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なんで前職(楽天)に新卒入社したか

「はじめての転職」です。
2回目の投稿です。

自己紹介もきちんと出来ていないので、
今回は、

なぜ、最初の会社(新卒入社)に楽天を選んだか

について、書きたいと思います。

ちょっと長くなりそうなので、
先に結論を書くと、

得意じゃないけど、得意になりたい、

にチャレンジしたい

これが楽天を選んだ理由でした。
(それと、もう一つ別に環境要因があります。)

この理由を説明するには、
僕がどう育ってきたかに深く関係するので、
話は少し幼少期に遡ります。

僕は、1987年(昭和62年)に、
福岡の、海と田んぼばかりの田舎に、
晩婚の両親の元に長男として生まれました。

両親とは40歳前後離れていて、
絵に描いたような真面目な両親
(両親を見て、真面目≠ちゃんとしていると学びました。)の教育は、今考えても過保護だったと思いますw

小さな頃から、教育熱心で、
幼い頃から歩むべき学歴を、
いつも話されていた記憶があります。

たぶん、両親共に大学に行ってないことの
裏返しの意味もあったのだと思います。

当時良く、

「大学に行っていたら」
「あの時〜だったら」

みたいな話を、特に父からは聞いていました。

元々の古風さも手伝って、

「人生は大変なもの」
「苦労=正、楽しいこと=悪」

のようなことをよく話していた
記憶があります。

そんな両親の期待があったこと、
何もしなくてもそこそこ勉強が出来たこと、
部活も仲間に恵まれて全国レベルだったこと、

こんな感じで(もちろんそれなりの悩みはありましたが)、中学生までは、大した努力をすることもなく、それなりの青春を経験しました。

少し補足をすると、僕は勉強以外はダメで、
一方で、勉強はできなくてもスポーツが出来たり、勉強そっちのけで遊んでる友達がみんなの中心だったりするのを見て、

親の期待と教育 vs 現実のギャップ

を感じ始めていました。

それでもこの頃は、親の言うことを聞いて、
友達の誘いや、遊びを断っていたりしました。

そんなこんなで、僕は大した努力を覚えることなく、県で一番の進学校に入学することになります。

この三年間が、僕の人生の暗黒時代で、後に大きな障害と、重要な意思決定のきっかけになりました。

努力を知らない僕は、高校での勉強に
ついていけませんでした。

それに、親の方針もあり、勉強中心の生活を
していた僕は、勉強以外も底辺でした。

何事にも一生懸命な生活をしてきた周囲と、
何も考えず、何も行動せず、親の期待に
最低限応えることだけをしてきた僕の差は、
明確でした。

そして、僕は全てを放棄しました。
いわゆる、落ちこぼれになりました。

いや、放棄するだけならまだしも、
人の努力を批判さえしていました。

その頃の僕には、努力を惜しまない周囲は、
ただ単に、今落ちこぼれてないだけで、
将来は自分の様になる人に見えていました。

この頃から、

「好きなことをやりたい、やりたくないことをやる時間なんてない」(やれないし、やりもしないくせに)

と、漠然に思うようになっていました。

ただ、タチが悪いことに、親の期待に乗り、
県で一番の進学校に進学したプライド?
経歴?世間体?を捨てることも出来ませんでした。

いつしか学校も休みがちになり、
いつのまにか卒業を迎えました。

当然大学入試には落ちました。

この頃の僕にとって、それでも重要なことが
二つありました。

一つは周りの友達、もう一つは、
(この期に及んでまだ)県で一番の
進学校を卒業したという事実です

この二つが理由で、僕は浪人をし、
友達のほとんどが進学した地元の有名大学を
目指すことにしました。

ただ、この決意はすぐに脆くも崩れます。

予備校もさぼるようになり、
毎日パチンコとスロットばかりの
毎日を過ごすようになりました。

お金がなくなると、
部屋でお気に入りの音楽をかけて
暴れていました。

今も実家の部屋の壁は、僕が暴れて
穴を開けるたびに、母親が修理をして、
ツギハギになったままです。

この頃の僕は、

「親のせいでこんな人生になった」
「好きなことをして生きていきたい」

ばかり考えていました。

そんなときに、ふとしたきっかけで、

「そうだ、もう今までのことは無かったことにして、これからは自分の意思で全てを決めて、それら全てを自分の意思決定の結果として受け止めよう」

と決意しました。

それから、みんなが進学した大学ではなく、
自分が納得したことが出来る大学に、
進学することにしました。

正直、世間的には、僕の出身高校から
進学するような大学ではなく、ましてや、
一浪をして進学するような大学でもないです。

反対をする人はたくさんいました。
親に謝れとも言われましたw

それでも、僕は自分で決めると決めました。

それからの人生はまるで今までと
違ったものになりました。

自分自身活力に溢れ、
自分で決める道は時に厳しくも楽しく、
次々に新しい世界が開けた気がします。

友達からは、人が変わるって
こういうことなんだ、と言われ、

両親からは、あれだけ勉強しなさいって
言ってもしなかったのに、今は勉強やめなさいって言ってもやるのが不思議でしょうがない、
と言われました。

結果、大学最後の四年目は、
イギリスに留学をし、
本当に沢山の勉強と思い出ができ、
今もそのときの友達の繋がりに
支えられています。

※余談ですが、楽天を選んだもう一つの理由が、この留学で卒業が半期遅れたことでした。当時は通年採用の会社が少なかったのです。

こんな経験をしていく中で、

「自分で決めること」
「好きなことをすること」

への確信は強まっていきました。

一方で、大学時代にたくさんの人に出会い、
たくさんの経験をし、たくさんの話を聞き、
たくさんの価値観に触れることで、
一つの疑問も湧いてきました。

それは、好きこそ物の上手なれ、
の精神で学生生活を過ごしましたが、
果たして本当に

「好きなことをやることが、
物事が上手く行く理由なのか?」

ということでした。

滑り台を滑って、大人に褒められ子供が、
すぐにまた滑り台を滑る。

そのこと自体は悪いことではないですが、

ずっと滑り台を滑っては、より楽しい遊びは
出来ないし、褒める大人がいないと、
果たして滑り台は楽しめないのか?

と、ふとしたきっかけで考え始めました。

変な例え話になりましたが、

好き→取り組む回数が増える→得意

純粋にこのサイクルであればいいですが、
この「好き」の手前に、

得意→好き→取り組む回数が増える→得意
or
苦手→嫌い→取り組む回数が減る→苦手

という要素が強く存在するのであれば、
別に苦手であっても、徹底して取り組めば、
好きにも得意にもなれるし、何より、
そうしないと人生損するなと思ったんです。

そのときの僕は、ITリテラシーやITサービスのノウハウが0で、しかも、人とのコミュニケーションやチームワークで課題を解決する経験はなくて(つまり苦手)、同時に、得意になりたい!と思っていたので、新卒として、1社目に楽天に入社することにしました。

長くなってしまってすみませんw

次回は、新卒として楽天に入ってどうだったか、の話を書きます。




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