【本当に言いたいこと】


さて、ここまで長く、熱弁してきた。

我ながら苦しい作業であった。この賞レースについての分析の文章自体は、一週間ぐらいかけてここまで書いたのだが、細かい部分の手直しや、「こんなものをアップして良いのだろうか」という葛藤で、これを書き上げるのに、半年近く経過しているのだ。

僕は、こうも思う。

細かく書いたけど、お笑いはあやふやなルールの中、戦うところが、お笑いらしさでもあるのだ。

矛盾したことをいきなり言うが、本当にそうなのである。

なぜ書いたのかというと、ヴァンダインの二十戒やノックスの十戒のように、推理小説の世界で、堅苦しいことを言う人も必要だったのかなと思ったからである。

面白いことに、ヴァンダインやノックスは、自分自身が書いた“戒律”を破る作品もそのあと、ガンガン書いているのである。

偉そうなことを言ってる僕も、メタなネタもやれば、芸能人の名前が出るネタもやる時はある。

「あまり好きではないけど、思いついちゃったから仕方ない、このネタをやっちまおう」みたいな芸人の気持ちもわかる。

しかし、いったん堅苦しいことを言わせてもらったのは、やはり、芸人にとって、賞レースは人生がかかっているからである。

僕は、電子レンジを買っても、付属の説明書をいちいち読むことはない。

しかし、賞レースの審査基準などがあれば、くまなく読みこみ、対策を練るだろう。

このマガジンでは、“運営側”という雑なくくり方で終始書かせてもらったが、実際には、個々の審査員によって審査基準が異なるはずである。

現実問題、運営側が、審査員に、「この審査基準を最低ラインとして統一してください」などと強制はできないだろう。

ホントは審査員同士が、「こんな基準でわたしは審査員をする」みたいな座談会をニコ生でもなんでも、やってほしいぐらいなのである。

これも現実問題、無理だろうが。

だが、なぜここで、現実問題として無理な19戒を記載させてもらったのか。

芸人側は、これぐらい細かい鋭敏な感覚で、魂をすり減らして、大会に挑んでいるよ、ということを一人でも多くの人に知ってほしかったからだ。

ここでは、感情的にならないために、審査基準についてを主体に語ったが、いわゆる“政治的審査”や“芸ではなく、人としての好き嫌いによる審査”なども参加者からしたら、頭にくるところである。

僕ごとき、箸にも棒にもかからない芸人が、負け犬の遠吠えを言ってると思ってもらってもかまわない。

願わくば、各賞レースから、面白い芸人がたくさん報われますように。

この後は、第二章として、賞レースの公平性の話から離れて、理屈っぽい僕が、モノの考え方全般について私見を語るという内容に移行していく。興味のある方は、第二章も読んでくださると嬉しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?