SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE 感想

『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』(以下『SEKIRO』)のエンディングを見た。

ここから先のやり込みこそが真骨頂といえるゲームなのだろうけど、本作が僕にとって、大作タイトルとしては『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』以来の最高のゲームだってことは間違いなさそうだ。

そして2000年代、2010年代の「対NPC戦に重きを置いた3Dアクションゲーム」の進化を包括しながらも、集大成的な位置づけに留まらない孤高の傑作でもあると思う。

僕はソウルシリーズにそこまで夢中になれておらず、『Bloodborne』はかなり楽しんだものの、このゲームも1周目で満足してプレイをやめている。『SEKIRO』の戦闘メカニクスにおける設計思想はこの『Bloodborne』のものをさらに推し進めたものだと感じた。

『Bloodborne』の戦闘システムで象徴的なもののひとつといえば、敵の攻撃でダメージを受けたとき、即座に攻撃し返せばHPを回復できる“リゲイン”だ。これは攻めの姿勢が身の安全にも繋がるという意味で、「攻撃は最大の防御」を地で行くシステムだろう。

一方『SEKIRO』の戦闘システムでほとんどのプレイヤーの頭に真っ先に思い浮かぶのは「体幹」の要素だと思う。敵の攻撃に合わせてジャストガードすることで発生する「弾き」。この「弾き」でさばくことのできない攻撃への対抗手段となる「見切り」「ジャンプ踏み付け」。これらの行動は敵の「体幹ゲージ」を上昇させる効果を持ち、ゲージが最大に達した敵は体勢を崩す。この瞬間、隻狼(プレイヤー)は敵を、残りHPに関わらず一撃で絶命させることができる。

敵の体幹はこちらの攻撃を受けさせることでも上昇する。そして隻狼もまた、敵の攻撃を受け続けると体幹ゲージが増え、最大に達すると一定時間動けなくなり致命傷は免れない。また両者とも、体幹を削られ続けなければゲージは時間と共に回復する。

体幹の削り合いに勝利するには、相手の攻撃をタイミングよく捌き続けた上で、相手への攻撃の手を緩めないことが必要となるのだ。

『Bloodborne』も『SEKIRO』もリスクを冒してでも相手への攻めの姿勢を緩めないことが推奨されるメカニクスという点では共通している。しかし『Bloodborne』の戦闘が「攻撃は最大の防御」であるとするならば、『隻狼』の「体幹」がもたらしたプレイフィールは「防御は最大の攻撃」であり、同時に「攻撃もまた最大の攻撃」だ。

攻撃も防御も、使いこなすことで全てが敵を穿つ鉾となる。

HPをゼロにすることを唯一の勝利条件とするゲームならば敵からの攻撃を捌く時間は「自分が攻撃するターンが来たときにスムーズに攻めるための準備ターン」とも言えるが、あらゆる瞬間が敵を絶命させるためのダイレクトな近道になり得る『SEKIRO』の戦闘は、上達のカタルシスが尋常ではない。

僕がいくつかの優れたアクションゲームにおいて最も大きな快感を得られた瞬間は「圧倒的なスピードで敵を葬る方法やコツを見出し、実行できたとき」だった。例を挙げるなら、『NINJA GAIDEN BLACK』で攻防の中に着地絶技を上手く織り交ぜて次々に敵を葬り去ることができるようになったときや、『The Wonderful 101』でマルチユナイトモーフのコツを覚えて敵をタコ殴りにして秒殺できたときのことだ。

『SEKIRO』は難易度が高く、強敵との一騎打ちでは何回挑戦しても全く刃が立たず、無力感を覚える。傷薬瓢箪を使い切り、アイテムを駆使してもHPゲージを1/4しか減らせず無様に死んでしまったとき、撃破までの道のりは途方もなく長く感じるだろう。

しかし何度も殺されながら攻撃の呼吸を把握し、思い描いた行動に指先が追い付くようになってくると、急に敵の行動が手に取るように分かる時が来る。

そして勝利を掴む瞬間は訪れる。その瞬間への道のりは多くの場合、かつて感じた途方のない長さと比べると実際のところだいぶ短い。なぜなら少なくない敵が、HPゲージを半分以上残して死ぬことになるからだ。

『SEKIRO』は上で語った「上達によって圧倒的なスピードで敵を葬る」極上の快感が味わえる仕組みを、ゲームシステムの根幹に据えていると言えるだろう。

最初は「敵のHPをゼロにする」ために繰り返していたトライ&エラーは、操作技術が一定の水準を超えた瞬間、「体幹を削り切る」ための呼吸へと結び付く。HPゲージは攻撃でしか減らせない。しかし体幹ゲージは攻撃、防御、回避行動すらも削る手段になるため、全ての操作が上手くいったときは驚くほどあっさりと決着が付く。

それはいざ敵を倒したとき、時折「あっけなさ」すら感じてしまうほど。かつてどうしてあそこまで苦戦したのか思い出せなくなってしまうほどの征服感をもたらしてくれる勝利の余韻は、ちょっとほかのゲームでは感じたことがない。

もちろん『SEKIRO』の魅力は「体幹」システムだけに留まらない。それは一対多数の戦闘でのステルス+αの戦略性だったり、隻狼にも一部強敵にも命が複数あることによって生じる妙味だったり、気持ちのいいアクションを活かした探索の楽しさだったりするのだが、中でも僕が非常に気に入っている点を特筆して、この文章の結びとしたい。

本作には“怖気づくと人は死ぬ”という言葉が登場する。

これは怨霊の類と戦うときに表示される「怖気ゲージ」に関する説明文の言葉なのだが、『SEKIRO』という作品全体に通底する設計思想でもあるように思えるのだ。

『SEKIRO』をプレイしはじめた当初、僕は防御行動を取るときに「スティックを下に倒す」クセが付いていた。それは防御行動を取りながらもタイミングを外した場合のリスク回避手段として「あわよくば敵の間合いから出たい」という欲求が無意識で操作に現れていたのだと思う。

しかし「見切り」も「雷返し」も、スティックを下に倒しながら入力すると絶対に成功しないのだ。これはスティックを上や左右に入力した際は起こらない。つまり本作は、自分の操作に自信が持てないようなへっぴり腰のプレイヤーはその心の弱さで以って死ぬように設計されている。

本来なら成功する操作も、恐怖心で敵から距離を取ろうとした瞬間に失敗が確定し致命傷を受ける。まさに“怖気づくと人は死ぬ”というわけだ。

もちろん間合いを開けた方が良い局面も数多く存在するが、確固たる理由があって一歩引いた場合と、恐怖に負けて後ずさろうとした場合とでもたらされるのは真逆の結果。こういった、操作スキルの上達だけではない、精神面においても弱さの克服を強いられるような一貫した思想もまた、『SEKIRO』の厳しくも抗いがたい魅力なのだ。

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