11/19〜1/21:陽気

年が明けてから調子が戻ってきた。
とりあえず3つくらいあった日記の下書きは全て消した。

この3ヶ月はかなり長かった。高校サッカーの3ヶ月くらい長かった。
とりわけ地獄のような日々というのは長く感じるものだ。

恐らく去年の8月頃から始まり、色んなことが上手くいかなくなってきたのが加速したのは11月頃。自分の状態に異常を感じて会社にSOSを出したのが12月。

今まで何の不自由もなく身体的にも精神的にも健康な人生だったので、生活の中で大きめの波が発生することに慣れていなかった。

2023/11 - 生活の変化

  • アイドルのライブに行かなくなった。

  • 休日にフットサルをしなくなった。

  • SAMPOをしなくなった。

  • noteを更新しなくなった。

  • 掃除をしなくなった。

  • 洗濯機をまわしたことを忘れるようになった。

  • アイデアが浮かばなくなった。言われたことの範囲でしか考える事をしなくな提案のようなことが不可能に。実際はそれどころか指示されたことすら達成できなくなってきた。

  • 運動をしなくなった。

  • お風呂を後回しにするようになった。

  • 新しい音楽 / 本 / 動画 に触れなくなった。

  • 眠れなくなった。

これらは(夏が終わってから段階的に、そして)主に11月に起きた変化。「〜しなくなった」というこの表現は厳密に正しいと思うけど、自分の気持ち的には「〜出来なくなった」と感じている。

これらの変化にやっと気づけたのが11月末。自分の変化にはなかなか気づけない。出来るようになったことならまだしも、出来なくなったことに気づくのは難しい。

家に帰ったら絶対にお風呂に入る。やりたいことや食事なんかはその後。それが自分の常識だったのだがその行為すら後回しになっていた。

早く入れた日もあるけど、後回しが何ヶ月か続いた後に「ん…そういえば最近すぐお風呂入ってない…? あれ、いつからだ?」となった。

気づく状況というのはこんなもんで、長い時間をかけて変化が習慣に変わった時にやっと自覚的になれるもんなのかなと思う。大抵のことはいつから変化したのかが思い出せない。

割とショックだった変化は、様々持っている趣味のほぼ全てを行わなくなったこと。

月に2回やっていたフットサルも、日常的に乗っていた自転車も、週に2回通っていたライブハウスでのライブも、週に1回更新していたこのnoteも、、何もかもが気づけば何一つ実行しなくなっていた。

決して「やりたくなかった」なんて事はなかった。単に「面倒くさい」の一言で片付けられるとも思うがそれにしては怠惰が過ぎる。

人からオススメそれた本、推しメンが気に入っている音楽、登録しているYouTuberの最新動画にも触れることの疲れは図り知れないほど大きく結局何ひとつ触れていない。

過去に触れた既に知っているコンテンツから見たいものを選ぶ。それ自体は楽しめるけど同じコンテンツばかりを見ている。それらに1日平均5時間使いひたすらに時間を溶かす。脳が動いていなくてあらゆる声や歌が"音"として頭の中を抜けていく感覚が自分でわかる。いつの間にか意識を失うように眠り、仕事の時間を迎えると仕方なく身体を起こす。娯楽に対してもこんな状態だ。

あらゆる行為は面倒であるにしろ、趣味レベルのことが行動に移せないとなると怠惰とは違う気がしてきた。娯楽・趣味においても「そういえばあれもこれも、、いつからやっていないんだ?」と気づいた。

その時点から「これは怠惰ではなく無気力(= 別の問題が発生しているのか…!?!?)」と違和感を危機感に切り替えることが出来た。

2023/12 - 仕事の変化

  • 集中力が全く続かなくなった。(最大1分)

  • PCへの焦点が合わなくなり視界が小刻みに揺れて暴れることがしばしば。(ジャーキング現象に近い動作が目で起きていた)

  • 朝、仕事に行く気力どころか、かなり憂鬱になり時々吐き気を催すようになった。

  • 人の話が頭に入ってこなくなってきた。

  • 通勤電車で動悸が強くなる日が増えてきた。

  • メンタル不調からの発熱(3回ほど)

  • 不明点を質問することが億劫になり、手が止まり、対処しなくなった。当然リーダーに「今日何やってたんですか?」と問われる。時間がただただ過ぎていっただけなので謝罪しかする事がない。

こんな風に業務中に支障が出てきたのが12月。もはや支障と言っていい程度ではなさそうだが。

12月といえば年末年始の休暇がある。これをチャンスに思った僕は大きく2つの決断をした。この決断が、今の前向きですっかり調子の戻った自分に繋がっている。

① 仕事納めまでに今の現場をリタイアさせてもらうことを目標に、上旬のうちにSOSを出して辞める!
② 病院に通ってみる(精神的なことで病院に行った経験がなく割と勇気がいる)

①②はともに達成した。

後に会社の人から「よく早い段階で相談できたね」「自分でその判断できたの?」と言われた。

確かに。まぁそれもこれも目前に迫っていた年末年始をチャンスと思えたことが要因だ。鬱になる前段階にチャンスに気づけて目標を立てられたことで自分の状況は大きく好転した。

現場の仕事を中旬あたりで強制終了させてもらい、残りの有給休暇をフルに使って17連休程度の休みを獲得。現場に迷惑はかかったものの今回はさすがに自分が大切。

病院へ通い、生活習慣や仕事での立ち居振る舞い方を指導され、平日にライブを見に行くような寄り道はせず、自分のメンタルを第一に薬を飲みながら規則正しい生活を送った。長風呂・長睡眠を徹底した。(ちなみに診断は適応障害でした^^;)

これが自分の12月。生活を乱さず自分の過去のことも未来のことも考えない。今しようとしていることのみに集中し、それ以外のことについて考えないこと。休みに入るまでそれを実行して生活を送るのみだった。セルフリハビリ。

現在

それから2週間ちょっとが経ち長期休暇が終わった。
年明けから復帰をして仕事を振ってもらっているが、今までのような鬱のような症状や吐き気や動悸は起きていない。少しずつ笑えるようにもなってきた。テンションを高く上げて話せるようにもなってきた。

今なら、、MIXが打てる。

来月から新しい現場での仕事も決まった。同じような症状が自分に再び起こらないために会社には条件をつけて要求した。それでダメなら誰も悪くない、ただ合わないだけなのでもう仕事を辞めるしかない。でも自分なりにできることは全部やった。

今のところ元に戻ってピンピンしているのでまた頑張ります^^
という状況です。

この半年で成長したことは「助けて」が言えるようになったこと。元々人へ甘えることや頼ることをしてこなかった自分には大きな成長である。

人は1人では何もできないことは頭で理解していたが、頭でしか分かってないことも前から認識していたので、ようやく身をもって実感できたことが嬉しい。

あと、状態が良くなって新たに気づいたことがあるのだが、、辛く苦しい毎日だったという事実は思い出せても「どのように辛かったのか」「どの程度辛かったのか」が思い出せなくなっていた。

もう思い出せなくていいとは思うが、体感で覚えておきたかったな、という思いもある。。まぁいいんだけど…。

ネガティブな出来事って肝心なことを忘れちゃうっぽいねー。

日記

最後にこの2ヶ月であった単純な日記的な振り返りをしようと思う。

noteの前記事が内山生誕の週だったかな。その後から。

11月は、
- 11月23日:RAY -> moonseamao生誕イベント・RAY BAND SET

12月は、
- 12月8日:RAY -> 新宿MARZ。High Sunnとの対バンイベント。
- 12月17日:RAY -> 裏RAY・表RAY
- 12月24日:RAY -> Total Feedback
- 12月25日:じいちゃんに久しぶりに会いに行った。
- 12月28日:じいちゃんが亡くなった。
      突然のたこパ、銭湯、宿泊。
- 12月29日:SAMPO (7◯8さん)
- 12月30日:MyDearDarlin -> 是枝優美生誕イベント
- 12月31日:じいちゃんとお別れ -> つくば

1月は、
- 年始:高校サッカー
- 1月6日:RAY / nuance -> わかちゃんに最後の挨拶
- 1月9日〜:仕事

11月21日。内山が悲しみに暮れていた。私も悲しみに暮れていた。

11月23日。moonseamao生誕。RAY BAND SET。
一番後ろで静かに見ていた。moonseamaoさんが作曲する曲が何よりも好き。RAY BAND SETのアップデートがそれはそれは楽しかった。

12月8日。RAY。
一番辛かったとき。休日に一歩も外へ出なかった自分が無理やりに外出した日。「そろそろ人と会わないともっと悪くなる」と危機感さえ感じた自分が人と会える最も簡単な方法がMARZだった。電車の中では動悸が止まらなかったし、道中はいつもよりとても長く感じた。到着したら多くのオタクから「顔死んでるやん」とか「よく来たね!」なんて言ってもらいながらヘラヘラするようにした。
実際にライブを見て、ライブがどうこうということはあまりなかったが、休日に外出することに成功したそのこと自体がとても良い決断だった。人との会話は健康に良い。

12月17日:表RAY・裏RAY。
オタクの飲酒によるゴタゴタが多かった。物事の楽しみ方が浅いのは教養の浅さ、という所感。
内山さんとチェキを1枚撮った。詳細までは伝えず最近の調子の悪さをなんとなくだが伝えた。アイドルとの会話、基本ハッピーなこと以外話さないが、内山さんにだけは話す。学生時代の友達よりもオタク友達よりも家族よりも会っている回数が多いような人なので家族のような立ち位置の人として話している。
自分の身に起こってしまったこと・なってしまったことはまぁ仕方ないし割り切ってやってくしかない、とにかく"今から人生をいかに良くしていけるか"が常に大事なのでそんなこと気にしなくて全然大丈夫(意訳)、という至極真っ当でパワフルな返答を浴びてしまい、特典会が終わってから1人で笑ってしまった。「なんだあいつ、、」って言った(言った)。謝謝。

12月24日:Total Feedback
初めてシューゲイザーに出会った2016年11月「17歳とベルリンの壁」
あの時と同じ衝撃が走った今回の「フユフユウ」
ライブ後に何人かのオタク友達と「ちょっと…今のめちゃくちゃ良くなかった??ヤバかったね今の…」と目を合わせて確認した。
内山結愛×管梓×…のスライド(・・・・・・・・・)を聞いた。本人演奏のスライドは2018/6/24からのぴったし5年半ぶり。いいものを見た。翌日、じいちゃんの訃報が届くことになるのだが、・・・・・・・・・のスライドをこのタイミングで受け取っておけたことで翌日以降も平坦な気持ちで過ごすことができたように思う。
この日も内山さんとチェキを撮った。
最近の怒りについて触れた。内山さんが抱えている怒りに触れ、そこから話を広げていくことが、互いの価値観を図り合える手段になっているので、内山さんの怒りが自分と内山さんの関係を深めていく。
精神年齢とでもいうのか、怒りの抱え方、常識の範囲、許容範囲、世間・周辺で起きた出来事に対して感じたこと。大抵の感覚が一致しているっぽく大抵の話題で価値観の一致が図れるらしいのでそれが楽しくて嬉しい。

12月25日:じいちゃんに会いに行った。生まれてから毎年行っていたじいちゃんばあちゃん家。コロナを挟んでから行かなくなった。遊びに行こうと思い連絡をした時は「コロナが心配だからもう少し落ち着いてからの方がいいかもね…」ということで今年の年末ようやく会いに行けた。でも持病と年齢もあってここ数年は入退院を繰り返していた。あんなに元気に畑仕事をして一緒に走ってくれて色んな場所に連れてってくれたじいちゃんは、機械に生かされていて意識がある間も植物状態に近く、会話なんてできたものではない。その姿を見て少しショックを受けたものの、ばあちゃんは「もう少しで良くなるからなじいちゃん。ほら…孫がこんなに大きくなってみんな来てくれたぞ〜、な、治ったらじいちゃんの好きな鰻、みんなで食べような、あとも少しだけ頑張れば良くなるから」って自分の隣でずっとじいちゃんの身体を揺らしながら声をかけてた。それを黙って見るしかなかったが、一番辛いのはじいちゃんとばあちゃんだし自分が落ち込む場合ではなかった。一緒に人生を送るというのはこういうものか。そして、じいちゃんの目線の先に顔を入れ「またGWにでもすぐ遊びに来るから、元気になったらまた遊ぼう!顔見れて良かった、もう少し頑張ろう!」と声をかけた。じいちゃんは「ウゥ…」と声をあげて反応してくれた。なかなかそんな反応はできないらしく、相当喜んでくれたんだろう。病室を出る前に最後、じいちゃんの目を見るとそこには涙が溜まっていた。言葉が通じていたことを確認できた。

12月28日:じいちゃんが亡くなった。
「大晦日に葬式をするから準備して集合して」と家族から連絡があった。分かってはいたけど早すぎる。。
昼から都内へ出た。調子の悪い自分をたこパに誘ってくれた友達の家へと向かった。直前まで身体を動かすのが重かったが「スイカゲームをさせてもらえる」という情報で簡単に身体が動いた。身体が動くキッカケなんてのは意外とそんなもんなのかもしれない。

12月29日:急いで礼服を用意。
午後から7◯8さんを誘ってハードコア散歩。三鷹〜下北沢まで歩いた。内山結愛の話を約2時間。私の最近の状態について2時間。いやー外で歩くのはいいもんだ。これもめちゃくちゃいいリハビリになった。7◯8さんからは「仕事やめな!」と助言を頂いた。ですよねー。
下北に着いて飲み屋でさらに1時間。棒になった足を引き摺りながら帰宅。定期的にSAMPOしたいね。

12月30日:是枝優美さん生誕祭、ドッチャー忘年会。
ドッチャーと約束して遊ぶことはかなり少なくなった(たまにサッカーしたりはする!)けど、この方々は変わらずに忘年会を企画して誘ってくれる。こんな人たち他にいないのでとても嬉しい。
忘年会から始まった。ドッツ時代にTの字くんから「新たな趣味としてラジオとか良いよ。ANNとか聞いてみたら?」とオススメされてからラジオにハマった。そして今年はお笑い現場のオススメをされた。お笑いは好きだけど地下の現場については全く知らない。意外とそっちも活発なようだ。ふむふむ。
生誕祭。みんちゃんとりりちゃんに久しぶりに会いに行った。2人とマイディアのメンバーできみにおちるよるをやったのを見た。5人でやることを決めたこと。発案が2人からではなく、きみにおちるよるが大好きなメンバーからのものであったこと。2番のサビを歌っていた2人の歌割りをそのまま見れたこと。ハイパフォーマーなマイディアの、歌・ダンスともにハイクオリティな素晴らしいきみにおちるよるだったこと。それを大勢のオタクが立ち会ったこと。全部良かった。
ステージと特典会のりりちゃんを見て一つ衝撃が走ったことがあるのだが、うまく書けず割愛。りりちゃん、王道アイドルのトップオブトップだった。

12月31日:じいちゃんとのお別れ。じいちゃんばあちゃんの家に着くなり刻々と迫る式の時間にあまり余裕を持てない。棺に入ったおじいちゃんの顔と対面し一言かけて線香をあげた。笑っていた。式場に着くと、小さい頃に遊んでもらっていた親戚の人たちが大勢いた。20年ぶりに顔を合わせる人が多かった。じいちゃんは7人兄弟、ばあちゃんが8人姉妹なので、友人葬(身内、親戚のみ)なのに学校の2クラス分くらい集まった。孫ということで最前列に座ることになったが、全ての工程が初めてでよく分からず見よう見まねで役目を果たすことで精一杯。そうこうしているうちにお花を棺に入れ最後の挨拶のタイミングがやってきた。火葬。大勢で笑い合いながら食べるご飯。おばあちゃんの寂しそうな背中。色んなことが目に焼きついた。特に火葬は呆気なかった。人の命の終わりというのはこういうものなのかと。これがいつか自分の親にも起こるし、自分の番もやってくる。色んなことを考えながら家路につく。ばあちゃんが作ってくれたご飯を家族で食べてから家へと帰った。こんな年の納め方もあるらしい。



年末年始の休暇でたっぷりと休むことができ、年明けの仕事から何の不自由もなく元気にやれている。会社の人と飲みに行くのも身体が軽かった。やりたいことリストを作ってみたり、仕事の目標を立ててみたり、未来のことについて頭がまぁまぁ働くようになってきた。少しずつ創造性を高めて(戻して)いきたい。病院の先生には「すっかり調子が戻ってます」と伝えた。ご飯もたくさん食べられる。シャワーで済まさずお風呂にも継続して入れている。また身体を鍛え直して今まで通りの自分でいたいと思う。今までと変えるべきところは、人にすぐに「助けて」と言うこと。何か悩みがあれば自分の力で解決しようとする考えを捨てること。こんなところで2024年は…
前半:後ろ向きにならないよう丁寧に暮らす
後半:前向きに暮らす
と自分を律してそれなりの苦労を重ねていければ理想かなと思う。

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