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12/11 時の流れは残酷である

 つい先日、地元のとある施設が閉館となってしまった。

 僕はそこがお気に入りの場所の一つで、年に数回という頻度ではあるが訪れることにしていた。

 だからこそ、今回それが閉館となってしまうというのは非常に寂しいと感じてしまう。もうそれを通り越して悲しいとさえ………。

 閉館前ということでか、多肉植物達がかなりお安く並んでおり僕はついつい一つ家に連れていくことにした。

 もうそこに足を運ぶことが出来ないという悲しさはあるが、一つ思い出として持ち帰ることが出来て良かった。

 今更ながらどうしてもっと訪れなかったのか、マメに買い物をしてお金を落としてあげられなかったのか。

 僕一人でどうこうなるはずがないし、烏滸がましいという話でもあるのだがどうしても後悔の念というものが刺さってしまっている状態だ。

 今回の施設に限らず、時の流れというものは残酷でありこれまで出会ってきた存在とのお別れすることが往々にしてある。

 ふいに若かりし青春時代に過ごした場所を訪れた時、どうしても景色は当時と変わってしまっていて、やれどこどこに、なになにがあったのだと、その都度やるせ無い気持ちを抱いてしまう。

 これまで思い出すことさえなかったくせに、無くなってしまってから哀愁を感じてしまうのは、些か都合が良すぎるのではないか?と指摘を受けてしまうかもしれないけどね。
 
 何事も不変な存在というものはない。

 今あるものともいつかはお別れする時が来る。

 年齢を重ねたこともあるのだろうが、その変化というものを好ましく思えなくなってきている。

 避けられないのであれば、せめて今残された存在を大事にしていかないと。

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