「なりたくない」にならないために。

なりたい自分はあるだろうか。
前向きに「こうなりたい」という理想は描けるだろうか。

「今はない」
「わからない」
それならそれで、無理しなくていい。
ただ、気を付けてほしいことはあるので、それについてちょっと触れる。


・ゴールを描くならできるだけ明確なものにした方がいい

ぼんやりした目標のままだと、努力の方向性が定めにくい。
スモールステップを設定しようにも、
区切りどころがわからなければ、設定しようがない。
いきあたりばったりでも何とかなることはあるだろうが、
それは単にとても幸運なだけで、毎回そうなる保証はない。

あと、
「達成できたらその後は虚無になるのでは?」
と思ってしまう人もいるらしいが、
その時は目標を新しく立てればいいだけだし、
今の自分では目標達成は厳しい、ということがわかったならば、
必要に応じて調整や修正をしたっていい。
何度でも、何個でも、目標を掲げていいのだ。
挑戦は、自由に柔軟にやっていい。


・努力の方向性は間違えない方が楽になれる

「努力すれば報われる」という言説は、
一部は正しいが、絶対に適用される程のものではない。
方向性を間違えた努力は、目的地に辿り着くには非効率的なものなのだ。
ある程度「無駄な努力」になってしまう。

目標達成のために必要なスキルXがあり、
スキルXの獲得のためには、
伸ばしたい能力値Aを上げる必要があるとする。
能力値Aを上げたいのに、
能力値Aを下げて能力値Dを上げる育て方をすると、
「その頑張り方では手が届かない」ことになる。
必要な部分に経験値が入らないからだ。

最終的に、他のスキルは身に付くかもしれないが、
それが活かせる道に進めるかどうかについては、
後々になってみないとわからない……
というギャンブル性を抱えることにもなる。

「とにかく何でもやった。やってきた物はなにひとつ無駄にならなかった」
と言える所まで来る前に、
「経験しなくてもよかったイベント」を通過してしまうことで、
道半ばにして心が折れてしまう人も多い。
努力云々には、多少生存バイアスが含まれているのでは、と箱は思っている。


・「なりたくない」は目標にしない

何故かと言うと、人間の脳には致命的なバグがある。
なりたくない物を何度も思い描き考えると、
「繰り返し何度も考えるということは、自分がそうなりたいからしているのだ」
という学習をしてしまうようになっている。
「たくさん復習するくらい覚えたいんだよね?」
脳はそう捉えて、どんどんそれを反映させる。

気が付けば、なりたくなかったそれと同じものになっている。
やりたくなかったことをする自分になっている。
それはとても悲惨だよなあ、と思うので、できたら回避してほしい。

「なりたい」を思い描こう。
「なりたくない」よりも優先される「なりたい」を。
そうして「なりたい」方向を見て、そちらに向かって努力をする。
そのうち「なりたくない」は考えるまでもない状態になる。
その時にはもう「なりたい自分」があるのだから。




余談にはなるが、この手のゴリゴリした諸々を書いている時は、
並行して、確認のために色々調べながらやっているのだけども。
ゲームとかのシステムみたいに例えるやり方は、
近年では「ゲーミフィケーション」という手段として使われているらしい。
へー、と思ったし、ひとつ知見が得られた気になった。

↓こういう概念になっているらしい。知らずに使ってた。

この記事が参加している募集

最近の学び

あなたのひと押しが箱を少し長く生かします。たぶん。 活動が長続きすれば、話せるものも増えるかな。 まあ、お好きなように。強制はしませんよ。