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戊熊夢物語

ダムの底のような空夜に乾いた音がした。


トん、


戸がわすがにゆれ、春のしめりが板の間を這うように滑り込む。

クマははっと息を呑み、気づかれないように身を起こす。

遣いを頼んだ覚えはない。

昨夜送った手紙の返信だろうか。

「なんの御用で」

戸の向こうに届く程の声で尋ねるが、返答が暗闇の中から現れる様子はない。

1分ほどの静寂が6畳の、一人暮らしのオスが住むには決して満足とは言えない貸し小屋に張り詰める。

恐る恐る近づくと、クマは鉋を引くように慎重に戸を開いた。

瞬間、むせ返るような花の香りが流れ込み、じめじめとした粘土壁の質素な部屋に彩りが満ちた。

色とりどりの花弁とともに、短歌のしたためられた手のひらほどの和紙が丸めて添えてある。

すぐにいつもの友人達からの手紙であるとわかった。

日中には真剣に木と向き合い、夜に、この手紙を読むのがクマの小さな日々の楽しみなのであった。

今晩はもう十分すぎるほど暗く、明朝に読もうと手紙を部屋に入れていくと、いくつか、見知らぬ物があった。


"手紙にてキノコを稼ぐコツ100選【有料級】"
"異動物間翻訳家 相手に伝えるコツ3個🍀"
"宵越しの金は持たねぇ かぶきものフクロウのはちみつさかな話(390どんぐり)"


これは一体何なのであろう。

見たことも聞いたこともない奴らの名前がずらと並んでいる。

キノコを稼ぐコツ、異動物間翻訳家、かぶきものフクロウ。

390どんぐりというのは読むのにどんぐりを渡さなければいけないということだろうか。

だいいち、どうして家が知られているのかクマには不思議だった。
何の繋がりもないはずだ。

検討もつかない手紙に、クマは困惑する他ない。


そしてそのどれもが、クマにとっては嘘くさく感じられた。


クマにとっての手紙とは、キノコを稼ぐ方法を知る為のものでも、肩書を自慢する為のものでもなかった。

ましてや、手紙を売ってどんぐりを得ようだなんて考えたこともなかった。
それをするには、既に、クマの過去にも周りにも遠く及ばないほど優れた手紙が溢れすぎていた。


部屋の中の友人達からの手紙と見比べた。

大好きな手紙の横にあっては、その広告とも呼べる手紙の胡散臭さはもうどうやっても隠れようがない。


しー、しー


微風が吹いた。

散り散りになった手紙のくずが、春の銀色の月光を我が物顔で猿真似している。

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