103日目 消費の責任と、フォルケの不思議

4月15日月曜日

これからはちょっと心を入れ替えて、「みんなと話す」ことより「たくさんある時間をどのように使うか」ということに焦点を当てて過ごしたいと思っている。

1.朝

朝、7時に目が覚めた。いつもならそのまま目を閉じるものの、上記のことを意識してしまったのもあり、ゆっくり起き上がった。そのまま散歩へゆく。
本当はランニングがしたかったのだが生理だったことに起きてから気付きふらふらと歩くことにした。バニラズの音楽が耳から体に入ってくる。平日朝の森はさすがに誰もいなくて、日の光が木の葉っぱの間を通ってひらひらしていた。春だなあ。
そう遠くまでいくつもりもなかったので、ショートカットしようと道を進んだ。すると不思議なことに、いつの間にかパタリと道がなくなった。私が道だと思っていたそれはトラクターかなんかのタイヤ跡だったらしい。にしても途中で止まるのはおかしいが。
「でもこの向こうに道があるんだ!たぶんあれが道だ!」と信じて普通に藪の中をずかずか進んだ。ダニとかいたらやだな。しかし信じて進んだ先に道はなかった。私は泣きそうになった。何度も誰かと来た森なのに。なんで私が朝わざわざやる気を出した日に限って迷子になるんだ。なんで私はこんなデンマークの田舎の草むらにいるんだ。ポケモンじゃねえんだぞ。チクショウ。チクショウ!!!あー!!
結局来た道を引き返して遠回りして帰った。もう行きたくない。

2.プロジェクトウイーク
昨日のnoteでも話したが来週はプロジェクトウイークというやつで、なんかしらSDGsに関する作品をつくらないといけない。今日は自分がSDGsの中のどの目標を表現するのかを選んだ。
私がチョイスしたのは「つくる責任、つかう責任」である。これは大学2年くらいからずっと悶々と気になっていたことだ。プロダクトの先生は、作品展間際の芸大のごみ捨て場を見て、「ごみになるようなものを作らないようよく考えましょう」的なことを言った。それをTwitterで呟いたばかりに炎上した。私たちが頑張って作ったものをゴミっていうのか!と主に美術科の学生は憤慨した。その教授はアホなのでそれにも反発したが炎がどうしようもないかんじに広がってきたので、「あなたたちは作る人間として、作ったものに最後まで責任を持たないといけないのです」みたいな言い方をして事態が収束するのを待った。今なら教授が言いたかったことがちょっと分かる気がする。言い方は悪かったけど。
また、私は広告系の仕事に就きたいと思って美大に進学したものの、革職人の先生と話したりヨーロッパに旅行に行ったり環境デザインの分野で勉強したりしたことから、日本の広告についての疑念が深まった。日本の広告は多すぎるし、そして上手だ。ついついほしくなってしまう。でもそれは「本当は要らないものを必要だと消費者に錯覚させるもの、ない購買意欲を引き出すもの」ではないのか?資本主義だから仕方ないんだけどなあ。でもこれからは「一つの企業を信頼して長く付き合う」みたいなことがトレンドになっていくのだと思うし、実際広告も「企業理念を理解してもらう」みたいな方向にシフトチェンジしている。20年前の商品パッケージ(特に安価なもの)を見たらそのデザインの成長にどうしようもなく気付く。確実に進んではいるが、でも根本的に何か違う気もする。
いや広告って難しいよな。景観の先生とかは「看板なんていらない。いい店は口コミで広がるんだから」と言っていた。でもお店側としたらたまったもんじゃないよな、オープンしたてのときに人が来なかったら。ネットの繋がりはあるけどご近所付き合いとかはなかなか無い場所って口頭で地域に伝わることも少ないだろうし。仕事や学校で遠くから来てる人も多いし。でもどうなんのかな。交通機関を使えば二酸化炭素出るし、リモートワークが広がって家で働けるようになったし。近場で仕事することが多くなるのかな。生活の場所と仕事場所が重なればよりその地域のことを知ることになって、そうなったらご近所付き合いとか戻ってくるのかな。
なんか考えてたらさ、人間どっかで「欲」を捨てないと地球と共存して幸せになれなくない?生きてて太陽浴びて嬉しいくらいのことに幸せ感じれないと厳しくない?私が理想としている生活ってほのぼのしてて幸せそうなんだけど、どっかでつまんなそうなんだよな。でもこれからの人生、まじでそんなもんなんだろうな。小さなことに幸せを感じれる人間になるってまじで大事だよ。自分が置かれてる当たり前の環境に感謝してさ。
なんの話してる?
とにかく、
プロダクトデザインの学生として「つくる責任」をこれから持てないといけないなということ、
広告の影響により自分で物の背景を調べ、判断することが難しくなっている消費者が多いこと。
このような問題意識からこのSDGsの目標を選んだ。
また、このフォルケに来て一番はじめに衝撃を受けたのはデンマーク人がニッティングをしていたことである。自分で服を作っていやがる。そんなプロダクティブな姿勢に感無量であり、なにかその感動や気付きを日本に持って帰れないかなあと思った次第でもある。ふむ。いや、何も思いついてないけど。

他の「つかう責任つくる責任」を選んだ人は、デンマーク人女子二人だった。「服をつくるのが好きだからこれを選んだよ。なんか作る」とけろっと言っている。そして「3人で作品を展示して、背景には『アンチSHEIN』ってでっかくかこう!」と言っていた。こっちではファストファッションへの意識が高いなあと感じる。日本ではインフルエンサーがバチバチにその魅力を語り大量購入しているが。日本にいるときは私もSHEINがそんなに環境に悪いものだとはまるで考えていなかったなあ。安さと質ばかり気にして。その商品の背景を考えたことって、あんまり無かったや。
そういえばスタンダードプロダクツってめっちゃ安いのに質もそこそこよくて、時々「この商品はこんな風に作られてます」みたいな説明があるよね。すげえ今時なブランドだよなあ。てか無印と似てね?とか。とかとか。


3.フォルケって?
日本人の友達のお母さんが来ていたのでしゃべった。

ママ 「日本だったら新卒が当たり前で、それにこぼれちゃった人って就職が難しかったりあんま良い環境で働けなかったりするよね。そういう人が『学校に行こう』っていう発想は基本ないから、こういうフォルケみたいな。なんかいいなって思うねえ。」
薄情者 「たしかにこの学校って何か(就職に有利になるための)スキルを磨こう!みたいな主旨じゃないですもんね。別に特別なものが学べるわけではないというか。」
ママ 「そうだねえ。日本で学校に行くっていったら何か資格をとるとか、それこそ就職に有利になるように大学に行くとかになるもんねえ。」
友だち 「ね、こんな外国人まで国のお金でこれちゃって、なんで?てかんじだよね。」
薄情者 「しかもこういう教育がすごい人間としてこういう成長を生みます!みたいな根拠やデータってなさそうですもんね、探したらあるのかもしらんけど」
ママ 「うんそうだね、日本ではどうしても成果を求めちゃうしね。その根拠がないことを国をあげて行っていて、誇りに思っていて、文化っていうのかな。それができるのはデンマークがやっぱり豊かってことなのかなって」

確かになんでこんなことしてるんだろ。
分かんないなあ。

分かんないじゃだめなのかもしれないけど、そんな国の文化をたった数か月で理解できたという方がおこがましいんじゃないかね。

ねえ。

わかんないけど、でも、あったかいなあって思うよ。少なくとも私は好きだなあと思うよ。やっぱりデンマークの人ってすごいあたたかい雰囲気を感じるし。
人を信じているんだなあってすごく感じるよ。
福祉がしっかりしているのも、どんな人でも「生きてもいいんだ」と思えることにつながるんじゃないかな。生きる道が、ちゃんと逃げ道があって、こぼれないようになってるって、すごいことだよ。
日本が嫌いなんて言ってるわけじゃないけど、うまくできない人はこぼれてしまう世の中でもあると思うから。
例えば友ママが衝撃を受けたということには、コロナ禍でたくさんの若者が職を失ってしまってその受け皿があまりにもなかったらしい。
私はやっぱりまだ学生で、ちゃんと社会に出てないから分からないことがたくさんある。学生っていう身分があって、奨学金ももらえて、親も元気で実家もあって。精神的なものだけじゃなくて物理的に頼れるところがある。
でも働き出したらやっぱり一人で、一人前の社会人として生きていかないといけないのだろうな。
私は人の頼り方を今まで学んでこれて本当にラッキーだなって思うよ。
そうじゃなかったら、もっとこの生活でのインパクトは大きかっただろうとおもう。


全然なにいってるかわからないので解散!アデュー!



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