別として、おおよその公園の位置を把握することができるようになった。
「じゃあ〝よした〟の近くの大きめの公園から候補地決めていこうか。ここは?」とN君。
「うーん、そこはいつも六年生が野球してて入られへんなあ…こっちは?」とその近所に住むクラスメイトが言う。
「そこはこの前帰りしなに中学の奴らおったで」
「じゃあこっちとかはどうかな?」
「そこも上級生がいっぱいおるイメージやな。ここは?」
クラスメイトのK君が地図を指さす。「池端公園」とある。
「そこはいつもあんまり人おらんイメージやな。ええんちゃう?〝よした〟から近いし」
じゃあ今日はそこ行くか、と決まりかけていたその時、I君が突然「やめよう」と発言した。皆「どうして?」と訊ねる。
「いや、とにかくここはやめといたほうがええねん」
I君は理由を話そうとしない。ただ僕たちも真剣に公園の候補地を考えているのだ。話しにくい理由であっても「なぜやめておくべきなのか」しっかりと説明してもらえないと納得できない。
 僕たちは彼に詰め寄る。今思えばそんなに熱く問いただす必要はなかったと思えるが、一瞬一瞬を必死に生きていた僕たちは必要以上に強く問い詰めた。
 幾ばくかの押し問答の後、I君は渋々事情を話始めた。
                                                     *
 I君のお兄さんの学年の人たちはいつも池端公園で駄菓子を食べていた。その日もいつものようにはしゃぎながら駄菓子を食べていたという。
そんな中突然「駄菓子、分けてくれへん?」と老女の声で訊ねられたという。皆ギョッとして振り向くとそこには七十代くらいのボロボロのダウンコートを着た白髪交じりの乱れた髪型の老人が立っていた。その〝なり〟の異様さに皆一言も発せず、ただただ呆然としていたらしい。
すると老女が「そこの駄菓子、分けてほしいねんけど」と再度催促してくる。
皆「関わってはいけない人間」と本能的に察知し、恐る恐るキャベツ太郎一個を差し出したらしい。小学生の手からキャベツ太郎をひったくるように取り、ぶっきらぼうに食す老女。一瞬にしてキャベツ太郎は老女の胃に入った。とりあえずはこれでどこかに行ってくれるだろう。その場にいた誰もがそう思ったらしい。
しかし老女は「こんなんじゃお腹いっぱいにならへんわ。そっちのやつ、ちょうだい」と言う。老女が指し示す先には未開封のどんどん焼きが転がっている。さすがにこれ全部は渡したくない。一人が勇気を出して「それはあかんわ、これ言うて二十円とかやで?買ってきいや」と老女に言い放った。
すると老女は「私、お金持ってなくてな…それに昨日からなんにも食べてなくてなぁ。このままじゃ死んじゃうなぁ」と言うではないか。
鶏の脚のようなか細い腕をした老女。今にも消えてしまいそうなくらいか細いその体と見た目の汚さに皆圧倒されてしまい、渋々どんどん焼きを手渡すことにした。老女にどんどん焼きを差し出すとこれまたひったくるように奪い、お礼の一言も発しないまま恐ろしいスピードで公園を出ていったそうな。それ以来、その学年の生徒は誰もその公園に近づかないという…
                                                    *
余りに現実味のない話。僕は率直にそう思った。確かにこの街では他の街では起こらないようなことが現実になる。正直府内でも治安の悪い方の地域だったし、未だに暴走族がいるような場所だったからだ。
だがさすがに老女が小学生に向かって物乞いをするものか?それに僕たちは自転車を持っている。最悪それで逃げればいいだけの話じゃないか。
それに何だかこの話は都市伝説めいている。「友達の友達に聞いた話なんだけど…」から始まる話に似ていないだろうか?I君のお兄さんは実際にこの老女に遭遇していない。同学年の誰かが遭遇したという噂が広がって誰も寄り付かなくなったというだけである。
「最悪そのババア出てきても逃げたらええだけちゃうん?」
N君がそう言った。的確な指摘である。さすがに老人相手に体力で負けることはないだろう。走ってでも逃げられそうなものである。
「そうかも知れんけど…でも俺は絶対行かへん!」
I君は鬼気迫る勢いでそう言った。彼の顔は真剣そのものであったが、そこまでして拒絶するものだろうか?
 あんなにも楽しかった作戦会議が一気にだんまりとお通夜のように変貌する。皆I君の勢いに驚き何も発することができないという雰囲気である。冷めた子供の僕でも池端公園に行くことを躊躇ってしまう。そんな重苦しい雰囲気が流れていた。
「ほんならIは今日は来やんでええわ。俺らだけで見に行って何もなかったらIも次から池端公園で遊ぼう。それでええやろ?」
N君がそう提案した。I君はホッとしたような表情で「分かった」と言っている。それを見て僕たちも笑顔を取り戻すことが出来た。
「ババアおったらもう池端公園にはいかんから!」
「そうそう、ちゃんと報告するから」
「なんもないと思うけどな」
笑いながら皆I君にひと声かけ、そして作戦会議は幕を閉じた。

   帰宅して、ランドセルを放り出し、急いで自転車にまたがりいつもの駄菓子屋〝よした〟に向かった。急いで向かったつもりであったが、もうすでに何人かが到着していた。
「早よ全員来えへんかなあ」
僕たちは早く駄菓子を買いたかった。なぜなら今日はいつもより大きな公園で、いつもとは違う遊びが絶対できるから。ババアの話は少し引っかかっていたが、そんなのどうでも良かった。とにかく早く遊びたかった。僕が到着してから5分もしないうちに皆集まったが、この短い時間ですら永遠に感じられた。皆もそうだったのだろう。最後に到着したクラスメイトに「遅い」と苦言を漏らすものが何人もいた。
 「ほら、早よ買おう」
誰かの急かす声で僕たちは皆店内に入る。駄菓子屋のおっちゃんがいつものように暇そうにテレビを眺めていたが、僕たちが店内に入った瞬間、いつもの笑顔で元気よく挨拶をしてきた。店内に所狭しと陳列されている駄菓子を手に取りながら吟味する。あいつが手に取っているやつの方が今僕が持っているものよりも美味しそうだ、いやでも今日は甘いのじゃなくてしょっぱいのが食べたいな、こっちのはちょっと値段が高いな…いろいろと考えを巡らせながら今日の至高の駄菓子に出会うべく時間をかけて選ぶ。限られたおこずかいでその日最高の幸福感を得ねばならない。だから慎重に、そして丁寧に吟味することが必要なのだ。この時、僕たちは皆経済学者だ。支払う額と内容の均衡がキッチリと取れていないものは購入する必要がないのである。いかにパッケージに騙されず、内容の価値の高さを見出すかが駄菓子屋内での至上命題なのだ。
 そうして僕たちはようやく各々の駄菓子を手に入れることができるのだ。僕たちの口の中に入るその瞬間までこの駄菓子たちは世界で一番守らねばならぬものとなる。何が起きても手放してはならないのだ。
 そんな駄菓子を持ってホクホク顔で僕たちは店を後にする。
「一応買った駄菓子はカバンの中に入れて隠しとこう」
クラスメイトの提案を僕たちは受け入れ、皆自分のカバンに乱雑に駄菓子を入れる。さあ、あとは宴の場所に向かうだけだ。学校で作戦会議をした結果出てきた池端公園。最高のオヤツと最高の場所で過ごせる。まるでリゾート地だ。遠足前日の眠れない夜の高揚感と同じ気持ちを抱えながら僕たちは自転車にまたがり全速力で池端公園に向かう。
 案の定、池端公園には誰もいなかった。
「なんや、誰もおらんやん。ババアすらおらんのかいな」
僕は虚を突かれた。I君はあんなにも拒絶していた池端公園。そこは遊具も完備されているし、何よりいつもの公園の2倍はあるのではないかと思うくらいに広い。これならSさんが持ってきたボールでも遊べる。
 僕たちは公園の奥にある大きな滑り台の隣に自転車を着け、皆で上に上がり、そこで宴をすることとした。ここなら公園の入り口からも遠いし、万が一ババアがやってきても駄菓子をカバンの中に隠すことが出来る。それに高台に位置しているため入り口のあたりを観察しやすいし、もしババアが来たとしても彼女からは死角になる。これなら今日は思う存分駄菓子を堪能できる。小学生がその場で考えたにしてはよくできた作戦ではないだろうか。

   一つ目のお菓子をカバンから出す。最初に食べる駄菓子。それを選び抜くことは最も重大な使命である。少し外したものはここでは選ばれない。何故ならその駄菓子が大外れな場合もあるからだ。もし大外れだった場合、舌がその大外れの駄菓子の味に染められ、後々に食す王道の駄菓子の味を変えてしまう可能性がある。そうなると宴の質は著しく下がってしまう。だからここでは安定のものを選びたい。しかし、だからといって安易に王道のものに手を掛けるのも粋ではない。そりゃあ美味しくて当然で、尚且つ舌を汚すこともない。だが、そんな安易な選択の結果の宴の成功なんて妥協の塊ではないだろうか。確かにその日の気分により「今日は絶対これを最初に食べる」と決めている日もある。そういう時は別だが、そうでないときに王道を選ぶのはどうも負けた気分になってしまうのだ。
 ではどうするか。個性を誇示するのである。駄菓子屋で各々が選ぶ駄菓子を窺っていたのはそのためである。自分は何回か食べ、尚且つ気に入っているが他のクラスメイトが選ばなかった駄菓子。これが初手の定石である。
 僕は初手に〝梅しば〟を選んだ。一見センスが皆無のこの選択であるが、僕は味を求めた結果のこの選択ではない。もちろん〝梅しば〟は好きだ。外さない味だということも僕は熟知している。だが、そのための「初手〝梅しば〟」ではないのである。これは周囲が選ばなかった駄菓子。これを最初に食すことで必ず周りは「どんな味なんだろう」と思うのである。それを訊ねられ、そして説明する。それを友人同士で行うことで宴に会話の華を咲かせるのだ。そのための「初手〝梅しば〟」なのである。
 滑り台の上の宴も盛り上がりを見せてきた。今日は最高である。明日学校でI君に池端公園が僕たちの求めていた楽園であることをしっかりと伝えねば。エデンはここにあったのである。そんな至福の時間を過ごしていたとき、突然一人が「あれ!」と声を上げた。皆驚き、宴は沈黙に包まれる。彼の指さす先に目をやる。公園の入り口。そこにはI君が話していたと思しき老女がポツンとたたずんでいる。N君がひそひそと、しかしながら、鬼気迫る勢いで「隠せ!」と僕たちに命令した。僕たちは急いでカバンに駄菓子をしまう。その間ババアはゆっくりと、しかし着実に滑り台の方に向かってくる。公園の中ほどにババアが差し掛かった頃にはもう滑り台の上の駄菓子は全て片付けられていたが、ヤツは歩みを止めない。だが、僕は安心していた。もしババアが滑り台の上にやってきても、僕らのいる場所に駄菓子はない。さすがにカバンの中を見せろなんて言わないはずだ。そしたら後は自転車に乗って逃げるだけである。これでこのババアへの対策は完璧だ。

  ババアがついに滑り台の下にやってきた。僕たちは知らんぷりをしてゲームの話をしていた。変に身構えるよりはマシだと思ったのである。
「あんたら、お菓子持ってないんか?」
ババアが下からしわがれた声で僕たちに訊ねてきた。N君が身を乗り出し、「なんですか」と返事した。
「せやから、お菓子とかない?」
「お菓子なんて持ってないで」
N君はきっぱりとババアに伝える。訝しげに僕たちの方を窺うババア。だが、そこには駄菓子の痕跡は一つも残されていない。ここにはお前に渡す駄菓子なんかないんだ。さあとっとと踵を返して立ち去れ。しかしババアは全く去ろうとしない。何故だ。
「おかしいなぁ。あんたらさっき駄菓子屋から出てくるの見たんやけどなぁ」
耳を疑った。ヤツは僕たちが駄菓子を買うのを見ていたというのである。さすがに皆カマを掛けているのだろうと思ったはずだ。僕たちは目だけで頷き「行ってないで」と伝えた。するとババアは僕を指さし、「そこのメガネの子覚えてる」と言うではないか。本当にやめてくれ。しかし僕たちも駄菓子をタダで渡したくない。僕たちのなけなしのお金で買った今世界で一番大切なものなんだから。
「ごめんごめん、駄菓子屋には行ったけど見てただけや。何も買ってないで」
N君がババアに伝える。さすがにこれ以上は詮索しないだろう。ふぅん、と言いながらババアは相変わらず滑り台の上を覗き込んでくる。
「ほんなら、あんた行ってないっていうのウソやったんやな?」
ババアの表情が般若のような形相に変貌した。そしてN君を睨みつけている。僕たちはあまりの恐ろしさに身じろぎ一つ取れない。そんな中、N君の後ろにいたK君がその恐ろしさからか、滑り台を勢いよく降りようとした。するとババアが本当に老人なのか疑うくらいのスピードで滑り台のスロープの出口に回り込む。
「うわぁ!」
K君の悲鳴が公園に響き渡る。K君は方向転換し、滑り台を逆走しようとするもあっけなくババアに首根っこをつかまれてしまった。
「やめてぇ!」
叫ぶK君。彼は四肢をばたつかせ、何とかババアの手から逃れようとするが、ババアの握力は思いのほか強かったのだろう。全く逃げ出すことが出来ない。僕たちの目の前で繰り広げられる惨劇。僕たちは何も言えなかった。
 ババアの手がK君のカバンに伸びる。
「ほんま何にもないから!離してえや!」
「何もないんやったら逃げることないやろ!」
鬼婆。山姥。伝説上の老女の妖怪がいたとしたら、恐らくそれは目の前のババアのような表情だったはずだ。それほどに恐ろしい形相で咆哮にも似た怒声をK君に吐き散らす。K君は今にも泣き出しそうだ。
あっけなくババアの手はカバンの中に入った。ゴソゴソと乱雑に中を探している。するとババアは不気味な笑みを浮かべながら僕たちの方を睨んだ。
「あんたらぁ、なんやこれは?」
手にはパッケージの坊やがクシャクシャになったポテトフライが握りしめられている。K君の大好物。彼は毎回それを買っている。K君は泣きながら「返してえや」と言うが、ババアはその声よりもはるかに大きな声で、
「あんたら、ウソついたんやな。ウソついてたってことやな!」
と叫んだ。ババアはもう般若の形相を通り越し、真蛇の形相と化している。真蛇の面には耳がないというが、それは人の言葉を聞き入れることが出来ない様を表現しているのだという。ババアは今まさにその状態である。とても僕たちの言い訳を聞き入れる余地なんてなさそうである。
「何も言わんってことはそういうことなんやな!」
違う。僕たちかって一言物申したい。どうして老人が子供から駄菓子を巻き上げるのかと言ってやりたい。しかし喉元までその言葉がやってきてもババアの恐ろしさに僕たちは音にすることが出来ないのだ。滑り台の上で固まる僕たちに呆れたのだろうか。ババアはK君のカバンの中から他の駄菓子も取り出した。その駄菓子を改めて僕たちに見せつける。まるで大将の首を取ったかのように。
「ウソついたら学校で泥棒の始まりやって教わってるやろ!あかんわ、ほんまは一個だけでいいわって思ってたけどお前らの駄菓子全部貰わなあかんわ」
支離滅裂な発言を僕らに吐き散らし、僕らを滑り台の下に降りてくるように促すババア。でもここで降りたら本当に駄菓子を全部取られてしまう。
「早よ降りや!降りひんねんやったらこのカバンごと貰っていくで!」
確かK君のカバンにはゲームボーイアドバンスが入っていたはず。さすがにそれを取られるのはまずい。渋々僕たちはババアの命令に従った。籠城作戦でしのごうと思ったが、人質を取られ降参を余儀なくされた戦国武将のようである。滑り台の下に降りると待ち構えていたババアが舐めるように僕たちの顔を見る。
「ほら、お前らも早よ出せ」
ババアは僕たちの駄菓子も全て奪うつもりらしい。N君は震えた声で、
「何でタダで渡さんとあかんねん」
と言った。ババアは再び鬼の形相となり、
「お前らウソついたら泥棒や言うてるやろ!ほんまは警察とかに連れて行かなあかんのをお菓子だけで済ましたってんねん!分かるか?これは罰や!」
と小学生の僕たちでも騙すことが出来ないような滅茶苦茶なことを大声で叫ぶ。いつもなら「そんなわけないやん、むしろオバちゃんの方がおかしいで」と言い返せるのだが、このババアの怖さ、言うなれば何をしてくるのかが全く見えない、まさに妖怪めいたこの恐ろしさに圧倒されていたせいで、僕は「理不尽だ」と思いながらも渋々駄菓子を一つ取り出す。僕の最後の抵抗である。キャベツ太郎だけは渡してはいけない。だから駄菓子を一つ取り出す際にカバンの底の方に隠したのである。
「あかん、全部や。全部出すんや。隠してたらあかんで。カバン返さんからな」
唯々カマを掛けてきただけなのかもしれない。でも僕たちはババアの恐ろしさを目前にして、はっきりとした思考力はなく、あえなく残りの駄菓子もカバンの中から取り出す。
「ほんまあんたら懲りひんなあ。どこまで根性腐っとんねん」
根性が腐っているのはババアの方である。だが、僕たちは今はこのババアが離れるだけでそれでいいと思っていた。早く僕たちを解放してくれ。
「これで全部か。お前らもう二度とウソつくんちゃうぞ。次はないからな」
ババアは捨て台詞を残して去っていった。

  僕の目の前には戦争の惨禍のような光景があった。泣き崩れるK君。K君と僕たちの間には乱暴に投げ捨てられ、砂まみれになったK君のカバン。N君を始めとしたクラスメイト達の感情を奪われた虚な表情。沈黙に包まれる池端公園。夕焼けに染まる真っ赤な空。
 完敗であった。僕たちは「戦う」という行動すらも出来ぬまま打ちのめされた。一方的な蹂躙。世界最短の戦争と言われる「イギリス・ザンジバル戦争」。この戦争はイギリスの圧倒的戦力によりわずか四十分で終了したという。まさに今日僕たちは、はるかに強大な戦力に攻め込まれたのである。果たして僕たちに何が出来たであろうか。
 誰も何も言わない。幼心ながら、ここで何か提案すること、その行為自体が不謹慎極まりないものと思えたのだ。ただただ僕たちは黙っていた。「なんやアイツ」との愚痴も漏らさない。僕たちに今聞こえているのはK君のすすり泣くその声だけだった。
 どれほどの時間が経っただろう。少なくとも一時間は経ったんじゃないだろうか。でもそれはただただ感覚的な問題で本当はものの十分も経っていなかったかもしれない。K君が泣き止み、僕たちに「ごめん」と謝ったことをきっかけにようやく僕たちは発言できるようになった。K君は全く悪くはない。おかしいのはあのババア。皆K君にそう言葉を掛ける。そしてK君のカバンが奪われなかったことについて僕たちは必要以上に褒め合った。虚しい行為かもしれない。何も得るものがなかった中、これくらいしか僕たちにとっていい話がなかったのだ。もしかするとババアに駄菓子を奪われたことを僕たちは早く忘れたかったのかもしれない。しかし、それとは裏腹に誰も遊ぶことを提案しなかった。それは言ってはいけない気がしたのである。今できることはK君を慰めることだけ。彼の涙が引けばそれでいい。
 K君が泣き止んだ後、僕たちは自転車に向かった。まだ5時になっていなかったが、僕たちは帰ることしか考えていなかった。すぐさまこの公園を後にしたかったのだ。なぜならこの公園にいるだけであの恐ろしいババアの鬼気迫る形相や咆哮が記憶の中で蘇ってしまうからだ。会話も少なく、僕たちはこの公園を後にした。ここから場所変えて遊ぼうなんて話も出てこない。よろよろと自転車を方向転換させ、各々の帰る方に自転車を向け、ぶっきらぼうな挨拶を交わして帰った。

  翌日、I君は僕たちに大丈夫だったかを訊いてきた。もちろんノーである。大丈夫ではなかった。結局ババアに僕たちは全部の駄菓子を奪われたと伝えた。I君は「だからやめとけって言っただろう」と言った。僕たちは彼の言葉をもっと信じればよかった。昨日の時点ではI君が池端公園に行きたがらない理由はほかにあるんじゃないかと思っていた。きっと他の人には言えない恥ずかしい事件があったんじゃないかと。だが彼が僕たちに言った、にわかには信じられない妖怪のようなババアの話は真実だったのである。昨日の自分がひどく恥ずかしい愚かな人間のように思えた。
 「実はな、昨日の話ではちゃんと言ってなかったかも知れんけど、そのババア、〝よした〟から後をつけてくるらしいねん」
彼は唐突にそんなことを言い出した。そんなババア、〝よした〟の近所にいただろうか。
 彼によるとそのババアに駄菓子を持っていないことを伝えた人間が僕らの他にもいたらしい。しかしその時ババアははっきりと「〝よした〟で買っているのを見た」と行ったそうな。ただ、確認するために上級生たちは〝よした〟で張り込んだそうだが、ババアの影を見ることはなかった。そんな神出鬼没なババアは〝よした〟から他の公園に行く際には諦めるらしい。だが池端公園に行く場合には後をつけてくるのだという。いわばババアにとって池端公園は狩場なのである。しかし、どうして池端公園でなくてはいけないのだろう?
 これは後々にこの事件について考えたものであるが、いつもの公園も〝よした〟に近いがババアに遭遇しなかったのはその立地条件によるものだと思われるのだ。その公園は小さく、また周りを家々に囲まれた場所である。そんなところで子供から駄菓子を巻き上げようものなら通報されること必至である。だからババアはそこを避けていた。だが池端公園はどうか。周りには工場と道路くらいしかない場所である。それにババアの体力を考えても容易に辿り着けるほど〝よした〟から近い。ババアにとって安全にそして確実に狩りが出来る場所と言うのが池端公園だったのである。
 僕たちの一件はその後、学年中を席巻した。そして池端公園は「駄菓子ババアが出現する公園」として心霊スポットのような扱いを受けるようになる。あれ以降僕たちは誰もがあの公園に近づかなくなったが、今でもババアは元気に駄菓子狩りをしているのだろうか。
 ただ一つ気になることはこのババアが〝よした〟という単語を出した過去があるということだ。しかもそれなのに誰もババアを〝よした〟付近で見たことはないというのもおかしな話。あの表情の変わりようもあって僕はいつしか彼女のことを「妖怪駄菓子ババア」と呼ぶようになっていた。決して侮蔑の念を込めて「妖怪」という単語をくっつけたのではない。心の底から妖怪だと思っていたからそう呼んだのである。
「妖怪駄菓子ババア、それは駄菓子を購入した時点で遭遇する可能性のある妖怪である。駄菓子を持って人気のない公園に行くと『駄菓子をくれ』とせびられる。このとき素直に渡せば帰るが、ウソをつくと全ての駄菓子を没収されてしまう。」
こんな説明を考えるくらいには妖怪だと思っている。

もしかするとあなたの街にも妖怪駄菓子ババアは存在すのかもしれない…

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