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紫陽花の季節は毎年毎年こう

紫陽花が咲く季節は精神がグラグラしてダメだ。思い出が多すぎる街に私は未だ住んでいる。フラれた駅のホームも、通った家の横も、毎日息子をママチャリに乗せて送り迎えしているのだから。

最近は「半分、青い。」を1話から見て、やっと70話(先週末くらいまで)を見終わったのだけど、そのせいもある。律と鈴愛の関係は「幼馴染」なんだけど、お互いが大切で好きで恋愛とかも考えたことがないわけじゃない。でも、公式にその感情に名前をつけない。「幼馴染」以外の関係性にしない。

そういうことって人生にもよくあるよな。

私は我慢が出来なかった。宙ぶらりんな関係に名前を付けたかった。物事には正解があって、白黒つけることが誰にとっても良いと信じて疑わなかった。そしたら「妹みたいに大事な存在だ」という名前を付けられてしまった。10代の私にとってそれは衝撃的だった。「付き合えないごめん」とか「好きじゃない」とか「友達でいよう」ではなく???妹みたいに?大事な存在?そんな関係性、私の辞書には今までなかった。ひと思いに振ってほしかった。傷付けていいから。その言葉のせいで3年くらい私は苦しんだ。

今は、まあ、その優しさもずるさもわかる。きっと私も逆の立場だったらそう言いたいと思う。だって傍には居てほしい、楽しいから。嫌いじゃない、むしろ好き。でも付き合うとかはわかんない、本当に彼にとってはわかんなかったんだと思う。でもわかんないって正直に言ったら傷付けるって思ったから語彙の中で一番ベストなやつ選んだのだろう。ある意味誠実で優しかった。そういうのをしてくれたのは彼の数いる女の子たちの中で私くらいだったと思う。真実はわかんない、でも、そう思わせるような振る舞いをしてくれただけで本当は十分だった。

曖昧なままにしておくことは心地良い。はっきりするまでが楽しい。そういう恋愛を、本当はもっとしてみたかった。

でも、そういうのが恋愛の醍醐味じゃ~ん★なんて言えるほど人生に余裕ねえよ。不安で眠れない夜や失恋ソング聞いて泣いてるのは最悪、情緒が安定しないと様々なことに支障が出る。結局学習能力がゼロなので夫にも付き合うのか付き合わないのかまあまあ迫ったし結婚するのかしないのかもまあまあ迫った。

決めないのは悪なんで。決めることは責任取ることだ。自分の人生には責任取っていこうぜ。

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