【思い出語り】弐寺の経験から学ぶ趣味の伸ばし方

思い出を書き殴り得るものを探すノート
見やすさ?知らん!元からないだろ!


このお話の前提

  • やってた音ゲはbeatmaniaIIDX(以下弐寺)

  • 自分は皆伝取るまでに6年くらいかかってる

  • 3y3sとかクロペンとかはハード取ってるけど冥易

  • スコア?知らん。

  • 一年とか全くやらなかった期間がわりとある

  • 幸いにも友達に激ウマプレイヤーさんがいた

  • 幸いにも競える人がいた

弐寺のお話

どうでもいい方は飛ばそう(提案)

弐寺のきっかけ

自分は元々ダンシングおにぎりから音ゲに入っています。
それこそ幼少期はGB版beatmaniaとかもやってましたが、ガッツリ触ったのはダンおにが初めてです。
某ダンおに製作者さんの所で殿堂入りを果たして、そこからstepmaniaへ。
そこそこ気の狂った譜面はクリアできてた気がします。(BPM200越えの16部が一生降ってくるとか)
その時No.13に出会ったのです。(stepmaniaではやってないけど)
このスーパーかっこいい曲どこの?となり、弐寺の10thで出た曲だと知り、当時はコントローラもなんとか売っていたので、CSDJTも購入し、家庭用から弐寺に入りました。
初段が取れた頃初めてACに触りました。ただただ楽しくていろんな曲をやっている間に初段まで辿り着きました。(CSGOLDとかCSEmpressとかも買ってる)
その間AC触ってません…w
ACはEmpressで初めて触りましたが、ACをちゃんと触り出したのはSiriusからだったと思います。
ちなみに、この当初から自分の目標はNo.13をクリアする。でした。
あれよあれよとのめり込んじゃいました。

1発目の壁

そんなのめり込んで遊んでいても壁は来るのです。
自分の一発目は六段です。
この頃になると、露骨にできるレベルが進まなくなってきて、だんだん飽きてきました。
ついにはほとんどやらなくなったのです。
その間約1年。
とはいえ、きっかけは忘れましたがやりたくなったので結局始めました。
六段取得前後はひたすらいろんな曲を楽しんで他と思います。

2発目の壁

九段十段です。
八段までは色々な譜面、やりたい曲をただただ増やしていくことを繰り返すだけで済んでいましたが、この頃になるとそうはいきません。
むしろできない曲を積極的に選曲してかないといけません。
CSでやっていない譜面もあったので、その頃は全ての譜面に手をつけていましたし、1日8時間やった日もありました。
この頃からただ楽しく遊ぶという考えから上手くなるには…と考え始めた頃です。
ちなみに十段のよくある基準は穴クエSPAフルコンが安定するレベルという認識です。
この頃からネットで知り合った方や、お店で知り合った方と話したりして、ライバルにも恵まれました。

3回目にして最大の壁

皆伝です。
むしろここまでチュートリアルだったと言ってもいい。
十段から皆伝というのは本当に歴然とした差があります。
前2曲はまだしも、皆伝常連の卑弥呼SPA、幾人もの人を挫折させ続けてきた皆伝の代名詞冥SPA。
冥に至っては、冥をクリアするためには冥をやるしかないという文句まで生まれるほど、弐寺erにとっての登竜門です。
その頃は大学生で、幸いにも自分の周りには、発狂皆伝のやばい友達がいました。ちなみにその人の友達も発狂皆伝(しかもさらにこの人の知り合いはoverjoyとのこと)、発狂八段という化け物揃い。
自分なんかハイハイ覚えたての赤ちゃんです。
プレー見せてもらってもうますぎて参考にならないんですよね。プロは難しいことをさも簡単かのようにやってのける。
その方にプレーを見てもらい、運指は上手い人(ランカーらしい)にそっくりだからそのままでいい、高BPMの譜面を積極的にプレーすることと10万ノーツ1日やれ、スコアなんか後でいいどうせ押せなきゃ(※)スコアなんかでないとアドバイスもらいました。
(※この「押せなきゃ」というたった一言ですが、非常に濃縮された一言です。要は一切の誤りなく認識し、正確な自分が思う完璧なタイミングで体を動かせることは大前提という意味になります。)
そしてそれを目標に発狂譜面を叩いては認識力の向上、手の神経の発達を狙ってひたすら継続してました。少しでもミスを減らす事に努め続けました。また、もう少しでできそうにはひたすらチャレンジです。(といっても粘着はせず、またやるかーって感じで忘れないようにやる感じ)
一つのクリアは自分の一つの実績としてニコニコします。
ただ、怪我(腱鞘炎とか)するほど追い込んだことはありません。痛い時とかはいい結果が絶対出ませんから、痛かったらやめます。悲鳴を上げる所は、主に手首手前と目です。
で、続けているうちに皆伝が取れました。
辛くもありましたが、結局楽しんでやっていたと思います。その証拠に、自分は俗にいう外れ譜面(ランダムで押しづらい配置)をむしろ喜んでました。経験が増やせるぞと。
十段までより、十段から皆伝の方が長かった気がします。(というかそれが普通だと思います。当時中伝なんてなかったですしね。)

引退

ゲーセンの廃業が進むなど、理由は色々あるのですが、一番の理由はNo.13が鳥コンできたことです。
弐寺を始めたきっかけの曲で満足いく結果が出せたので気も抜けたんだと思います。

結局何を学んだん

飛ばした人は理由は上から探せ!置いてきたはずだ!

  1. 継続することの必要性、ただしモチベがないならいっそやらない

  2. もうちょっとでイケるにチャレンジし続ける

  3. 何よりも楽しむ

  4. 小さな成功を喜び続ける(当たり前だと思わない)

  5. やる時は真剣にやる

  6. 失敗した譜面は何が悪かったか考える

  7. 難しいことを喜ぶ理由を持つ

  8. 怪我はしないこと

  9. 実力者のアドバイスは、経験を濃縮した特製エキス

  10. 仲間がいることは嬉しいし楽しい

  11. 見てるだけじゃうまくはなれない

  12. スコアよりクリアを目標にする(クリアできなきゃスコアも出せない)

おまけ

実はNo.13を知ったころ、SPAの譜面を動画で見たことがありました。
正直、あ、これクリアできるようになるかも。となぜか謎の自信がありました。
多分気持ちって大切なんだと思います。

おまけ(宣伝編)

esportsが白熱する昨今、KONAMI公式のBPLというプロリーグがあり、各ゲームセンターなどのチーム所属の選手がしのぎを削り争っています。
弐寺というとKAC(KONAMI公式全国大会)の絶対的王者、魔王DOLCE.が代表格なイメージですが、DOLCE.選手の他KACに出場し名を上げたU*TAKA選手やMIKAMO選手(アイドル)、pop'n music出身なのに弐寺でも圧倒的なパワーを見せるTATSU選手(pop'nはずっとKAC優勝を守り続けるpop'nの神、伝家の宝刀Chaos:Q)やDINASO選手(TATSU選手と毎回熱い勝負を繰り広げる悲しいかな永遠の銀冠、フィーバーロボの運転手)、最近では音ゲー激うまな韓国からの刺客KKM*選手など、実に熱いハイレベルな戦いが見られます。
esportsはMOBAや格ゲー、FPSなどたくさんのジャンルがありますが、ぜひ一度音ゲーの大会っていうのも覗いてみては?
大会の選手の出場権や選曲などルールはありますが、選ばれた曲を選手の1v1で結局「どちらがスコアが出せるか」というルールでしかなので見やすいと思います。
なによりかっこいい曲がたくさん知れます。
弐寺の他にも、公式リーグではsoundvoltexもございますゆえ、ぜひそちらもご覧ください。
本気でゲームという娯楽に挑戦する選手たち、多分皆さんが思っているよりもずっとかっこいいですよ。

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