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発信者になる

 20代前半くらいまで、私は自分が発信する側だと信じてやまなかった。

 小学生の頃、父親に与えられたパソコンでホームページビルダーを使いながら自分のホームページを作った。親にみられるのが嫌でフリーのURLを作って、そのうちホームページビルダーだといらんhtmlを勝手に挿入されてそれがめんどいから結局メモ帳で全部作ったりしていた。もうほとんど忘れちゃったけどその当時は画像にリンクを貼るときも、〇とか☆とかでリンクが押せるとか、スクロールバーの色が違うとか、あと背景を固定しといてフレームも分割っていうよりは四角い小窓みたいなやつにするとか、定期的に「リニュ」するとか、あと荒れたときのために忍者のアクセス解析いれたりとか...懐かしい...わかる人だけわかってください...。
 その時はポルノグラフィティのオタクだったので、主に日記でライブレポ書いたり、メモでMステ実況したりしてた。ラバッパー(今もそう呼びますか?)と繋がって文通もしたし、インディーズの時のMD(!)ももらった。でもそれも、Tamaちゃんが脱退して、晴一が結婚して、段々フェードアウトしてしまった。

 大学生になってからは、ツイッターにドはまりした。サークルも入ってなかったし基本暇だから、朝も昼も夜もバイトとツイッターに明け暮れていた。中学も高校もほとんど恋愛とは無縁で生きてきたので、大学生時代は恋愛に生きた。それを赤裸々に書けば書くほどフォロワーは増えた。フォロワー5000人がマックスだったと思う。今思うと恋愛アカウントで5000人、激しくキモい。オフ会にも行ってた。ツイッターのやってる社会人とよく会ってたと思う。会ってみて、いや、いまは会う前からわかるのですが、ツイッターにぬか漬けのように漬かっている社会人、大体やばい。今もそのやばい人と何人かは繋がっていますが、ツイッター歴10年とかの人がほとんどだと思う、総じてやばい。

 話がそれた。

 この辺までだ。自分が「発信している!」みたいに勘違いしていたのは。
 恋愛はドラマみたいに書きやすいし、興味関心としてもたれやすい、コンテンツとしては良かったんだと思う。ポルノのオタクだったときは、いや、まあオタクはな、発信しないと死んじゃう生き物だから。
 でも人生をコンテンツ化して、それを発信していくことの体力や精神力は、私にはなかった。共感してもらううれしさが増える分だけ戦うことも増えていく。ツイッターにいるだけでも、その傾向は年々強まっていると感じる。戦いが多い。怖い。見ているだけで疲れてくる。それでも発信することを続けていく熱意や持久力や忍耐力がある人は、やっぱり才能あるんだと思う。そっちに立てると思っていた時期が、懐かしい。

 なのにどうして、懲りずにnoteを書いてしまうのだろう。自分のことが一番恐ろしい。発信者になりきれなかった亡霊は、成仏されない。

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