白色黒蛇の数少ない「創作論」

どうもおはこんばんにちは白色黒蛇です。

今さら何を言うかとは思いますが、白色黒蛇は物書き”も”やっています。
原則「創作は自由だ!」って口にしているので、創作論を展開し、それに則って良い悪いを口にすることはありません。

が、しかし

やっぱりいくつか気にしていることはある訳です。
それは「「あり得ない」を書いていないかどうか」

今まで見てきた事例を言いますと
・カーネーションが一切腐食せずに4,5年大切にされている。
・核爆発の爆風を受けておいて放射能被爆の症状が出ない。
・日本刀で戦う侍が作中1度も刀を変えてない(刃こぼれしていない)

等々、ちょっと考えれば科学的、物理的におかしなことをやってしまっているケース、プロであれアマであれちらほら目につきます。

とはいえ、そういうSFで特別な理由があるとかファンタジー作品だから魔法でどうにかしているとかならまだいいんです。

問題はこういうのを「理由なく素でやっているパターン」

少なくともあたしはそう言うのを読むとどうしても「んん????」ってなってしまい、もはやその後の展開がどうあれ微妙に感じてしまうのです。

その中で、特にそういうのをやってはいけないのが「歴史」を扱うもの。

当時の情勢、文化、風習を理解せずに書かれたものは「あり得ない」のオンパレードになり、面白い面白くないはさておき、最悪作品の核より
「これはあり得ねぇって!」
って印象が強くなります(あたしは)

その中でも特に多くの人が勘違いし、そのまま書いてるケースを1点紹介。

例文はこちら
家臣「劉備様、某に一計があります」
劉備「何? どのような策だ?」

と言う会話文があったとします(劉備は「三国志」の義兄弟の長兄)
一見すると何もおかしくないとは思いますが、当時の中国の文化、風習をちょろっと勉強した人が見ると
「これはあり得ねぇって!」
が1つ存在します。それは「目下の人が目上の人の名前を呼んでいること」です。

昔の中国では「姓+名」で呼ぶことは非礼、不吉とされており、避けられていました。

では、どのように呼んでいたか?

いろいろありますが、多くはこの2パターンです。
劉(姓)+豫州(役職名)
もしくは
劉(姓)+玄徳(成人後につける呼び名)
※上記の「玄徳」のように成人後につける呼び名を「字(あざな)」と言います。有名な「諸葛孔明」の「孔明」がそれです。


なので、中国古代史を扱った作品で、キャラクターが別のキャラクターを呼称する時「姓+名」呼びしているのは「これはあり得ねぇって!」になるんです。
(例外として親が子を呼ぶとき、又は皇帝のような絶対権力者が誰かを呼ぶ場合は「姓+名」呼びはセーフ)

なので、中島敦の有名な短編小説「山月記」で李徴と袁傪がお互いに名前で呼び合ってるのは本当はおかしいと思うんですけど……(そこのところに特別な理由があったならごめんなさいですけど)

とまぁ、こういうのは実際知らない人が多いので無視したところで何も言われないかもしれませんが、
「本気で書くのならそう言う「あり得ない」は潰しておくべきでは?」
とあたしは考えて書いています。

ちょっとした中国の歴史の豆知識も交えながら語って観ました。
何もこれは100%正しい訳ではないので、ちょっとした参考になれば幸いですかね。

そんな訳で今日はここまで、お相手は白色黒蛇でした~


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