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父への1行ラブレター。

8月8日は、父の誕生日。

いつも過ぎ去ったあとに、ふと思い出すくらいで、意識したことは残念ながら皆無に等しい。母に言われて、プレゼントを渡したことは数回だけ記憶にある。そんな冷めた娘なのだ。


なぜなら、ずっと父が嫌いだった。母に、あれしろこれしろ、メシはまだか?風呂はまだか?の絵にかいたようなド亭主関白。はいはいーと素直に答える母は、朝から夕方まで週5のパートに、すべての家事、3人の子育て。どこからどう見ても、母の負担が大きすぎる。苦しめているようにしか見えなくて、いつしか父に対して嫌悪感を抱くようになった。

会話はしなかった。父の問いかけにも、うん、別に、知らない、感情ゼロの冷たい言葉で壁を作った。刺のある言葉で攻撃することだってあった。


18才で家を飛び出してからは、実家へ帰ることなんて、ほとんどなかった。都会の街で、朝まで飲んだくれているほうが楽しかった。母を通して心配しているらしいことは聞いていたけれど、そんなの知らない。会話がないどころの話ではなく、顔を合わせることすら壊滅してしまった。


関係に少し変化が訪れたのは、私が社会人になってからだろうか。毎日同じ時間、同じ人間関係の中で働き、自分の意思とは関係なく物事が進んでいく葛藤、しがらみ、そんな社会の荒波にもまれ、働いて稼ぐことの大変さを身に染みて感じた。


そうだ。

父はどんなに辛くても、私たちを生活させるために戦っていたんだ。父の肩に乗っていた重い責任の重圧を、やっと少し理解できた。
きっと、甘えていたのだろう。母もそれをすべてわかって受け入れていたんだと、今なら想像できる。


空白の時間が長すぎて、今でも会話はぎこちない。

しかしここ数年、長期休みには実家へ帰るようになり、一緒に食卓を囲み、望んで会話をして、二人っきりでも平気になってきた。


そして、今年初めて、父へメールを送った。

「誕生日おめでとう」

「彩ちゃん、ありがとう」

・・・なんだよ、彩ちゃんだなんて、普段呼ばないくせに。

母に教えてもらいながら、太いガサガサの手で、がんばって入力している姿を想像すると、こころがあったかく、笑みがこぼれた。

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