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音のない雨(5)

GWで姉家族が帰省してくる。
お正月は私の体調が悪すぎて断った。
だから今回は断らなかった、
のだと思う。
お正月と何ら変わらない不調。
一泊にしてもらったから、と
恩着せがましく言わないでほしい。
私の望みは独りで泣きくれること。

一人暮らしはしたくない、
寂しがり屋の母が言う。
私は独りで構わない。
けど母が心配で、独りを選べない。
なのに、
アレをしてない、
コレをしてない、
どうしてしないの、と
母に問い詰められる。
私はしなくて構わない。
むしろそれは母のこだわりの部分。
しない人がごまんといる事柄。

それらを、
母と暮らしているから、
私にも強いられる。
母と暮らさざるを得ないことが、
たまに憎たらしくてたまらない。
私が如何に体調が良くないのかを
母は理解しない。
大丈夫に見える私が悪いのか。
やらないと困るでしょう?と、
母は言う。
けど、その物差しは、
母のもの。
私はしなくても一向に困らない。

生存に必要な《食》とかなら、
強いられても仕方ない。
けど、
母の快適さのための事柄を
強いられていることに苛立つ。
それを言うと
いじけてしまう母を見て、
私が最低なんだと思ってしまう。
いや、私は最低なんだろう。

こうして、
小さなすれ違いや、
価値観の違いに、
すり減っていった私が、
唐突に爆発する。
泣き喚く、叫ぶ。
母は驚きでいっぱいの顔をする。
何が起きているのかさっぱりわからない、
そんな顔をする。
私は疲れ果てているのに、
事の経緯を説明する。
何度繰り返せば良いのだろう。

疲れた、疲れた、疲れた。
そうは言っても、
私は母を見捨てたりできない。
だから母に文句を言えやしない。

GWに姉家族が帰省する、
そのための準備に参加できない私を、
母は責めるかのように。
私は姉家族を
もてなせるような状態じゃない。
だから準備にも参加できない。
気づいてほしい。

どうしてか、
最低限のことをしていると、
それ以上もできるでしょうと
要求される。
最低限のことなら何とかできそうで、
最低限のことだけ何とかしただけなのに、
それ以上を期待しないでほしい。
本当なら、
最低限のことすら
無理して頑張ってしているの。
最低限のことすらせずに
休みたい。

あなたと私、母と娘で
最低限の限度に解離があることで、
お互いにストレスが溜まってる。
当たり前にすべきことの認識に、
解離があることで、
お互いにストレスが溜まってる。
私はあなたの快適のために
いるんじゃない。
あなたのためだとか言って
私にそれらを強いないで。
それは私の快適じゃない。

それでも、
もし私の心身が健康だったら、
今回のGWも
姪姉妹と遊んであげられたのに。
精神疾患でなかったら、
社会人をしていたら、
お年玉を上げたり、
誕生日プレゼントや、
クリスマスプレゼントを。

性被害に遭っていなかったら、
姉の《夢》であった
『ママになる』が叶うこと、
姉の妊娠と出産に、
姪姉妹の誕生に「おめでとう」を
言えただろうに。
私は生まれたばかりの二人に、
抱きたくはなかった感情を
抱いてしまったから。
いつまでも、いつまでも、
申し訳なくて。
まるで、罪と罰。

何の罪もない、
生命の姪姉妹に、
私はなんて最低な感情を。
私が生まれるに至った工程を
嫌い憎み厭うだけなら、
私の誕生を否定するだけなら、
構わない。
けれども、
姉の《夢》や、
せっかく世界に生まれてきた
姪姉妹の笑顔を、
こんなにも健やかな成長を、
こんなにもしなやかな生命を、
受け入れられないこと。

助けてほしい。

生命の誕生を、
神秘だとか、
美しいだとか、
嬉しいだとか、
幸せだとか、
思えなくされたことが、
本当の本当に、

憎い。


4月30日のTwitterより。
加筆修正をして。

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