ホイスコーレ72日目 ぬるま湯

今日は次のタームのクラスの説明を受けました。
そのあとはたき火をして、「スノーボール」(ちがう)と呼ばれるパンを作りました。作るといってもそのへんで拾ってきた枝に生地を巻き付けて、焚火にかざして焼くだけです。
たき火を囲んでみんなで歌を歌い、ギターを弾き、出来立てあつあつのパンを食べ、談笑しました。モーニングアッセンブリで毎日歌を歌うのですが、そのおかげで国籍関わらずみんなが歌える歌があるというのはなんだか素敵だなと思いました。なんとなくやっぱり、仲間意識が生まれます。それがデンマーク語の歌のときもあるので、拙いながらにオランダのアリックスと日本人の薄情者が歌っている姿をデンマーク人はあったかい眼差しで見守ってくれました。
「幸せとは」ということを、学んでいる気がします。
よくフォルケは「人生について考える場所」とか「人生の学校」とか言われます。
全然ピンときてなかったけど、「幸せとは、を感じるところ」と言うと今の私にはしっくりくる気がします。
はじめはちょっと焦っていました。フォルケに来てやっていることはとても日本で大人がするようなことではなく、例えば毎日歌を歌って、ただ出てく豪華な手作りのごはんを食べて、休憩時間がたくさんあって、昼寝したりニットしたりただしゃべったり、、
なんか小学校みたいと言えばそうなんですよね。
授業以外のところは、生産性が無いと言えば無いです。授業も別に、専門的な知識を学ぶところではないです。
「何かを得なければ」「なにか変わらなければ」と常に思って焦っていた薄情者ですが、なんとなく「人より優秀になるために」という考えが奥底の方にあったんじゃないかと思います。就活も近かったので。
フォルケは人より優秀になるために、何かを学ぶところではありません。
これは断言できます。
私は、大学受験だったり就活だったり人生の大きな転換点を迎えるとき、人より優秀でいないといけないという気持ちがかなりあったように思います。
でも小学生のときって、そんな気持ちなかったけど、毎日楽しかったなあと思いません?
なんかそのときの感覚を、今思い出しているような、それを改めて学んでいるようなかんじです。
自分のできるいっぱいのことを、自分の手で実践する。自分の手で前に進む。
お金もなくて、遠くへは行けなくて、でも時間だけはあったあの頃。
そう考えると、フォルケが田舎にあることも頷けます。そうする必要があります。それをお金を払って体験しているというのも面白いことだけど。

等身大の幸せ。幸せは近くにあるんだよ。近くにいる人を大切にするとか、自分が身にまとっている服のこととか、毎日コーヒーを飲むコップとか、おいしいごはんをいっぱい食べることとか。

そういうことを忘れないように、そういうことに気付けるように、

見失わないように。

前バイトしてたとこの新入社員さんが「僕もフォルケ行こうかな~~」とか言ってて
はじめここ来たときは「特に実りは無いから来ても退屈だしわりとつまんないと思うよ」と言おうとしていたけど
今ならおすすめできるな。


そして今日は、私の友達たちがみんな旅行に行ってしまう日でした。
スタディトリップという学校の行事で、行き先をモロッコとドイツの二つから選べます。モロッコはかなり高くて私はお金が無かったのでドイツにしたのですが、私が普段仲良くしている日本人やデンマーク人などは悉くモロッコを選択していました。
夜、新しくきたデンマーク人のトゥリーサと一緒にビリヤードなどをしていました。みんなはパッキングをしているのか、リビングルームはすごくしんとしています。
だんだん人がおりてきて、またビリヤードをしたりマリオパーティーをしたりしました。
そしてミニゲームをしている時に、モロッコへ行く人たちが呼び出されました。
私も一緒にダイニングルームへ行きます。
私の友達らがみんな大きな荷物を持って、わくわくとした表情で集まっていました。
しかし日本人のアキは「ルームフレグランスが無い!」とシリアスな表情で歩き回り、ルーミーは「え、ビザいるの!?」と焦った表情でドタバタと階段を駆け上がっていきました。それを見たコリンが「彼女は出発に興奮しているようだね」と言っていたので「違うよ」と丁重に否定しておきました。
スペインの激かわアマンダにお別れのハグをしに行くと、思ってたより強い力でぎゅうっと抱きしめてくれて、ふわふわのセーターが肌に優しく触れて、いい匂いがして、とても幸せになりました。
ガールズのみんなとハグをしました。日本から出国するときは誰ともこんなかんじじゃなかったのに、今はこっちにちょっと染まったのか、なんかハグが必要でした。
さ、さみしい
そして取り残されるの、不安しかない(泣)
友だちいないのにドイツの旅行って、楽しいんだろうか(泣)
最後日本人の男たちがみんなにハグして、私の前に来たので、小さく手を振りました。
なんかここデンマークだし恥ずかしがる必要ないんだけど、なんか恥ずかしくて「さみしい~気いつけて行くんやで~」と抱きつくことはできませんでした。
彼らがあっさりドアから出て行って、猛烈後悔しました。
さ、さみしい!!!最後に温もり感じとけばよかった!!!行かないで!!!そしてもちょっと私を惜しんでくれよ!!!薄情者ドイツ選んでえらいねって言ってくれ!!!

みんながいなくなった学校は静かで、ベルギーのシャリーンが「空っぽやね」と言いながら颯爽と歩いていきました。ちなみに私のスタディトリップの目標は、シャリーンと恋バナをすることです。
ドイツ組はけっこう授業に出ない人とかあんまり交流しない人が多くて、それがより私を一層不安にさせました。
だから学校には全然人がいなくて、
いつもならみんながお酒飲んで騒いで音楽がかかっているダイニングルームも、人っ子一人いなくて
静かで、暗くて
私はパンにピーナッツバターを塗りたくってかじると、逃げるように部屋に戻りました。
ルーミーは旅にベッドシーツまでもっていってしまったので、乱雑とした私のベッドの横にはただ、青いベッドが置かれてありました。
パンをかじります。
ピーナッツバターがしょっぱくなくて、ぬったりしていて、刺激がなくって、パンももったりしていて、なんとも言えません。
さ、さみしい
さみしいよー!!
私はどうやってこれから生活すればいいんだよーー!!
アートルームに行ってもアマンダがいなくて、ジムに行ってもピンポンしてるコリンがいなくて、ごはんのときにマリーがいなくて、リビングルームでマリアとアンナがニットをしていなくて、アキが「ネットフリックスアンドチル?」ってお菓子持ってこなくて、アリックスの「ン―マッ」みたいなやつが見れなくて、クリスとマティーンが意味分からんことしてなくて、トゥリーサとしゃべれなくて、フミナの顔が見れなくて、夜グランドマルームに行ってもハルがいなくて、部屋に帰ってショーコと愚痴言ったりゲラゲラ笑ったりできなくてーーー
こうやって考えると、あっという間に三か月と思ってたけどしっかり三か月で仲を深めているな。三か月前は遠く見知らぬ土地にいた、交わるはずの無い赤の他人たちだぜ?

驚くべきことに、全然寝れませんでした。
久しぶりにバニラズを聞くと、いままでそこまで好きじゃなかった曲もめっちゃ沁みました。孤独。これがきっと留学の醍醐味で、今までこんなに感じてなかったことの方が変なんです。やっと来たよこういうかんじが。
悲しいけど、この孤独を体験できてよかった。みんなのありがたみに、折り返しである今、ちゃんと気付けてよかった。
そして新しい友達をつくるチャンスを、ちゃんと活用できたらなあと思う。もう困ったことがあっても日本語も一切通用しないし。語学も伸びたらいいなあ。

大八木先生の英語の授業で扱った、
"beyond your comfortable zone"
という言葉。
たぶんそれがテーマの英文みたいなので、内容は全く覚えてないけどこの一文だけ覚えている。
「"comfortable zone"って、皆さんどういうことだと思います?」
先生は聞いた。「快適な空間」?私は頬杖をついてぼんやりと考えていた。
先生は言った。
「日本語でいうと、『ぬるま湯』とかそういうかんじですねっ」
黒板にカタカタと「ぬるま湯」の文字が書かれる。
「ぬるま湯」「快適な空間」こんなにも日本語訳によってニュアンスが変わってくるのかと軽く衝撃を受けた覚えがある。だから覚えていたんだろう。
「"comfortable zone"は自分にとって心地いいんですけどね、時には勇気を出してぬるま湯から出てみるのことも大切ですよ。」
私は自分がぬるま湯に浸かっている想像をした。体の周りに冷えかけたお湯がまとわりついて、なんとなく気持ち悪くて、ざばっと上がった。
"comfortable zone"を「ぬるま湯」だと思うと、途端にそこから出たくなった。私は、ぬるま湯に浸かっていたことにさえ気付いていなかったのだ。
"beyond your comfortable zone"
これはある意味、私を縛る言葉になっているのかもしれない。
大好きな友達から離れてここへ来たことも、
慣れはじめた学科を辞めて色んなところを転々としていたことも
ジャーマニートリップを、お金だけでなく、意図的に選んだことも、
私は「ぬるま湯」という言葉が、なんとなく嫌いであった。


「幸せ」になることは難しい。一番難しい。だから、チルすることは「ぬるま湯」ではない。そこはちゃんと分けて考えたい。
ただ、だらだらしていたとしても、皆に流されて思考を止めるのではなく、自分の考えや正義をちゃんと貫ける芯のある人でいたい。
この学校の暮らしは"comfortable"だ。
でもチャレンジできる機会はたくさんある。
"comfortable zone"を「ぬるま湯」と訳すことにまだ私はやや納得できていない。

"comfortable zone"と「ぬるま湯」


フォルケは多くの日本の社会人にとって「ぬるま湯」に見える気がする。
少なくとも私の父からしたら、そうだろう。
前のバイトの社員さんも、そうだろう。
大八木先生も、そう思うんだろうか。
大八木先生と話したいなあ。


"comfortable"と「ぬるい」
その違いを、ちゃんと人に説明できるようにしたいです。
「肩の力抜いていこう」をもっと根拠を持って言えるように。


晴れてるので太陽の光浴びに散歩にいきまーす
アデュー!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?