慣れと認知とDXとハマチ
”このシステムは自分が一体何をすればいいのかわからない”
こんにちは、ハマチです!
いきなり寒くなって半分凍ってます!冷凍ハマチです!(寒いの苦手)
凍えながらもSUNABACOさんのWebデザインコースとDXアントレプレナー育成コースを毎日楽しく受講しております!!
今日は受講当初に「あれ?」と思ったことをハマチなりの言葉で綴りたいと思います。
スマホの登場とAppleが仕掛けていたこと
Webデザインコースの授業で、とても印象的な話があります。
それは2008年、日本にiPhoneがやってきた時の話。
今となってはお馴染みとなったアプリのアイコン・・・
どうも最初はこんな感じだったというのです。
ちなみに今はこんな感じ↓
初期の頃はなんかリアルです。ツヤツヤしていて、質感まで再現されています。
これは「スキューモーフィズム」と言って、馴染みのないものを馴染みのあるものに似せることによって、ユーザーに機能などを認知してもらおうというものです。
今となっては当たり前ですが、スマホの登場時は、このアイコンをタップするとどうなるか・・・それ以前にこの四角は一体何?と人々はタップすることすらわからなかったと思います。
だからリアルにすることで、「これはメールですよ」「電卓を使うならここですよ」と使い手に用途を想像しやすくなってもらおうというわけです。
では、なぜ今はもっと簡素になっているのか・・・
今のアイコンのデザインを「フラットデザイン」と呼んでいます。
このデザインは、装飾が少なくスッキリしているため、スマホの小さな画面でも情報が見やすい、コーディングしやすいというメリットがあります。
スマホ登場時は使い方すら認知されていなかったので、リアルを追求した「スキューモーフィズム」。アイコンの意味・使い方が認知されてきたところで「フラットデザイン」。
今となってはアイコンそれぞれのデザインに慣れてしまっているので、多少デフォルト化されていても、使い方が分からないということはありません。
むしろスキューモーフィズムのデザインの方がうるさく感じます。
もう一つ例を挙げると、iPhoneのホームボタン。
こいつは「スマートフォン」という得体の知れないデバイスにおいて、なんかよくわからんけど下部にあるこいつを押すとホームに戻れるぞ、という重要な役割を果たしておりました。
それがiPhon10からなくなりましたね。悲しんだ人も多かったと思います。
なぜこいつがいなくなったのかというと、これは「ホームに戻りたいときは下をいじる」という認知が広がったから。
ホームの戻り方の認知が広がったところで、「ホームボタンがない方が画面が大きくできるぞ」ということで、ホームバーにその役割を移したのです。
デザインって時代の変化によって変わってきたと思っておりましたが、その時代の変化の正体は人々の慣れと認知でした。
↑ご参考 面白いです。Macと任天堂ってデキてるのか?
ここでDXの話
さて、話が変わりまして、弊社での話。
1年ほど前に新しいシステムが導入されました。
諸事情で詳細が説明できないのですが、簡単にいうと、お客様からの申し込み→社内稟議→商品を電子で発行→請求書発行という一連の業務をこいつでオンラインでできるようになりました。
この新システムなのですが、正直使いにくい・・・。
理由をうまく言語化できずもどかしいのですが、現場に合っていないもので、ペーパーレスなんて夢のまた夢、結局みんな画面を印刷して使っている始末。お客様にも手間をかけさせてます。
そんなある日、職場のおじさん社員が、このシステムの画面を見て言いました。
「このシステムさ・・・俺は一体何をすればいいんだ・・・あぁイライラする」
(あ、私だけじゃなかったのか・・・)
ユーザーにそう思わせてしまった時点で、デザインとしてはよろしくないと思います。
DXとは機械にできることは機械にやらせて、人は人にしかできないことをするということです。
その機械(システム)を人が使えなくては意味がない。
それでも前述のデザインに対する「慣れと認知」の話。
スマホだってユーザーにかなり寄っていたとしても誰もが最初は戸惑いながら使用したはずです。
Appleや任天堂のようにユーザーの「慣れと認知」に合わせてデザインを変えていくのか?
それともユーザーの「慣れと認知」を期待して、ある程度開発側の都合でシステムを作ってしまうのか?
後者はダメだと思います。でも前者の場合、一度外注してリリースしてしまったので、修正のためのコストがかかり過ぎてしまう。だから現実は後者を選ばざるを得ない。(おかしい)
誰もがわかるデザインというのは、なんでも斬れる剣、なんでも防げる盾と同じことで、もしかしたら存在しないかもしれません。
実際に弊社システムも、「考えて使っていけばわかる」という人もいます。
ハマチも実際使っていくうちに徐々に慣れてきました。
「悪いデザインだ」と先述しましたが、もしかしたらそうじゃないのかもしれません。
何が正解か、ハマチはわからなくなってしまいました。
今学んでいることをどう吸収するか
ここで今度はDXアントレプレナー講座にて、印象的だった話を。
「真に新しいものは予測することができない。ゴールが”わからない”という状態で物事に取り組んでいく」
なんだこのふわっとした話。
実はこんなようなことが講座内で語られて、取り組み方の手法などが紹介されていたのですが・・・ごめんなさい、理解できていない。
講義が下手なわけじゃない。むしろうまい。ただ内容が凄すぎて、自分の中でうまく咀嚼できていない。
わかっていると思うって思うのは、本当にわかっているのか、それともわかったフリをしたいからか。
ノートをとりたいのに手が動きません。頭がパンパンです。
話が脱線しますが、実はハマチはノートをきれいにとる・・・というか何かを書き写すのが昔から好きなんです。(ちなみに冒頭の画像はハマチのノートです。ボールペンで詰め詰め書くのが好きなんです。)
英単語を調べているうちに、夢中で辞書の細かい内容を書き写してしまって先生に「無意味なことをするな!」と怒られたことがあります。
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社内での問題を解決できそうなのに、その方法をちゃんと理解できないもどかしさ。
もう一回ちゃんと講座の動画を見てノートをとらなきゃ。なのに講座が終わったら倒れるように眠ってしまう己の弱さ。
「理解できない」がたまって、いつの間にか罪悪感に。
そんな気持ちをお世話になっているあだち先生に吐露したら、意外な答えが返ってきました。
「勉強系で、板書系の書き写しなんてしたことがないよ。教科書に書いてあるじゃん。教科書に載っていないこととか大事そうな話をメモするくらいだよ。」
あー、おっしゃる通りです・・・。
ハマチがしようとしていたことはなんだったのか・・・。
学生の時に先生に怒られたことが蘇る。無駄な時間を過ごしてしまったなと。
ここでいう「教科書」は授業動画のこと。
これをノートに馬鹿正直に書き写すなら、同じ時間を使って動画を見た方が早い。
あだち先生に、「動画なら何回も見なさい、5回見れば大体わかるから」と言われました。
そもそも、今回の講座で教えてもらったことが、未来永劫通用するとは限りません。
全部覚える必要なんてない。わからない言葉は必要な時に調べればいい。
とにかく動画を見て、体系的に体に、魂に落とし込んでいけばいい。
そう気付かされました。
字を書くのは好きです。
でも私は字を書くためにこの講座を受けたのではない。
借金を返して自由を手に入れる。そのために稼ぐ必要があり、それにはアントレプレナーシップとWebデザインを身につける必要があるから受けたんです。
時代はどんどん変化しています。今までの勉強法でうまくいく保証なんてない。
それよりも、いろいろな方法をどんどん試して、うまくいくものを探せばいいんです。だから他の方法もどんどん試す。
書くのが好きな自分はアンラーニングです。
目的は稼ぐことなのだから、そこに向かっていないことは捨ててしまえ。
・・・あれ?これ講座でやったかもしれない。
ハマチもDXや(ちと違うか)
がんばんぞ。
画像をお借りしたのはこちらのサイトです。
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