2020年7月28日(火)

朝起きてるのに身体がまとまらない感じがして、身体の形を完全に捉えられるところまで待って起きる。
朝は昨日と同じ蜂蜜チーズトーストを食べる。コーヒー。話の流れで子どもの頃に住んでいた家の間取りを描いて教えあった。
ざーっと四角を描いて中を埋めていくわたし。
玄関から入っている自分の視点で描いていく伴侶。

掃除機をかけようかと思ったけど、まだ寝てる人もいるので濡れ新聞で掃き掃除。
哲学者谷川嘉浩さんの記事を読んだ。午前中孤独になることや常時接続されていることについて考えていた。昨日から柿内正午さんの自費出版の日記『プルーストを読む生活2』も読んでいて、ものづくりにおける汚れを諸外国や地方にアウトソーシングすることで得た清潔さ、家庭から消えた物作りについて考えていたので、より長い思考や生活に対する姿勢について考えながら昼まで読書した。

お昼はちらし寿司にしようかと思ったけど朝は寒かったので長芋、大葉、茗荷、醤油麹漬けの大根、紅生姜を刻んで混ぜて温かいご飯にのせて納豆と食べた。あとはお味噌汁。
伴侶の勢いよく吸い込むように食べて食べ終わってスマホを見るのが私はどうしても納得いかなくて(わたしの出来立てのご飯に対する熱意がそもそも平均より強いので彼だけのせいではない。あと演劇人食べるのめちゃくちゃはやい人多い気がする)いつもやいやい言ってしまうのだけど、忙しくて仕事の前にリセットする時間が必要で、その時間にスマホを見たりぼーっとする時間がいるとのこと。確かに自分が向き合いたい対象(思考であれ食べ物であれ)に波があったり、タイミングがあるのは私もそうだな、と思い、かと言って食事に対してはかなり自分の指針を形成する要素として大きいので、やいやい言いそうになったら一度その場を離れてみることにした。いつでも出来たての食事に一緒に向き合って楽しみたいみたいなのは贅沢がすぎる気もしてきた。

外出の準備をして出かける。地方の仕事が重なって、その後新型コロナウィルスの自粛期間があって行けていなかった歯の矯正に行く。クリーニングはこの状況でいけないので家の近所の歯医者に通うようになっていた。久しぶりの渋谷は人が少ない。

帰りの電車で引き続き読書をする。柿内さんの人を見る解像度を上げることについての考えや内省、並行して読まれる本の記述がそれぞれ柿内さんのなかで呼応し合って新しい思考を生む文章が読んでて楽しくて、そして聡明な奥さんとのやりとりがまたよくて、もうちょっと読みたいとカフェに入って読み続けた。
無理に他人に付き合わせなくても、向き合いたいテーマに向き合っている本を読むことで埋まる部分が十分あるんじゃないだろうか。それも「本さえ有れば生きてる人間はもういい」みたいに突き詰めすぎると過激な気がするけど。
過集中に近い感じで本を読むのは久しぶりで、そういう喜びもあったと思う。

早速めちゃめちゃ影響を受けているけど、日記をその日にアップしないで日を改めると書いてあってやってみたくなったので今日はアップせずに寝ようと思う。

先に食べて欲しい旨と自分の分はいらない旨を伝えてあったので帰ったら伴侶と同居人は夕飯を済ませていた。久々に矯正器具の調整をしたので歯茎が痛くて鍋焼きうどんを煮込みまくって食べる。

風呂に入っている間も読む。以前ならこういう時本当にご飯もスキップして読み続けてしまうのだけど、食事もできたし明日早いので今日は頑張って寝よう。


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