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耐冬花

「登場人物」
京(みやこ)なごみ
喫茶店の娘
東(あずま)けい
東父
郵便屋
「舞台設定」
架空の大正時代

けい(ナレ)
彼女と出会ったのは、ある街の学問所だった。
当時父親が全国を転々とするような職についており、私と母もそれに付き従って引っ越しを余儀なくされる日々だった。
その街での滞在予定も、ひと冬だけ。
父は研究者で、どんな環境においても子を学問から離すことだけはしなかった。

けい父「今年の冬はここで過ごすことになる。先生は私の友人だから心配することはない。存分に学びに励みなさい。首都に呼び戻すときには手紙を送る」
けい「はい、父上」
なごみ「あら。先生にお客様でしょうか。こんにちは」
けい父「いや、今日からお世話になる東(あずま)です」
なごみ「まあ!先生がおっしゃっていたわ。新しい生徒さんがいらっしゃるって。どうぞお入りになって」
けい父「それでは私はこれで。お嬢さん、よろしくお願いします」
けい「…よろしく、お願いします」
SE【引き戸】【若者の声】
なごみ「お名前はなんとおっしゃるの?」
けい「けい。あずま、けいです」
なごみ「あずまさま。申し遅れました。京(みやこ)なごみと申します」
けい「なごみさん。よろしくお願いします。それから、けいでいいですよ。…この冬だけだけれど」
なごみ「各地を旅されて来たのですか?」
けい「うん。父親が研究者で。各地の研究所や観測地点を転々としているので」
なごみ「そうなのですね。ひとつのことに夢中になれる人生。さぞかし素晴らしいものでしょう」
けい「そうかもしれない。家族は振り回されっぱなしだけれどね」
なごみ「けいさまも将来は研究者に?」
けい「そのつもりで大学は受けるよ」
なごみ「素晴らしい目標でございますね。わたくしもこのように、毎日学問に励んで、そんな日々を送っていければどんなに良いか」
けい「大学を受ければよいのでは」
なごみ「……そうですわね。あら、先生がいらっしゃったわ。机は自由ですから、お好きなところをお使いくださいませ。それでは」

SE【街中】【雑踏】
けい「この街に来て一週間か。なんでも揃っているし地方都市としては便利がいいな。欲しい本もすぐに入荷していたし」
(買った本を抱えなおす)
けい「少し休憩して帰ろうか。喫茶店があるな」
SE【カランコロン】
娘「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」
けい「珈琲をひとつ。あたたかいもので」
娘「かしこまりました。少々お待ちください」
けい「窓際が空いているな。眺めもいいし、あそこにしよう」
(腰かける)
けい「さて先ほど買った本でも確認しようか。西洋からの知識は入ってくる一方で、学んでも学んでも追いつかないな」
娘「お待たせいたしました。珈琲になります。伝票はこちらに」
けい「ありがとう」
けい「瓦斯(ガス)の仕組みと利用。街灯の普及。なるほど…」
(ページをめくる)(しばらく時間がたつ)
けい「ああ。時間を忘れていた。日がもう落ちてきているな」
(カップの音)(残ったコーヒーを飲み干す)
けい「…?雪か。参ったな。降ると思っていなかった」
けい「自分が濡れるのは構わないけれど、本が」
SE【窓をコツコツ】
けい「なんだろう。傘を差した人が外に。……なごみさん?」
SE【カランコロン】
なごみ「こんばんは!偶然お見掛けしたもので、つい。お邪魔でしたか?」
けい「いや、全然」
なごみ「今日は学問所はお休みでしたから、奇遇でございますね」
けい「そうだね。なごみさんは何かの帰り?」
なごみ「ええ。少しおつかいを頼まれまして。出掛けに雪がちらついていたものですから。いま急いで買ってきたところでございます」
けい「そうか。僕ももう帰ろうと思っていたところで」
なごみ「さようでございますか!…あら、けいさま。傘はお持ち?」
けい「いや、僕が出た時間にはまだ降っていなかったから。でもすぐ近くだから大丈夫だよ」
なごみ「そんな!いけません。お風邪を召されますし」
(積み上げた本に視線をうつす)
なごみ「大切な本が駄目になってしまいます」
けい「え……」
なごみ「方向は同じですし、お送りいたします。お入りになってくださいませ」
けい「なごみさん…恩にきります。ああ、傘は僕が持ちますから。本を、お願いできますか?」
なごみ「お任せくださいませ。こうみえて力持ちなんですよ」
けい「そのように細腕で。ご冗談を」

SE【風の音】
けい「風雪がやまないな。早めに学問所に行く支度をしないと」
(身なりを整え荷づくりをする)
けい「外套は厚手のものがいいな」
SE【引き戸】
けい「寒いな。外に出ると一段と寒い。もう今年も暮れだからな」
SE【風の音】
けい「手袋を持ってくるのを忘れた。どうにも僕は忘れ物が多くて困るな」
なごみ「けいさま!」
けい「おや」
(振り返る)
けい「なごみさん」
なごみ「お姿をお見掛けしたもので。走ってまいりました」
けい「そんな急ぐようなことも」
なごみ「あ!そう、そうですよね!いえ、行き先が同じなもので。ご一緒にいかがかと。ああ、わたくしはなんというはしたない」
けい「(吹き出すように笑う)一緒に行こうか」
なごみ「ああ、もう。顔が熱くてたまりません」
けい「滑ると危ないから。ゆっくりいこう」
(けい。片手を差し出す)
なごみ「え?」
けい「なごみさん、あと二つ三つ数える頃にはもう転んでいる気がするので。僕の手でよければつかまっていて」
なごみ「そんなそんな!大丈夫です!ここで育っているのですからこの程度の雪道!へっちゃらなので…」
(なごみ、後ずさりしかけたところを滑りかける)
(けい、傘を放り出して引き起こす)
けい「ほら」
なごみ「ありがとう…ございます」
けい「なごみさんの傘をたたんで。僕がもつから。僕の方に入って」
なごみ「………はい」
SE【雪が降る】

SE【ノック】
郵便屋「あずまさん。配達です」
けい「ああ、そこにおいておいてくれ」
(手紙を取りに行く)
けい「父上からか。いつもの書簡。帰還の文だな」
(ハサミで封を切る)
けい「やはり。今年いっぱいでこの土地を離れ、年明けに首都に戻るように。か。今日学問所に行ったときに先生にお伝えしないとな。いや、先生にももう連絡は行っているか。いつものことだから翌日にも出発できるように持ち物は整えているし、首都への切符は・・・明日の便か。また急なことだ」
SE【ノック】
なごみ「あの!」
けい「?? なごみさんか?」
SE【引き戸を開ける】
なごみ「突然すみません!先生が、もうけいさまはこの街を発たれると、みなに告げられまして」
けい「やはり先生のところにも同じ時に手紙が届いたか」
なごみ「いつお発ちになるのですか?」
けい「明日の列車で戻ります」
なごみ「そんな、本当に、急でございます」
けい「なごみさんには初日からよくしてもらって。本当にありがとう」
なごみ「いえ、わたくしは!特にお役にも……」
(口ごもる)
なごみ「首都でのご活躍とご研鑽をお祈りしております。それでは、わたくしはこれで」
けい「あ。ちょっと…!」
SE【引き戸を開ける】【閉める】
けい「何か言いかけていたようだったけれど…」

けい(ナレ)
翌日。旅行鞄と、入りきらなかった本を抱えた僕は、指定された列車に乗り込んだ。網棚に荷物を押し込み、本を膝にのせてふと外を見ると、息を切らした女性が走ってくるのが見えた。

けい「なごみさん…!?」
SE【本の落ちる音】【汽笛】【走り出す列車】
なごみ「けいさま!!!〇〇〇〇〇〇〇」
けい「聞こえない。なんていった!?」

けい(ナレ)
ホームの端で息を切らし、目に涙をためた彼女の唇が7音。言葉を紡いだことだけがわかった。僕は再び本を拾い、目を閉じた。瞼の裏に最後の彼女の姿が焼き付いていた。

けい(ナレ)
数年後。晴れて学を修めた僕は、首都のある大学で研究職についていた。勧められた縁談もすべて断り、来る日も来る日も狂ったように学問にうちこんでいた。
そんなある春の日のことだった。

SE【ノック】
女学生「先生。入ってもよろしいでしょうか」
けい「そういえば今日から助手がついてくれるのだったか。…いま手が離せないから、入ってきてくれ。鍵はかかっていない!」
SE【鉛筆を走らせ続ける音】
女学生「本日より先生の助手を努めさせていただきます」
けい(え、この声)
(振り返る)
なごみ「京(みやこ)なごみと申します。帝都大学を卒業いたしまして、先生の研究室を希望して参りました」
けい「嘘だろ。…そんなことって」
なごみ「どうぞ。よろしくお願いいたします」
けい「本当になごみさん…なの?」
なごみ「けいさまがおっしゃったのですよ?『大学を受ければよいのでは』と。わたくし、あの街で初めておなごが大学にゆくと、ちょっとした有名人になってしまいました」
(くすくす笑う)
けい「この時代に。女性が大学に入ることは並大抵ではなかった、よね」
なごみ「そのくらいのこと。わたくしはへっちゃらでございます」
けい「そんな」
なごみ「けいさま。今一度、聞いていただけますか?きっと列車の中では聞こえなかったでしょうから」

回想
けい「なごみさん…!?」
SE【本の落ちる音】【汽笛】【走り出す列車】
なごみ「けいさま!!!〇〇〇〇〇〇〇」
けい「聞こえない。なんていった!?」

けい「ああ。何て言ったのか、今日まで、ずっと心にかかっていた」
(なごみ、居ずまいを正す)
なごみ「今一度、同じ場所で学ばせてくださいませぬか?」
けい「ああ…。そうか。そうだよ。僕も。ずっとあの日から、どんな女性に声をかけられても心が動かなかったのは」
(けい、なごみの手をとる)
けい「なごみさんのあの最後の涙が忘れられなかったからだ」
なごみ「そうだったのですか。首都にはこんなにも素敵な女性がたくさんいらっしゃいますのに」
けい「どんな女性と会っても。あの雪の街でのあなたとの日々にはかなわない。聞いてくれるかな、なごみさん」
なごみ「はい」
けい「僕も。あなたが『大好きでした』



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