祝福に満ちた「素晴らしき世界」になりますように。

一昨日から昨日にかけて、わたしのメンタルは死んでいた。言わずもがな、嵐の活動休止騒動によってである。

以前にも書いたと思うのだけれど、わたしは昔、嵐のオタクだった。

わたしが一番熱を込めて彼らを追っていた時期は、2001年〜2014年あたりだと思う。横浜アリーナにも東京ドームにも国立競技場にも何回も通ったし、北海道や名古屋、仙台といった地方にも行った。下手したら1シーズンのツアーに10回以上行っていた。「同じコンサートを何度も観てどうするの?」と周囲にはよく言われたものだったけれど、わたしにとって同じ公演など一度もなかった。確かに曲目や衣装は同じかもしれない。でもMCは毎回違うし、演出が微妙に変化していることもある。何より彼らは「生きている」。同じ表情、同じ息遣いは二度と感じられない。わたしは「その時」を生きている五人に会いに行っていたのだ。

勿論、ドラマや映画の彼らも、バラエティの彼らもすきだった。でもわたしはやっぱり、コンサートが一番すきだった。国立競技場で空のグラデーションをバックに歌う姿、ムービングステージで足元を覗き込んでにやりと笑う姿、一瞬のメンバー同士の目配せには、確かに信頼感が見えた。美しい瞬間がたくさんあった。

何より嵐はわたしの青春だった。十代の殆どを彼らを追いかけることに費やした。彼らの曲に泣いて笑った。励まされた。夢や希望をもらった。

働き始めたことやコンサートのチケットが取りづらくなったこともあり、次第に彼らから遠ざかっていった。近年はもうテレビ番組を観ることもなければリリースされた曲もわからないし、何のCMに出てるのかすらわからない。でも、彼らの存在はいつも心の中にいて、大きな支えになってくれていた。それはきっと嵐が、わたしの人格形成に大きく関わっていたから。人が良く、仲間を思いやる気持ちがある人がいる。それを教えてくれたのが嵐だった。いつしか、嵐がしあわせならそれでいい、と思っていた。一昨日までは。

でも嵐は嵐なりに、激動の時代を歩んでいたのだ。

彼らが話し合いを始めたのは2017年だという。それから2年近くが経ってからの、今回の発表である。その間も彼らは「アイドル」として、人々の「偶像」として、笑顔を振りまいていたのだ。その奥にいる「リアル」の彼らは何を思っていただろう。わたしたちには知る由もないし、きっと彼らも知られたくはないだろう。だからこそ会見でも、「嵐」のスタンスを崩さなかったのではないだろうか。

「(喧嘩したって)書きたそうですねえ?(笑)」「嘘でもしときゃよかったな〜喧嘩(笑)」とか、

「ひっくり返りました(笑)」「僕の右隣でひっくり返ってたよね(笑)」とか、

「印象に残ってることなんてあるの?(笑)」とか。

兎に角笑いに溢れていて、悲壮感なんてなくて、よく知っているいつもの「嵐」だった。

その姿を見て、大丈夫だ、と思った。いつまで休止するのかはわからない。でもきっと彼らはまた、戻ってきたときに同じように笑って、同じように笑わせてくれるだろう。

わたしは嵐のアルバムでは「One」が一番すきだった。2005年にリリースされたこのアルバムは、彼らがまだ国民的アイドルと呼ばれる前のものだけれど、収録曲は総じて名曲である。このアルバムを提げて行われたツアーも素晴らしくて、唯一映像化されていないのが残念だ。(正確には翌年リリースされたアルバムの初回限定版にダイジェストDVDがついているのだけれど、恐らくもう手に入らないだろう)

わたしはとりわけ、そのツアーのラストを飾る「素晴らしき世界」という曲が大好きで、毎公演涙を流していた。改めて聴いても素晴らしい楽曲だと思う。離れて行ってしまう人の幸せを祈る、明るさの中に切なさが混じった歌だ。泣いて笑って、それでも明日を夢見てしまう、という歌詞は、今の嵐に、どこか重なる部分を感じる。

願わくば、これからの五人の世界が「素晴らしき世界」でありますように。


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