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とぅーとぅるりー

「H君(僕の弟で重度障害者)が目の前にいるのに優先席に座ったままの中年がいたの」

少し熱っぽい感じで母が話す。

重度の知的障害を持つ僕の弟は慶應大学病院の小児学科に通っており、昨日はその定期検診だった。


「気付いてるのに譲らないのってあり得ないよね。だいたい元から座らなければいいのに。優先席ってH君みたいな人の為にあるものでしょ?」

「まあ、たしかにそうかもね」

僕はいつものように曖昧な言葉で返す。

「倫理的に考えておかしいと思わないのかね。私だったら絶対に心痛くなる。」

「…ーん」

う、とも、ふ、とも取れるような発音でふわっと濁す。こうしておけば都合の良いようにあっちが勝手に受け取ってくれるから便利だ。
どうせまたいつもの愚痴だろう。


母はたまにこうした愚痴をこぼす。
いくら治安のいい日本といえど、細身の中年女性とひ弱な障害者はやはり舐められやすくて、差別とか偏見とかを感じる事が割とあるらしい。
そしてイライラが少し溜まった時には、日本社会の代わりに僕が標的となるのだ。

飽き飽きしつつも新鮮な気持ちで聞いてはいる。
なにより僕はがたいが良い方だからか、街中でそうした事を感じた事がない。
知らない視点からの情報は面白い。

だが、聞いていると段々とヒートアップしてくる。
お昼の討論番組みたいな、あんな感じ笑。
ただの感想だったものがちょっと論理的な感じを帯びてくる。
実は僕は、これがあんまり好きじゃない。

変に相手を納得させようとしているというか、自分の論調の正当性をアピールしようとしているというか、なんというか下賎な感じだ。
ディベートとか討論とか、くだらない領域に足を突っ込まなくて良いと思う。
道徳は道徳として、単独で毅然と輝いてる方が美しいのになあと思う。

春のやわらかな陽を受けて、窓の外では雲が揺れている。



とぅーとぅるりーとぅとぅーとぅるりーとぅ とぅーとぅとぅーとぅとぅーとぅとぅとぅるりり
とぅーとぅるりーとぅーとぅとぅるりーとぅ とぅーとぅりーろりーろり



「、あ、洗濯終わった。ありがとねお母さんの愚痴聞いてくれて。ちょっと寿命が伸びた気がする。」


ついに母が締めくくる。

こんな事で母の寿命が伸びるなら僕はバンバンザイですよ。

長生きしてね。

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