『愛のある指導』は「いい感じの武器」をつくる

昨日の記事で、ざっくりと「価値観の押し付けになる『怒り』をぶつけるのではなく、愛のある『指導』ならオッケー!」というようなことを書いたのですが、この「愛のある指導」って一体なんぞ、という部分について少し掘り下げたいなあと思ったので、補足の意味も込めて記事を書いています。

『愛のある指導』は夜の校舎の窓ガラスを割らせない

いきなりなんのこっちゃと思われると思うのですが、尾崎豊さんの有名な歌に「卒業」というものがあるじゃないですか。その中に、「夜の校舎の窓ガラス壊してまわった」という歌詞があるのですが、普通に考えて夜の校舎の窓ガラスを壊してまわるのってただのやべー奴ですよね(笑)。普通に「そこに窓ガラスがあったんで割りました!」ってなる人ってそうそういないと思いますし。登山家にとっての山じゃないんだから。

つまり、この歌詞の中を生きる青少年には、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわる「理由」があるわけです。まあ、理由があるからといって破壊行為をしていいかというのはさておき。

歌詞をよくよく追うと、この青少年は「行儀よくまじめになんかできやしなかった」んですね。その「行儀よくまじめにしろ」という「価値観の押し付け」から自由になりたくて、でもできなくて…という葛藤があって、その気持ちの表現の先が「夜の校舎の窓ガラスを割る」という行為に走らせたわけです。つまり、「価値観の押し付け」さえなければ窓ガラスは無事だったんです。実際に行動を起こしたのは青少年ですが、元をたどればその原因は「行儀よくまじめに」が「絶対正しい」とする人間(この場合は教師ですね)なんですよね。

しかし、「窓ガラスを割らせないためには、行儀よくまじめにしろと言わなければいい」というのはあまりにも短絡的というか、暴論ですよね。確かに抑圧からは解放されるかもしれませんが、解放された結果として獰猛な動物ができあがるだけという結果に終わるかもしれません。そうすると、下手をすれば窓ガラス以上の被害が出る可能性もあるわけです。そこで、どうやってその被害をなくし、なおかつ相手の感情を満たして納得させるか。それが『指導』だと思うわけです。

最後に「そんなあなたが好き!」をつける効能

じゃあ、指導ってどうすんだよ〜〜!?という話だと思うのですが、わたしは「できないこともあるよね、でもそんなあなたもまるっと好きだよ」とちゃんと伝えてあげる、ということが結構大切なんじゃないかと思っています。

別に、言葉は必ずしも「好き」である必要性はなくて、「いいよね」とか「面白いよね」でもいいんです。要は締めくくりにポジティブなワードを持ってくること

というのも、人間というのは前半の言葉より後半の言葉の方が印象に残りやすいそうなんです(何かで読んだんですが、出典が思い出せず…すみません)。

これ、個人的にも結構納得感が上がると思っていて。わたしは新卒のときに入社した会社の上司をいまだにめちゃめちゃに尊敬しているのですが、今思えばその上司の「指導」のやり方がこれにとても近かったんですね。ミスをしても決して声を荒げることもなく、笑いながら「お前はちょっとこういうところがあるなあ。でも、お前のこういうところは俺はすげえと思ってるよ。そういうお前のいいところ見てるやつ、ちゃんといるから。少なくとも俺は見てるから」と言ってくれまして。そのあとに具体的なミスの対策を一緒に考える、という方向で指導してくれてたんですよね。

こうやって「ポジティブなワードを織り込み」つつ「解決策を一緒に考えてくれる」と、自分のいけないところもすんなり直そうと受け入れられるし、自己肯定感も下がらずに済むんだな、と。しかも「俺は」という言葉をつけることで、「あくまでこれはこっちの思いであって、お前がどう受け取ってくれるかはお前に任せるよ」的な「余白」をくれる。本当に「愛のある指導」だったなあ、と思います。

わたしも今はその職場を離れてしまったし、上司も別の会社に行かれてしまったと聞いているので連絡をとる術がなく、意識的にされていたのか無意識にされていたのかはわかりかねるんですが、わたしは上司のそういうところがとても好きだし尊敬してたし、後輩を指導するときも同じようにしていました。

ちなみに逆バージョンを今の職場で経験したんですが、「あなたはこういうことができるけどこんな嫌なところがあるよね、何が言いたいかって言うと、あなたのことが嫌いなんだけど!」とだけ言われて放置され(ちなみにこれ、身バレ防止のために実際よりかなりマイルドに表現しております)、後半の「嫌い」だけがわたしの心を突き刺した結果、会社の窓ガラスを割る代わりに自分の胃の壁を割ってしまいました。あ、ここ、笑うところです。

しかし本当に、言葉の順序と選びかたって大切だなと思います。それによって、本人は「指導」したつもりでも、「暴力」になったりしますからね。世の中に蔓延るパワハラってこういう風に出来上がるんだなあと思ったので、いい経験をしたと思…うわけねーだろ不愉快とかお前の感情を押し付けるなこんにゃろう(こうやって心のヤンキーを適度に出してみてください)。

とまあ、わたしの胃の事情はさておき、ちゃんと言葉を選びつつ、でも最後に「あなたのこと、わたしは好き。だから一緒に頑張ろう」とつけて伝えてあげることが、「指導」なのかなあ、と、個人的には思います。

『愛のある指導』は『丁寧なやすりがけ』の作業に似ている

誰だってダメダメな部分もあるけれど、でも絶対、いい部分もあります。そのいい部分って、めちゃくちゃ尖ってて刺さりそうになってる場合もあるけれど、「指導」でちょっとだけやすりで先端を丸く削ってあげることで、めちゃくちゃいい感じの「武器」になるんじゃないかな。窓ガラスを割らない程度の。

少なくとも、わたしはその「いい部分」を「好き!」と伝えられる人間になりたいなあ、と思っています。

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