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東十条の鳥籠(後編)

「……ホンマに?」

 Kさんが亡くなった。
 アフロ君があまりににこやかに、さらっと言うものだから、思わず聞き返してしまった。いつもの冗談かと思ったわけではない。そういう冗談を言わないことは、よく知っている。

「ホンマよ」
「いつ?」
「去年の暮れやったかな。そう12月の、29日。その日の昼間にもKさんと普通に電話してて、その時は普通に、元気そうやってんけど」
 窓のすぐ外を、この界隈の住人だろうか、影がひとつ通り過ぎる。
「急やったんや」
「うん。その頃もKさん、毎日うちに電話してきててさ、用もないのに毎日2時間とか喋ってて。その日もそんな感じで、年末やから『よいお年を』とか言い合ってさ」
「うん」
「いうても、どうせ明日からも31日まで毎日かかってくんねんやろ、とか思っててんけど」
 効きすぎたエアコンが、かすかに音を立てている。
「……その日の夜、息子さんと焼き鳥食べに行って、そこまではなんでもなかったそうなんやけど。夜中に、階段の下で倒れてるKさんを、奥さんが見つけて」
 その時にはもう、亡くなってたって。
「階段から、落ちて?」
「最初は、そうちゃうかなって言われてたんやけど。あとで調べたら外傷なくてさ」
「じゃあ、なんで」
「要は、あれやて。サッチーと一緒。虚血性、心疾患?」
「心不全てやつ?」
「うん。直接の原因はそれ。直接じゃない原因は、高血圧とか、心臓肥大とか。あと、小さい肝硬変もあったらしわ」
「あぁ……Kさん、自分でも『僕は病気のデパートみたいなもんですから』って言うてはったもん」

 Kさんとは、当時居たバンドのつながりで知り合った。なんでも楽器や部品の輸入業をしている会社の社長らしく、毎年、忘年会といって知り合いのバンドを集めてライブパーティーをしていた。そこに2回ほど出させてもらったのだった(ちなみにアフロ君とも、その忘年会で初めて会っている)。

 そのKさんから突然、電話があったのは、ある年の忘年会が終わって数日経った夜のことだった。
 忘年会の時に一言二言交わして番号を交換してはいたが、個人的に電話をもらうことなんてこれまで一度もなかった。

 その時、Kさんから「僕と付き合ってくれませんか」と言われた。
 そんなこと予想だにしておらず、「Kさん、キコンシャ、ですよね」と返すのが精一杯だった。
 私は上手いあしらい方を身につけるほどモテたこともないし、どうしていいかわからなくて、結局最後は「ごめんなさい、お付き合いしている人がいるので!」と言って断った気がする。
「そうですか……わかりました。でも……これからも、好きでいても、いいですか」
 困る、いや困る。えー困る。困る困る。今困ってる。悪い人ではないのは知ってる。でもそれはダメだ。困る。
 結局、相手が酔っていたこともあってうやむやのまま電話を切った。一時間ほどの押し問答。
 「病気のデパート」は、たしかその時に聞いた言葉だった。

 その後も何度か電話があったり、「酔ってはいたけど、僕は本気です」なんてメッセージが来たりはしたけれど、のらりくらりと躱しているうちにおさまった。
 とくにトラブルになることもなく、ただただ告白されただけの話で終わった。


 その後、別件でアフロ君と仲良くなってからたまたまKさんのことが話題にのぼったとき、ふと気になって「Kさんお元気?」と尋ねてみた。ちょうど、ついさっき訊いたのと同じ調子で。
 すると、
「あー。一時期あなたのこと好いてたもんなあ、Kさん」
 というので驚いた。
「え、なんで知ってるん? 知ってたん?」
「いや、だってあの人わかりやすいねんもん。恋するとすぐわかんねん」
 あっけらかんと、アフロ君は言ってのけた。
「だって、堀北真希が結婚した時めちゃくちゃショック受けてさ。まだ年も半ばなのにカレンダー撤去しちゃって。堀北真希の。
 そういう、純なおっちゃんなのよ」
 純とは、と思わず聞き返しそうになったが、なんだか薮蛇のような気がしたのでやめた。

 そんなわけで、アフロ君はKさんと私の間にあったこと(といっても、まあ、何も無いのだが)を知っている数少ない一人だ。

「ごめん、なんか、さっき名前聞いた時ものすごく軽い反応しちゃった」
「いや、亡くなったの知ってる俺らもそんな感じやから、大丈夫よ。急すぎて実感なくてさ」
 アフロ君は困ったように笑った。
「もともとあの人、出歩かないで営業する人やったから、誰と連絡するのも電話でさ。なんか、居なくなった感じがないよね。
 普通、誰か亡くなった時によく『ひょっこり現れそうな気がする』とか言うやろ? みんな『ひょっこり電話かかってきそう』って言うてたからね」
 アフロ君は、手元で弄るともなく工具を弄りながら、続ける。
「葬儀もさ、なんか、あの人世界中と取引あったでしょ? でも業界自体は狭いからさ、知ってる人ばっかりなわけよ。前に取引あった人とか、寿退社した人とか、懐かしい人みんな集まってて」
「あー、同窓会みたいになるよねえ」
「ほんで『出棺は“天国への階段”かな、でもあれ長すぎてクライマックス行く前に終わってまうんちゃうか』とか話してて。
 そしたら、親類のおばあちゃんとか、やたらゆーっくりバスに乗り込んだりして、なんやかんや時間かかっててさ。
 ちょうど、あの、天国への階段のさ、いっちばんエエとこ。そのタイミングで、運転手さん、ファーンてクラクション鳴らして」あ、ほんとに使ったんだ、天国への階段。
「『最後、めちゃめちゃかっこよかったっすね』って、みんなで言い合ってたよ」
 アフロ君はところどころ思い出し笑いしながら話しているし、聞いてるこっちもつられて笑ってしまう。そういう最期もKさんらしいような気もして、妙な安心感がある。
「Kさん、おいくつやったっけ?」
「んーと、54かなあ」
「わー……、まだ、お若いよねえ」
 一頻り聞いたあともなんだかまだ信じ難くて、私はあの忘年会と、電話の声のトーンを思い出している。


 帰りも来た時と同じ線路沿いを通った。たばこ屋があるのを見つけたバンマスが「ごめん、ちょっと一服させて」といってたばこに火をつけた。
 普段はもっと吸う頻度が高いはずなので、2時間はかなり我慢した方なのかもしれない。

 日はほんの少し傾いていたが、気温はまだまだ高かった。午後3時。また踏切の鳴る音がした。ぬるい風がドクダミを揺らして、私の足もとを通り抜けていく。
 私もバンマスも、なんとなく黙っていた。

 両手に杖を持ったおじいさんが、ゆっくりと歩いてくる。介護施設のワゴン車がおじいさんを追いこそうとして徐行する、おじいさんが道端に寄ってやりすごす。「ありがとうございます、すみません」ワゴン車の人が窓から顔を出して言うと、「いや、どうもどうも」と、おじいさんが答える。そんな様子を、バンマスの一服を待ちながら眺めている。

「ごめん、お待たせ」
 いつもより急いで吸ったのだろう、思ったより早く火を消して、吸い殻を手早く携帯灰皿に仕舞うと、私たちはまた歩き出した。
 線路沿いには、さっきはいなかった人たちがこぞって三脚を立てていた。「撮り鉄」の人たちだろう。皆一様に、キャップにタオルを挟み込んで日除けに被り、線路のむこうを見据えている。30代くらいの人もいれば、10代くらいの人もいた。4人か5人、すれ違ったと思う。

 本当に暑い。蝉の声がしないのが不自然なくらいの暑さだ。

 去年の12月29日、私は何をしていただろう。何も覚えていない。覚えていたところで意味もない。
 悲しむほど関わりがあったわけでもない。といって、何も感じないほど無関係でもない。なんともいえない感慨めいたものが、時間差で、胸にじわりと広がるのを感じている。


 遅いけど昼でも食べようということになり、安いファミレスチェーンに入った。
 新宿まで出たので、土曜のファミレスは人でいっぱいだった。一番奥のテーブルに案内され、それぞれ適当なものを頼んだ。
 隣の席では化粧の濃い女が熱心に、マルチだかの勧誘をしていた。しきりに「うちはネズミ講とは違うんで」という言葉が耳に飛び込んでくる。気になりはしたが、聞いている方もそれなりに乗り気っぽい。いずれにせよ、何もできることはないだろう。

 世の中のだいたいは、私にはどうすることもできないことばかりだ。

 私たちは、パスタを頬張りながら、どうにかできること──バンドのこれからのことについて、話した。
「はるなちゃん、これも食べていいよ」
 ベイクドポテトは、私とシェアするために頼んでくれたらしかった。
「んー、私、パスタでかなりおなかいっぱいかも」
「ん、じゃあいいよ、俺食べるから」
「あ、でもだめ。バンマス最近お腹周りやばい」
「それはそうだけどさ」
「Kさんと同じ歳でしょ。バンマスの寿命縮めるくらいなら、これは私のハラの肉にする」
「あっそう」
 呆れているのだか諦めているのだかわからない口調で、バンマスが答える。
「ヒロと話しましたよ」パスタを口に放り込みながら、先日バンドを抜けると言い出したメンバーのことに触れた。「ちゃんと話せました。あの人の音楽に対する気持ちは死んでないし、状況が落ち着いたら、戻りたいって」
「そうか」
 隣では相変わらず、熱心な説明が続いている。誰々さんははじめて何ヶ月で何百万売り上げて。何百万ですよ。すごくないですか?

 私は、今生きて、そこにいて助けられる人を助ける。バンマスも、ヒロも。私が諦めなければ、ぜったいに続いていく。
「彼にそういう気があるんなら、残ったメンバーだけでスタジオに入っててもいいかもね」
「そうしましょう。やれることは、いくらでもあります」
 お腹ははちきれそうだったが、意を決して最後のポテトにフォークを突き立てる。
「……ありがとう」
 バンマスが言った。

(了)

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