藍のメモ3

かーさんが泣くと、暗くなる。空気という話ではなく、この世のまるですべてが、かーさんの力で成り立っているかのように、何もかもが暗くなる。

かーさんが泣くのは決まって、紺とぶつかったときか、恋人と何かあったときだ。理由が明確なのは、悪いことではない。ものごとは、なんでも単純明快なほうがいい。

「かーさんはナルシストなのよ」

紺が吐き捨てるように言う。今回のそれは、紺とぶつかったことによるものだ。どうということはない。あまりに、多いから。

「ひどいわ、紺ちゃん。ママにどうしてそんな言い方するの?」

かーさんはさめざめと、映画でも見ているかのような涙の流し方をする。美しく、可憐なぼくらのかーさん。

「酔ってるのよ、自分に。自分だけが悲しいみたいな顔して」

「悲しいもの。紺ちゃんがわかってくれなくて、ママは悲しい」

「わかってくれないのは、かーさんよ」

ぼくは黙って、ホットミルクを飲む。きれいに皮を剥かれたりんごは、少しだけ塩水の味がする。しゃく、と音を立ててかじる。みずみずしくて、果汁がはねた。

かーさんと紺の言い争いは、当然今に始まったことではなく。紺が小学校高学年(すなわちぼくもそうだ)になった頃から、しょっちゅうと言っていいほど繰り広げられている。よくもまぁ飽きもせず、と正直ぼくは思っている。

「藍ちゃん。藍ちゃんはどう思うの?ママがいけない?」

まっすぐにぼくを見て、涙でうるんだ瞳を隠そうともしない。息子にもこうなのだから、ぼくはだんだん女性というものを信用できなくなっている。

か弱く儚い自分を見せ、女性であることを武器にする。かたや、己の感情に正直で時に手がつけられなくなる。烈火のごとく。

こんな正反対の2人の女性の中で育って、どうしてぼくが心から女性を愛せるというのだろう。

女性はわがままで、自分勝手だ。理不尽で、ナルシストだ。そこが可愛らしいところでもあるのだけれど、ぼくはもう、女性はそういうものだと思っている。男は、彼女たちを守り、受け入れるしかないのだ。

「ぼくはよくわからないけど、かーさんはもう泣かないで」

かーさんにティッシュを渡す。真っ白なティッシュカバーのついた、小さな箱。

「紺は落ち着いて。そんなに苛立つことはないよ」

テーブルの上にあった、小さな個包装のチョコレートを投げて渡す。チョコは、紺の精神安定剤だ。

落ち着いてるわ、と紺は口をとがらせて自分の部屋に向かう。紺は、ぼくに当たり散らすことはしない。だからこそぼくも、言い方を考えなくてはならない。強く言うほど、紺は逃げ場をなくしてしまうだろうから。

藍ちゃん、ごめんね。かーさんはいつも謝る。謝るくらいならやらなきゃいいのに、とも思うけれど、そうもいかないのだろう。

かーさんがすぐにいつも通りのかーさんに戻るのに対して、紺はきっと布団にくるまれて顔も出さない。母娘なのに、どうしてこうも似ていないのだろう。そしてぼくは、どうしていつもこんな役回りなのだろう。

紺の部屋のドアをノックする。返事はない。入っていいしるし。案の定、布団にくるまれている。やれやれ、とぼくは小さくため息をつく。紺なりに反省しているのだ。かーさんに言いすぎたことを。

ベッドに腰掛けて、ぽふぽふ、と布団を叩く。

「…かーさんにはあとで謝るわ」

いつもそれくらい素直ならな、と、ぼくは思わず笑う。女性はなんと厄介な生き物なんだろう。

荒井もこんな風に、厄介なのだろうか。

#ハコニワ #noveljam #小説

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