歴史妄想絵巻~夏とウィーン会議「会議は踊る、されど進まず」~

この世は乱世。
「いいや、何を言っているのだ。今日の日本は平和そのものじゃあないか」
そうおっしゃられる方も沢山いる。
昼間に外に出てみれば、家族連れが溢れ、カップルが手をつなぎ、お年を召された方々は冷房の効いたスーパーマーケットのベンチでくつろぎ…そういう光景を見ると、そりゃあ平和そのものなのかもしれない。
ただ、僕は思う。果たしてそうだろうかと。

確かに常日頃から死を覚悟して立ち振る舞う瞬間なんぞは存在しない。だが、何故だろう。心の臓がひりひりする瞬間が多々ある。本当に平和で溢れかえっているのであれば、こんな瞬間は一切訪れないはず。であるのに、僕はそういうものに多々遭遇するのだ。

これを以てして僕は、この時代を「大平成戦国時代」と勝手に命名した。
日本列島に名を轟かせた歴戦の猛者たちは我々の目の前にいる。身内だと思っている者たちですら、いつ謀反の旗を掲げるか分かったもんじゃあない。
足の引きずり合い―そう言ってしまえばそうなのだろうが、そんな生易しいものではない。人間の、時代が時代ならそれが石高や領土の広さまでに影響を及ぼしていたかのような、尊厳を掛けた戦いが、今この極東に浮かぶ小さな島国で四六時中繰り広げられているのである。

201X年~夏とウィーン会議「会議は踊る、されど進まず」~

僕は天下統一の夢を見て、齢18の頃に田舎から都に上った。平清盛、源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉といった時代の覇者たちは皆、天下統一のため時の都、平安京を目指した。それに僕も倣ったのだ。
だが、まだ元服前の身である僕は、郷を離れる際に大義名分が必要であった。その大義名分は「学を身につけ、世を平定する布石となす」というもの。そのために、僕は学問の府である大学で、人心掌握の術を学ぼうとしたのである。
そう、世の中を動かすのは人なのである。モノや、技術が動かすのではない。人が必ず必要なのだ。だから僕は人心掌握の術を4年という長きに渡り学ぼうとしたのだ。

歴史の偉人たちが何かを成し遂げる前、必ずと言っていい程苦難に出くわす。現代物理学の礎を築いたアイザックニュートンは万有引力を発見する前、当時英国王立学会の頂点に君臨していたフックにより半ば追放処分的な処遇を受け、自宅に引き籠り錬金術に明け暮れていた。また江戸時代という、日本において長きに渡る平和な時代を築いた徳川家康も幼少期は人質として過ごした。
皆そうなのである。皆、何らかの苦難を乗り越えた後に何かをやり遂げる。
では僕はどうだったのか。学徒となってまだ間もなき頃、18までを同じ学び舎で過ごした幾人かの友人と共にぶつかった問題。
それは、「人を好きになるとは何か」という、人間の成長過程において、また人類の永遠の課題として、また生物的な哲学として非常に大きな問題にぶち当たったのである。

あの時も夏であった。4月~7月の授業を終えた我々は湿度の高い男子寮で暇を持て余していた。海沿いにあった男子寮。窓を開ければ運河から漂ってくる潮の香りが鼻につく。こう書けば美しく聞えるかもしれない。だが、実態は酷いもので、打ち上げ花火の抜け殻やビニール袋が散乱する汚い海水浴場から漂う匂いとほぼ同じなのである。海の腐った匂い。そう言えば伝わりやすいだろうか。
そんな腐った海から漂う匂いに晒されながら僕たちは腐ったような日々を過ごしていたのである。意味もなく誰かの部屋に集まり、寝ころびケツを搔いたり欠伸をしたり、すね毛を散らしたりしながらどうでもよい話をする。そんな桃源郷にいるかのような毎日を過ごしていたのである。

しかし、誰かが言った。言ってはいけないことを。
「お前ら、いい感じの女の子おるん?」
夏の芝生の中にいた我々はこの言葉で一気にコンクリートジャングルでむせ返る都会へと引きずり戻されたのである。
しかし、悲しいかな、僕も含め同郷の輩どもはそんな話、うんともすんとも出てこない。
「おるわけないやんけ」
これが我々が用意できる誠心誠意の答えである。
伊達政宗が豊臣秀吉の下に馳せ参じた時、彼は死に装束で現れた。彼は豊臣側につくことが遅かったため、秀吉からは疑われていた。そんな中自分の忠誠心を―「私の首はあなたにかかっている」―ということを示すために死に装束で現れたのである。これが男の誠心誠意である。
「おるわけないやんけ」は不躾でぶっきらぼうな返しに見えるかもしれない。だがこれは真っ事なきまでの事実なのである。事実であることを伊達政宗の死に装束と同じく飾らずに表現し、そして我々の心境―つまり怒りに近い感情の全てがここに詰まっているのである。

しかし、この返事をした後、賢き我が同胞が「いや、そもそも好きになるってなんやねん」と言い出した。彼はその一瞬、哲学者であった。
彼は周りの「大学デビュー」に成功した者たちのことを語っていた。学科の友人然り、サークルの友人然りはいとも容易く恋人を作ったそうな。そういう輩どもを見て焦る。さながら帝国主義の波に乗り遅れたドイツ、イタリア、日本のように。我々も充実したパックスジャポネーゼなるものを目指すために征服せねばならぬ。しかし、我々はドイツ、イタリア、日本のように近代化に成功していなかった。
手段が分からないのである。そもそも何をどうすれば女子と2人きりになれるのかなど想像できない。日露戦争でかの高名なバルチック艦隊を日本海の底に沈めたことを欧米の列強たちはさぞ驚いたという。何をどうすれば世界屈指の海軍を海の底へと葬ることが出来るのだろうか、と。我々の当時の心境はまさにこの驚きに近いものがある。
「きっと日英同盟のようなズルをしているんではないのか?」そんなことを言っても、勝てば官軍負ければ賊軍。大西洋周りで日本を目指したロシアが英国の抑える補給地で満足に補給できなかったから勝てなかった、だとしてもだ、それでも勝った方が偉いのだ。諸行無常。そういうことである。

我々はおそらく「日英同盟的手法」を先人に尋ねることが最も正解に近い方法だったのだろう。しかし、愚かにも我々は尋ねることをしなかった。いや、出来なかった。それは漢としてのプライドが云々とかそういうものではない。残念ながら、我々の接しやすいタイプの人間に「日英同盟的手法」を使って勝利を手に入れた者がいなかったのである。
類は友を呼ぶ。先人たちはあまりに賢い。彼らはどうして今の我々を「ことわざ」で的確に言い表したのだろう。もしかしてタイムマシンのような優れた技術が過去にあったのではないかとの疑念も持ってしまう。

どうするべきか。我々は愚かであった。手段を持たぬ我々は三人寄れば文殊の知恵と言わんばかりに「うんうん」唸りながら余りに小さな脳みそで手段を講じようとしたのである。そこで出てきたのが先ほどの疑問「そもそも好きになるってなんやねん」である。
我々持たざる者たちにとってこの疑問はあまりに難題であった。そう、我々は西部を開拓したアメリカのように、アフリカ縦断を果たした英国のように、西アフリカの広大な土地を手中に収めたフランスのようには持っていなかったのだ。だからと言って日独伊のように技術もない。そう、完全に後進国だったのである。それも悪いことに、征服されるような旨味のない後進国である。資源も土地も人間も何もかもがないのである。しかし、夢はでっかく世界覇者。なんとまあ醜いものだろうか。

何故こんな悲しい状況になったのであろうか。答えは簡単である。
それは青春の大切な時期を社会から隔絶された歪な環境で過ごしたからなのである。そう、我々は男子校育ちであった。
我々は歴史深い街、大阪の一角に隔離されていた。大阪を中心に関西各地からエネルギーが有り余っている、悪い意味で"エリート"と呼ばれる者たちが集まっていたのである。賢き我が親も僕に何か危険な部分を見初めたのだろう。だから僕もこの社会から隔絶された監獄に入れられたのである。僕はこの親の判断は賢明であったと思っている。
そのような状況で我々は滾るものを自己昇華し、何とか人間を保っていたが、ふとした疑問を持つ。余りに同世代の女子と話さなかったからであろう、「家族以外に女は存在するのだろうか」というものである。僕はずっと女子は想像上の生物、つまりUMAなんじゃないかと思っていた。そう、ネッシーとかイエティとかチュパカブラとかと同じ分類である。

「どうして勉強しなければならないのか」という問いに対して、諸先生方や諸先輩方は口を揃えて「そりゃあいい大学に入ったら可愛い彼女が出来るからだよ」なんて言っていた。
我々は余りにも無垢であった。タブラ・ラサ。我々は一端に性知識だけをため込んでいたが、それ以外は純真も純真、無垢も無垢である。ある意味世間という汚い環境から守られていたのである。
だからこそ、自分たちの指標となる諸先生方や諸先輩方の甘いお言葉を僕たちは盲信した。まるで太平天国の様である。今は辛い時期かもしれないが、東の果てには約束の地、エデンがある。私はそう信じていた。

しかし、現実は非情であった。ほぼ初めて言葉を交わす同世代の女子。何を話していいのか全く分かったものではない。いや、それならまだマシである。どこに座ったら良いのかすら分からない。
未だに覚えている恐怖体験じみたものが、同級生となる人々との初顔合わせである。教室の扉を開けると一瞬皆が静かになる。何人かはこっちを見ている。僕は逃げたくなった。ここに僕の居場所はない。
しかしながら、勝ち取った合格。心を鬼にして何とか端っこの席に辿り着こうともがく。しかし、端っこに着くと自分と同じような人間がもうすでに占拠しているではないか!モンゴル帝国の勢いさながらに彼らを征服しようかとも考えたが、そんな度胸はない。だって僕、農民家系の人間だし。
とは言っても、その後大学側が用意したレクリエーションによって何とか周囲と馴染めた(?)ので、概ね良かったのだろうが…

ただその後の男子寮での会話があまりに汚かった。やれ「かわいい子はいたか」だの、やれ「どれだけ女の子と話せたか」だの、やれ「メアドはこうかんしたのか」だの…やはり我々は社会から隔絶されるべき存在なのであろう。この汚い会話は再三繰り返された。サークルに入ったとき、バイトを始めたとき…恐ろしいものである。
もう一点おかしかったところが我々にはあった。それは女子たちの些細なふるまいをさも貴重なものとして奉り上げたのである。
「○○ちゃんっていうメッチャかわいい子がおんねんけど!その子とこの前授業について話したんだよね!ヤバいわ。こんなん好きなってまうやん!」
「この前、教科書忘れた時隣の女子に見せてもらったわ。ヤバいわ。こんなん好きなってまうやん!」
「この前Facebookの申請来たわ。ヤバいわ。こんなん好きなってまうやん!」
「この前授業で隣に座って来たわ。ヤバいわ。こんなん好きなってまうやん!」
僕は彼を見た時、中島敦の『山月記』を思い出した。彼は李徴のように虎とまではいかないものの、間違いなくバケモノじみた獣へと変化していった。
長い間いた臭い臭い男子校と、歩けばフローラルの香りが漂ってきそうなこの大学とでは温度差がひどかったのである。サウナに籠った後に氷水に浸かると心臓が締め付けられる。まさにそれと同じ状況なのである。我々はそのひどい落差に自我と理性を失いかけていた。

そんな中、我々の周りの景色は非情なまでに変化していく。そう、夏に差し当たって周りの人間たちが「デート」なるものを始めたのだ。まさに大航海時代と同じである。コロンブスのアメリカ大陸発見依頼、スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、オランダがこぞって新たな航路を発見しようとした。堰を切ったかのように各国が無限に続く広大な海へ船を漕ぎだしたのと同じように、我々の周りも女子と2人きりでデートに行く輩がわらわらと出現したのだ。
我々はこのままでいいのか。我が闘争。まさに我々は心の鬼と対峙し、この難局を打破せねばならぬと考えたのである。

話は少し戻る。「そもそも好きになるってなんやねん」である。これは我らが帝国に桃色の平和を迎え入れるにあたって早急に解決せねばならぬ問題となったのである。技術も資源も土地も何も持たぬ我らにとって、一刻も早く他の大国たちと同じようになるには、まずはその問いを解決することが先決なのだ。でないと、さらに獣化が進んでしまうのである。我々は文明化へのかじ取りを適切に行わねば、蛮族が跋扈する未開の国になってしまうという、まさに背水の陣、いや四面楚歌といった状況だったのである。

そんな危機にさらされていた、弱小国"我々"の策士たちはどうだったか、少し見てみよう。
クーラーを効かせた部屋に男が、いや策士が4、5人いる。テレビには時代を謳歌しているアイドルのPVが流れている。
「そもそも好きになるってなんやねん」
皆、口をつぐむ。答えは皆分かっている。「はぁ?キモッ!」が大正解である。しかし、それはいわゆる"キョロ充"と呼ばれる、我々よりも悲しき命運を背負った愚か者が取る技法である。我々はいくら獣に近いとは言え、そこまで自分自身の位は貶めたくない。あくまで面白きことは自分自身で作り上げるのが我々のモットーだ。その後は皆が煮ても焼いても良い。我々は与えられる側になるのではなく、与える側にならねばいけないのだ。かのイエス=キリストもこのように残している。
「左の頬を殴るものがあれば、右の頬も差し出しなさい」
そういうことだ。
ある者がこう言った。「頻繁にコミュニケーションを取れば好きになるんじゃない?」
なるほど。一理ある。この世に可愛い見た目をした女子は山のようにいる。それこそ、都内から見える夜空に瞬く星の数よりは確実に多く存在している。だから彼は"コミュニケーション"に重きを置いたのである。なかなか優秀な策士ではないか。
彼が言うところはこうだ。見た目の可愛い女子はそれこそ数多いるのだが、その中で甲乙つけるなんてできない。これは悪魔の証明と同じである。決してやってはいけないことである。だからこそ、相手を会話することで知りましょうということだ。それに単純に接触していれば、自ずと好感を互いに持つはずである、というのが彼の作戦であった。

おや。これは中々我が弱小国にしては現実的で良い作戦ではないか?しかもしっかりと真人間が言いそうなことを捕らえている。
「会議は踊る、されど進まず」これはナポレオン失脚後に開かれたウィーン会議が全く持って進まなかった言葉を揶揄した言葉であるが、今回の我々の戦略会議もこのようになると思っていたのだ。
しかし、一発目からの正解。まごうことなき正解。
「じゃあ、この夏休みは各々サークルなり学科なりで女の子と会話しよう!」でこの会議は閉じられるはずだった。思えばこの会議を始めたのは5月。そこから3ヶ月丸々かけて話し込んだのだ。もういいだろう、この話は。まさにウィーン会議状態を脱出できるのである。

「待ってくれ!」
ある男が叫ぶ。
「そもそもどうやって女の子と会話したらいいの?」
僕は虚をつかれ、言葉を失った。そうであった。我々は得もしない領土の事ばかり夢見て話を進めていた。まるで第一次世界大戦中のイギリス三枚舌外交に騙された中東の国々になるところであった。危ない危ない。
そう、まずは確固たる確約に漕ぎつけねばならない。「沢山女子と話そうキャンペーン」を実施しようにも、「女子と話す方法」を知らねば我々に勝機はないのである。

では、女子とどう話すか。我々の中で答を知っているものは少なかった。僕なんか一番ひどい。
「いうて相手は人間や。自分も同じ人間なんやから身構えて話す必要なんかないんや」
改めて見てもこれは酷い。恐らくこの弱小国の策士の中で一番いらない子なのは自分だろう。それこそ天下分け目の関ヶ原であれば、西軍の小早川状態である。
もちろん周りからはブーイングの嵐。
「それが出来ないから聞いてんだろぉおん!?」
そう。これが我々のしかと刮目せねばならぬ弱みなのである―女子をあまりに尊きものとして見てしまう―このことから目を逸らしてはならぬのだ。「工業化に成功したけど、労働者たちの安全は確保できていません」という産業革命直後のイギリスのようになってはいけないのである。
弱き者に救いの手を。

「『髪の毛切った?』とか『今日の服装いいね』とかそういうとこ褒めるとこから始めるんや」
僕より賢き策士がこう言った。皆賛同していた。
「そういうの、女の子は気付いてほしいんやで」
なるほど。自分にとって髪の毛を切ったことを気付かれるのは嫌だったが、女子はこうしたところを指摘されると嬉しいのか。なるほど。
ただ、僕は皆が「よし!これや!」となっている中、なんだかこの会話の切り出し方が気持ち悪いと思った。
いや、きっとこれが正解に近いのだろう。それは分かる。だが、ここから会話をいきなり始めるのは、どうも下心が見え見えな気がする。恐らく我々のような者がここから会話を始めると、相手からは後世で描かれる董卓のような醜い姿に見えてしまうのではないだろうか、と思うくらいに下心が透けて見える気がするのである。
傾国の美男とでも呼べるほどの者がこういったことを言えば、「キャー素敵ィ!」となるのであろうが、やろうとしているのは残念ながら我々である。傾国の美男とは真反対の、むしろ国をしっかりと整えてしまう程のイケてない男である。そういう者がこういうの言ったところで、「知ってます?そういうの最近ではセクハラなんですよ。」と同級生にもかかわらず敬語を使われてしまう始末、しかも思ってもいないセクハラ容疑までかけられてしまうのである。
この手法がいかに教科書的であるとしても僕たちにはあまりに高度な技術だと思う。そしてセクハラなんてレッテルを貼られれば以降の大学生活を灰色の、色のない世界の真っ只中にあるようなものになってしまうのである。これは恐ろしい。

僕はここまで考えて、この踊り狂う会議とたもとを分かつことにした。
身の丈に合った言葉で、普通に接したらええねん。
そんな身の丈に合っていない、下手したら自分の変わったポイントですら気付かないような人間に、相手の変わったポイントを見つけてくださいというのが難題なのである。
「ウォーリーをさがせ!」の巻末に乗っている、ウォーリー以外の登場人物やアイテムを見つけることよりも、相手の髪型の変化に気付く方がはるかに難しいのだ。女性の髪形問題は、マジャール人(ハンガリー人)の祖先がアジア系と言われても全く分からないのと同じなのである。
そんなの出来っこない。出来っこないならやらなくていいのだ。

僕は決意した。たとえ相手が男であろうが女であろうが全く同じように話してやろうと。変に自分が気の利いた言葉を発すると気持ち悪くなる。ならば、そうであるなら、気持ち悪いと言わない男たちと同じような話題をすればいいだけ。そうだろう?

こうして、僕のウィーン会議は終わりを告げた。気が付けば時は10月。もう秋である。こんなにも時が過ぎるのは早かったものだったろうか。
ついにこの年の夏は何も起こらずじまいであった。もうこの夏は二度とこない。
と書くと、本当に虚無の極みのような夏休みを送ったと思われるだろうが、実は何もなかったわけではない。
髪色を急に変える策士たちや、それに流される僕がいた。
精一杯、我々が思い浮かべる妄想劇を実現化しようと足掻いたのだ。それなりに大学デビューを果たそうとしたのである。
しかし現実は非情。我々についに妄想の中のあの子とちょめちょめするような夏は遂に訪れなかったのである。
胡蝶の夢。幾度僕たちはこの世が現実でないことを祈っただろうか。洋の東西を問わず、あらゆる神仏の類に祈り尽くした。
「明日目が覚めたら女の子が隣で寝てますように…」
神はいなかった。
そして、残暑厳しい9月は当然のように過ぎ去り、授業がまた開かれたのである。
諸行無常。アーメン。ハレルヤ。
巨大帝国を夢見た僕たちの夏は終わったのである。持たざる者たちに幸あれ。

これはあとがきのようなものになるが、ちなみに、ウィーン会議とたもとを分かってから、相手が誰であろうと同じように話すということをしていたら、小学生レベルの下ネタしか言わない、クソこじらせ系大学生ができあがった。この前同級生たちが僕の事を説明するシーンを目の当たりにしたが、その時に「クソ残念な関西人」と形容していた。正解である。このことを教訓に皆には良い人生を歩んでもらいたいものである。

#エッセイ #歴史 #夏休み #妄想 #男子校 #大学 #夏

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