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漫画の原作を小説で書く

漫画のネームとは

 最近は漫画の原作といえば「ネーム形式」で提出することが一般的で、ネームがなければ漫画家は作画を始めることができません。もちろん担当編集者もネーム以外の原作を受け取ってくれることはありません。例外はライトノベルが原作のコミカライズくらいで、それでも作画の先生がネーム書くのが大変なのでネームを書き起こす仕事が発生することがあるくらいです。(そういうお仕事については、また機会を改めて書きます)
 ネームを書く技術については、いろんな方がアドバイスなどを書かれてますが、思いついた漫画をいきなりネームに書き起こしていくことは、なかなか難しいかと思います。それは僕にとっても同じで、完成したネームというのは言ってしまえば「絵が雑な漫画」のことですから、それを1ページ目からバリバリ書いていくというのは、ちょっと幻想に近いわけです。
 たまにアマチュアの方でネームはいくらでも書ける、とか豪語される方もいますけど、アマチュアのネームとプロのネームは違います。自分で書く漫画のためのネームと、商業誌の編集部に提出してボツを出されたりするネームでは、そもそもネームの役割が違うのです。
 商業誌のネームとは、編集会議に出して連載の可否を問うたり、原作者に監修に出したり、アニメやゲームの版権者に回覧されたり、多くの人が見ます。(少なくとも第1話は)
 そしてそのネームから絵の上手い人が描き写すだけで面白い漫画が完成する、という建前があります。実際にはそんな上手い話はなくて、作画の先生が自分の持ち味を活かしてネームよりも何倍も面白くしていくものなのですが、建前としては、「ネームが面白いんだから、完成させれば十分面白くなるはず」ということになっているのです。
 これが同人誌ならネームの後に原稿で直しを入れてもいいし、なんならネーム自体を書き直してしまうことも可能ですが、一度作画に渡してしまったネームに後から修正を入れることは難しいんじゃないかと思います。つまり同人誌のネームというのは印刷所を予約するために何ページになるか概算するくらいの役割しかないのです。少なくとも僕たちが同人誌を書くときはそんなもんです。
 今の編集部で要求されるネームとは「絵が完成してないだけの漫画」
 そして編集者は漫画を読んだ感想しか言ってくれませんし、漫画を読み慣れていない権利者などが読むことも考えると、ネームはできる限り読んで楽しめるものでなければならないのです。
 ……全く無茶を言ってくれる──!

じゃあ昔はどうしていたのか?

 初期の漫画の原作は脚本形式だったと言われています。僕も現物を見たことはあまりないのですが、1話に相当する長さの物語が脚本で書かれていて、漫画家がネームに起こしていた時代が長いんじゃないかと思っています。
 もちろん本業が漫画家の人が他人に書かせるときは、原作をネームで書くことはありましたし、古い友人の原作者には自分の漫画を持ち込んだら「絵が古いから作画家と組め」と指示されてそのまま原作者になった人もいます。僕だって中学校くらいまでは自分の絵で漫画書いてましたし、漫画をいきなり書くのが可能なら、それでもいいと思います。
 ただ完成された漫画をいきなりアウトプットするのは大変なので、普通はプロットを書いて、メモを書いて、ページ割りを書いて、それからネームに取り掛かる人が多いと思います。そういう時はたいてい、テキストエディタ、つまり文章で書くことになるわけです。
 最も古い原作は小説で書かれていたんじゃないかと思います。
 小説家の方が書いた作品を漫画家が漫画にする、いまのコミカライズに近い方法が取られていたと思われます。古典の児童文学やSF小説を翻案して漫画を書いたりしていた時代もあります。漫画用のストーリーとして小説が書き下ろされても、漫画家の方で対応可能だったと思われます。
 次に漫画家のストーリー作りのサポートとして原作者が求められるようになると、もっと演劇やテレビ、映画のノウハウを持った脚本家が漫画原作に影響を与えるようになります。僕の修行時代はそんな感じで、映画や演劇の台本を読み漁りましたし、プロの漫画とその脚本を見比べる機会に恵まれた時などは、必死に文体や書式を真似してカッコつけたものです。
 幸い、僕はラジオドラマの脚本を経験させてもらったので、漫画の脚本を書くようになってからもアニメやボイスドラマの脚本はよく読ませてもらいました。しかし世の中がネーム原作の時代に切り替わっていって、ネームの新人賞が行われるようになったりすると、僕も嫌でもネームを書かなければいけなくなります。

ネームを書くために必要なもの

 漫画に必要なもの、ほぼ全てです。ペンタッチやキャラデザなんかには、あまり口出ししませんけど。
 まず必要なのは「着想」です。これを読者に届けたら、楽しいことになるという確信のことですね。これはSNSでシチュエーションものの漫画を読んだり書いたりしている人にはわかりやすいと思います。「アレとコレがああなったら尊いよねー」みたいなやつのことです。なるべく日記帳などにメモしておきましょう。
 次に必要なのは「必殺技」です。文字通り、必ず殺すと書きます。古い言葉で言えばイチコロです。一撃でコロリと殺れる技です。
 いい漫画には必ずこういう技が使われます。着想したエモいネタをドカーンとぶつけるための技です。ジョジョ4部で老ジョセフ・ジョースターの杖を東方仗助が直さないシーンがありますよね。ああいうやつのことです。ネームの必殺技とは決してオラオラのことではありません
 僕の作品で説明しましょうか。単行本売れるかもしれないし。
 拙著、エロゲの太陽の冒頭は3話で一区切りになっていました。ぶっちゃけると、ここまでネームにして連載会議にかけたわけです。
 僕が用意した着想は「エロゲみたいな、普通の人は下世話な娯楽としか思ってない不潔な仕事でも、作ってる人たちは真剣にやってい。それは一見滑稽に見えるかもしれないけど、情熱に違いはない」ということを、お上品な小学館の偉い人たちと、おしゃれなスピリッツ読者にぶつけるというものでした。
 次に用意した必殺技は、もちろん3話目の見開き、深夜の万世橋を走りながら「チンコ、チンコー!」と叫びながら走るシーンです。
 滑稽です。バカです。ですが、笑わせようとしているシーンではありません。笑っちゃうけど、登場人物たちは真剣です。このギャップが「オレは何を見せられてるんだ?」というインパクトを伴って、僕の着想をエンターテイメントにしてくれるわけです。着想だけではお説教みたいですからね。
 この部分はストーリーを考えはじめて15分くらいで決まりました。
 それから必要なことは、この必殺技をどういう仕掛けで決めるか、といことです。ヒーローのわざと同じ、サッカーのゴールと同じ、出すタイミングが重要なのです。

ネームを作っていく作業

 まず着想と必殺技の話をしましたが、ここが悪ければネームは絶対に完成しません。こればっかりは他人は頼りにならないので、自分でひらすら考えます。ちょっとでも思いついたこと、友達との会話でウケたことをメモに書付け、見返しては書き足し、作家としての財産と積み上げていきます。(この方式の作家さんは多いと思います)
 必殺技に関しては、過去の名作のマネをして、ただのパクリから自分のオリジナル技になるまで繰り返して使います。文体模写とかもしますし、パロディ漫画を書いたり、同人誌を書いたりもします。
 大事なことは、この段階で編集者や先輩に相談しないことです。自分の着想でなければ、作品を完成させる意欲が途中でなくなります。他人のアドバイスを受けた必殺技では、自分には使いこなせません。アドバイスを受けるのは、もっとあとの段階です。
 エロゲの太陽ではこの冒頭3話をネームにして企画会議にかけられる形にするまで1000枚近い紙と、半年の時間がかかりました。

とてもやってられない

 漫画原作の原稿料はそんなに高くありません。もっと漫画をテンポよくネームにしていく方法はないでしょうか?
 着想と必殺技の話でいうと、必殺技を出せるまでの仕掛けを考えるには、手順が必要です。開始早々必殺技を放っても、読者には刺さりません。
 そのタイミングが適切かどうかを試すには、自分で読み返す以外にも、誰かに読んでもらう必要があります。また、漫画にはキャラクターが必要で、ときによっては着想や必殺技よりもずっとずっと重要なこともあります。
ある程度ストーリーを書ける人は、キャラクターさえ生み出せれば、ストーリーはどうでもいい、とさえ言う人もいます。キャラクターの考え方はまた大きなテーマなので、機会を改めて書こうと思います。
 ……とにかく、連載を勝ち取れるネームを書くことには多くの手間がかかるので、手当たり次第にネーム用紙を書き散らしても、なかなか人に見せられるものにはなりにくいのです。

じゃあ小説でも書くか

 もともとなろう小説などからコミカライズした漫画がヒットしたりしていますから、最初は小説で書けばいいんじゃないか、そう考えたこともありました。実際に編集部で検討したこともあります。
 ですが、漫画原作で必要な小説と、小説家になろうなどで連載されているものとは、ちょっと求められているものが違うのです。これは僕が言ってるんじゃありません。実際に何人ものライトノベルのプロ作家が、漫画原作を依頼されて執筆したところ、うまく行かずに不幸な結果になってしまったところを、僕自身も目撃しています。
 何が一番違うかというと、ひとつは長さの感覚です。小説は原稿用紙で何百枚におよぶ物語の末に、1巻の最終章で伏線が回収されたりして面白さが爆発する、という作りのものが多くなります。これはライトノベルが単行本の形で印刷されることと関係があります。
 漫画の連載はページにして20ページくらいで1話になるため、そのエピソードの中で「読んでよかった」と思える何かが入っていなければなりません。その意味では、ショートショートや短編小説のような作りに近くなってきます。着想と必殺技のサイクルがまるでちがうのです。
 しかし、良い小説というのはビジュアルなアイディアが豊富に含まれていて、キャラクターの個性なんかも素早くバシッと見せられたりして、漫画にとっても重要な要素がたっぷり詰まっています。
 じゃあやっぱり漫画の原作は、いきなり脚本やネームにするよりも、まず小説でも書けばいいんではないかと思うわけです。そりゃいい小説を書くのは簡単ではありませんが、漫画の原作にする前段階として書くのなら小説としての完成度はあまり問題ではないでしょう。それでも小説を書けば、キャラが魅力的か、ストーリーがスリリングか、設定が先走ってないか、読者の反応を引き出せるか、先に検討できるわけです。
 脚本やネームをいきなり書くと、案外これがうまくいってないネームができちゃうんですよね。そもそもの物語に魅力がないのに、ネームだけは立派に完成してしまうという。

終わりに

 小説は漫画の下位互換というわけではありませんが、ネームと違って、小説は小説だけで面白く読めますから、あんまりネームに苦しむようなら小説を書く勉強をしてみるというのもよいと思うのです。
 なんと言ってもネームと小説は絵が下手でも書けますから。
 そういうわけで、浜村も最近はネームと小説を同時に書いたりすることが増えました。せっかくなので、こういった小説も発表していけたらいいですね。縁がなくて漫画にできなかった原作もありますし、それらの小説を発表するのも、また新しい気づきがあるかもしれません。

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