01岐阜県恵那市_岩村カステーラ054

岐阜県岩村町に残る謎の「元祖カステーラ」

岐阜県恵那市の岩村町に、不思議なカステラがあるのを知っていますか?

その名も「元祖カステーラ」。

唐突ですよね。

カステラの本場は長崎だとばかり思っていたので、岐阜県が元祖を掲げているのを、とても不思議に思いました。

カステラは室町時代(1540~50年代頃)にポルトガルから長崎に伝来した南蛮菓子で、鉄砲やキリスト教といっしょに日本にやってきました。

そして現代にいたるまで、カステラといえば長崎。2015年度の年間消費量もダントツで長崎県です。

なぜ伝来の地であり、当時の海外との拠点の交易地長崎から遠く離れた、岐阜県の小さな町にカステラの元祖が残っているのでしょうか?

謎の「元祖カステーラ」を追って、岩村町に行ってみました。

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【目次】
1. 江戸情緒の残る岩村の城下町
2. 「元祖カステーラ」を販売する3軒の和菓子屋
3. 効きカステラ試食会
4. 「元祖カステーラ」は岩村町固有の食文化になった

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1. 江戸情緒の残る岩村の城下町

▲『いわむら 元祖女城主の里』パンフレットより

岩村町は、日本三大山城として名高い岩村城の城下町だ。

鎌倉時代(1185年)に築城され、明治6(1873)年に明治維新の廃城令によって解体されるまで存続した岩村城は、標高717mの日本最高地に築かれた山城である。

岩村城には井戸がたくさんあったそうだが、城主専用の霧ヶ井という井戸は、敵が攻めて来たとき、城内秘蔵の大蛇の骨を投げ入れると、たちまち雲霧が湧き出て城を覆い尽くし守った、という伝説があり"霧ヶ城"という異名もある。

また織田信長の叔母とされるおつやの方の、"女城主"としての悲哀物語も語り継がれており、「女城主」という名前の地酒が作られるなど、観光資源になっている。

▲『いわむら 元祖女城主の里』パンフレットより

1998年4月にはメインストリートになっている岩村本通りが、商家の町並みとして、岐阜県で3番目、全国では48番目に国(文化庁)の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

岩村は江戸時代に東濃地方の政治・経済・文化の中心として栄えた城下町で、保存地区は城下町の町家地区として形成された町の形態と近代の発展課程を伝える町家群が周辺の環境と一体となった東濃地方の商家町として、特色ある歴史的景観を良好に伝えています 。

恵那市観光協会HP え~な恵那「岩村 歴史の街並み(重要伝統的建造物群保存地区)」より引用

というわけで、街並みはすっかり観光地の装い。ちゃんとしています。本通りを歩いていると頻繁に観光客とすれ違う。

▲水野薬局

1882(明治15)年に、自由民権運動の板垣退助が岐阜で襲撃され、かの有名な「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだといわれている事件の数日前に、この水野家に泊まったという由緒ある旧家。

歴史的な価値もさることながら、オールドスクールな薬局としても観察しがいのある物件だ。

▲現役感があるのが高ポイント

クラシックなものだけで統一されていると、ややもするとつまらない印象を受けるが、現役感があってきちんと時代とシンクロしていると、がぜん面白く見える。

ここに貼られると現役のポスターですら、嵐の桜井くんも、スケートの真央ちゃんも、昭和のアイドルかと思うほど時代がかって見えるのが不思議だ。

▲ショーウィンドウもいい

古い商店街などで見かける昔ながらの薬局のディスプレイには、気合いの入ったものも多いが、ここは実にお見事。

▲陸軍の軍医が太鼓判を押す目薬か?

「眼病一切によし」薬局における力強いフレーズというのも、薬局観察の楽しみのひとつである。

江戸っぽい街並みを観察しながら本通りを歩いていると、お目当ての「元祖カステーラ」を販売している和菓子屋が3軒も出てくる。お城から近い方(つまり駅から歩いていくと逆になる)から順番にいうと、〈松浦軒本店〉、〈かめや菓子舗/カステラcafeカメヤ〉、〈松浦軒本舗〉の3軒である。

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