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自分史#3 小学生の私から見た家族の話

小学生の時の事はあまり詳しく覚えてないがインパクトのあった出来事を書いていこうと思う

家族の話

このあたりから長男、次男、父親の記憶がある
長男は私が6-12歳の時15-21歳だ

中学受験に合格して中高一貫の私立の男子校に通っていた

よく家で遊んでくれていたけど思い出すのはいつも嫌なことをされて泣いていた事が多い

例えば『Haku!!いったんもめんしたろー!』
(ゲゲゲの鬼太郎のいったんもめん)
と言っておんぶしてくれてちょっと間それで遊んでくれる
私はキャッキャ喜んでいるのだけどいつも最後はそのままま物置に閉じ込められる
私をおろした後の素早い行動ったら。。
物置はリビングに隣接して増築した場所で鍵がしめれるようになっている
その鍵を少しだけかけた状態で閉じ込める
そこで長男が言うことは『考えたら出てこれる!自力で出てこい!やってみぃ』だった

他にも水で濡らして硬く絞ったタオルを素早く振ってきて、タオルの先を私の腕に当ててきたり(当たるとかなり痛い)
足の指でつねってきたり
私が長男のプラモデルとか触っているのを見つかると『こら!』って言って頭を叩かれた
そういう嫌なことばっかり覚えてる

多分長男は私に対していじめているとかではなく私を通して実験している感覚だったのだろうと思う
長男が私を実験台にして遊んでいたんだな

それにしても9歳も離れた妹によくやってくれたな!と思うけど

だから今でも長男と飲みに行った時は笑い話のネタとして周りの人に愚痴って話している

唯一楽しかったのは長男がピアノ弾いている時にそれに合わせて踊ってたことぐらいかな
悪い人ではないんだけどなぁ

私が10歳の時、父と同じ大学に受かって家から出て行った
出て行く前の日は寂しくて寂しくて布団の中で泣いてた記憶がある

次男は私が小学生の時は14-20歳
地元の中学に通っていた
後から母親に聞いて知るのだけど長男と同じところを受験して落ちたようだ

小学生の時はクラス委員を常にしていて友達がたくさんいて人気者だったらしい

地元の中学校に友達と通いたかったからしいが親がほぼ強制で受験させたらしい
次男は家族の中でも1番計算が早く頭の回転も早い
そして私にはめっちゃ優しかった
いつも『いじめられたらお兄ちゃんに言うんやで!』って言ってくれていた

とにかく友達が多くて明るくよく喋るひょうきんな人
長渕剛さんが好きでよく一緒にドラマを見ていた

私が物心ついた時には私以外の家族とは話さなくなっていた

学生時代の次男は刺繍とかしてある特徴的な学ラン(ボンタン短ラン)を着ていた
その当時流行ってたんだと思う

ある夏休み次男の部屋で一緒にテレビを見ていたら庭でお母さんが大きな声で『あんたら誰!?警察呼ぶで!』と叫んでいた
ベランダから覗くと沢山のヤンチャな人たちが沢山いた『メンチ切った!』やら何やら叫んでいた
顔がボコボコになって帰ってきたこともあったし、なんせそういう事がよくあった
次男はヤンキーだった

1番印象的だったのは次男の部屋で遊んでいる時に『Hakuはおにぃと俺どっちが好き?』って聞かれた事
私はまだ小さくて何でそんなことを聞くのかわからなかったけど、何となく違和感を感じて『どっちも好き!』と言って部屋から飛び出た

高校は退学になったのか自分でやめたのかは知らないけどその後働いていた
母親の親戚が家に遊びにきている時、次男が帰ってきたら母は靴をすぐ隠していた
親戚に辞めた事言ってなかったのだろう


ある日、朝起きて1階に降りたら知らない男の人が食卓でラーメンを食べていた
すると次男が『こいつ俺の後輩、ちょっとま家に住むから』と言った
その人はしばらく次男の部屋に住んでいた
複雑な家庭だったみたいだ
避難していたのかな?よくわからない
結局その後すぐ仕事辞めてしまったらしいけど
そんな事が何回かあった

当時次男はどんなことを思って過ごしていたのかな

今思うと両親は当時、教育パパ・ママだった
私に対してはそうでも無かったけど兄達2人はそれを直に受けていたと思うし、次男に関しては長男と年子で比べられたりしてたのかもしれない
本人に聞いた事がないからわからない
現在、大人になった私とは近況とか仕事の話はしてくれるがあまり話してくれなくなったような気がする
うーん、どっちかというと話せる話と話せない話があるのかな?よくわからないけど昔と比べて距離ができたように感じている

だけど今でも何かあったら必ず助けてくれる人情の人だ

父親は当時46-52歳
仕事は会社員で家から電車で1時間30分程かかる街で働いていた

毎日きっちり6時50分頃帰ってくる

休みの日は近所の子供に英語を教えていた
父親の部屋は本とレコードだらけで大きなコンポが2つ置いてあった
クラッシックをよく聞いていた

当時、私は父親が怖かった
怒鳴られたり殴られたりするという意味で怖かったのではない
うまく言えないがとにかく堅い感じだ
私がわがままを言うといつも理論的に返してくる

父親と遊んだ記憶は絵本をよく読んでもらった
り部屋の中で相撲とったりしてた
公園とか外遊びの記憶はない

いつも毎日父親が帰ってくる時間になるとお腹が痛くなっていた
小さい頃は父親と母親と同じ部屋だったからそこに私はいるんだけど父親は帰ってくるとスーツをクローゼットにしまいながら『Haku宿題はやったんか?』って絶対聞いてくる
いつも私はしてないからお腹が痛い
言い訳を色々するけど顔色ひとつ変えず『今からやりなさい』って言われる
それが毎日嫌で嫌で仕方なかった
『やるべき事を先にやりなさい』と毎日言われ続けたが宿題は父に言われるまでいつもしなかった

勉強する習慣ができていなかったと思う

夏休みになると初日に父がワープロで作成した私の1日のタイムスケジュールを渡されていた
起床時間から始まり、ラジオ体操、計算ドリル10ページなど毎日する宿題の振り分けが書いてあってとにかく細かい!
結局6年間一回もそのタイムスケジュール通りにやり遂げだ事がなかった
夏休みが終わる2日前に宿題をしてた

家族で旅行に行った事があるのか覚えてない
幼児期に行っている写真はあったけど多分みんな忙しかったし、行ってたとしても兄達も高校生とかで家族旅行について行ったりはしてなかっただろう

今回の記事を書いて気づいた事

小学時代の覚えてる事はネガティブな事が多かった
人間はネガティヴな事が印象に残りやすいらしいが私もそうだ
毎日楽しく過ごしていたと思うけどその思い出は日常の生活で流れてしまったんだろう

相変わらずは母は忙しくしていたけど小学生になって友達と外で自由に遊べるようになったし習い事も行ったりしていたから寂しいとは思わなくなっていたと思う
はっきり覚えてないが。。。年齢が大きくなるにつれておじいちゃん達と過ごす時間も減っていった

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