見出し画像

きょう、辞書を捨てました。

きょうは資源回収の日。先ほど、辞書を捨てました。
カバーも取れちゃってボロボロなんですが、30年前に買った英和辞典の「ジーニアス」です。当時の私は中学生、塾の先生の薦めに従って購入したもの。高校の受験勉強まるまるを、こいつに付き合ってもらったんです。

私が目指したのは大学の付属高校で、なんとか合格できました。なので受験は高校のときのみ。ハードでした。中学3年生の1年間は勉強しかしていなかったと言い切れます。1日7時間は勉強していたな。
受験が終わってまずしたことといえば、参考書の廃棄。そう、廃棄です。「捨てた」なんて言葉じゃ当時の気持ちは表せません。「ああ、もうこれらをやらなくていいんだ! おさらばだ!」という解放感ハンパなかったんですよ。段ボールめがけ雑にガサガサッと参考書投げ入れたのを覚えています。嬉しかった。すっきりした。
廃棄するという行為によって受験勉強が終わったことを明確にしたかったんですね。

けれど、この辞書だけは捨てられず。高校生活でも使えるレベルの辞書なので実質的に捨てる必要もなかった、というのとも別に。

なんか、ちょっとした相棒感があったんですよ。バディというかね。私は数学が苦手で、国語はまあまあ。「英語で高得点獲るしか希望校突破の手立てはないぞ」と塾講師陣からもさんざん言われていました。
辞書はまあ……よく引きました。こんなにも使い込んだ本は後にも先にもないでしょう。バディというより教えてもらってるんですから先生とか師匠的な感じになるんでしょうが、やっぱり相棒ですね。お世話になった、という思いが特別に強くて、単なる本という以上のものに思えたんです。私にとっての、ちょっとした「ドラえもん」なのかもしれません。

その後もしっかりと勉強を続ければいいものを、私は自堕落に高校、大学と遊んでしまいました。大学英語の授業が終わってからは開かれることも少なくなり、しまわれて、そのままに。

ずっと捨てられなかったけど、先日フト「そろそろ…いいかな」という気になれたんですね。捨て時が来たと自然に思えたというか。理由はないんです。いつまでも持っていてもしょうがないし。新しく、現在必要な資料も揃えていかなくちゃならないし。
ありがとう、と心でつぶやきながら、さっき他の本やらと一緒に紐で縛って、マンションのゴミ捨て場に起きました。

これ、薦めてくれたのはウヅキ先生って名前だったな。関西人でおもしろい人だった。お元気なら今、70代半ばぐらいだろうか。

もう今はその塾自体がない。何十校もある大きな塾だったから、倒産した時はニュースになったよな。
当時を一緒に過ごしたやつで今も交流があるのは、同級生のSただひとり。数年前に会社を辞めて、フリーで何かやっているらしい。「週に1回バーのマスターをやっている。よかったら遊びに来てよ」なんてメールが先日いきなり来て、驚いたな。人間いろいろだ。

「おはようございます」と、管理人さんに後ろから呼びかけられました。束ねた辞書らを置いてしばらく、いろんなことが思い出されてならず。
「急に寒くなりましたねえ」
「本当に。いつもお疲れさまです」
「いえいえー」

きょう、辞書を捨てました。私が十代前半から持っているものは、本棚にあと数冊あるのみです。


#エッセイ #コラム



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?