遠藤保仁選手の引退で思う、サッカー日本代表戦の雑感

丁度、アジアカップが始まった直後で、これまで何度もドラマチックな展開を経験してきた大会なので、気持ちが昂っていますw


で、少々思うことなど、メモがてら書き連ねてみたい。
書き出したのは、ツイートがきっかけでした。






昔の日本代表だと、少し名のある強豪と対戦すると、まあパンチの連打連打を浴びてのサンドバッグ状態になるのがよくありました。
日本のFWなど攻撃の選手がボールを持って前を向いてハーフラインを超えるだけで大歓声でしたから。エリア内に侵入することさえ殆どできなくて、シュートも殆ど打てない。

そういう時代から、段々と若手が強くなって、日本のサッカーは進歩してきました。以前は、得点者の人(主にFWか攻撃任務のMF)が最も脚光を浴びてて、その選手がダメ(無得点)だとダメ出しされて能力不足の烙印を押され「交代させろ、他の選手を使え」みたいな論調になりがちでした。

たまたま強化試合で得点したり、予選でゴールを挙げたりすると、「この選手を使え」みたいなマスコミ報道になりがちでした。日本人にはサッカー文化が根付いてなくて、スポーツ紙とかマスコミの論調に左右されがちだったのですね。


そういうのが随分と少なくなったのが2010年代でしたかね。ジーコジャパンと呼ばれた代表で中心選手でスターだった中田英寿が、失意の中で引退したのが2006年のドイツ大会だった。彼はマスコミ嫌いで有名で、ストイックさも強かったのかもしれないが、一人では勝てないというのがサッカーの試合なのだ。

力はそこそこ持ってたし、代表に呼ばれた選手たちは潜在能力は高かったが、チーム一丸になり切れなかった。02年のW杯開催国の熱狂の恩恵は、休息に失われて行った。


日本代表でのヤットさんのサッカーを見るようになったのは、その後だ。オシムジャパンでは、パス交換からの好機演出を見るようになったのは、この頃からだ。最近の日本代表では割と普通に行われているが、エリア付近でのワン・ツー交換や「タテに付ける」「優しいパス」のような展開サッカーは過去の日本代表では殆ど見られないものだった。それほど斬新だったのだ。ヤットさん世代が切り拓いた分野だった。


そして、何より驚かされたのが、「ボランチ」という攻撃なんだか守備なんだかよく分からないポジションの「面白さ、重要性」を体現してくれたことだった。


当方のようなサッカー素人からすると、攻撃の選手が華麗に攻めて得点してくれ、と思っていたものが、実はそれはお膳立ての先にある「(オケの)指揮者による全体のコントロール」の中にある、ということを思うようになった。


日本代表でも名を馳せたダブルボランチ、長谷部・遠藤(ヤットさん)の時代というのは、日本サッカーの礎を築いてきたのだ。

苦しい時間帯に試合をコントロールする重要性というのは、かつての日本にはあまりなかった。ボール保持能力がそれほど高くはなかったからだ。
だが、ヤットさん以降、ポゼッションの大事さというものが意識されるようになって行った。昔は、どちらかといえば闇雲に「前進するしかない」的な「国民の期待に応える」プレーが要求されていたのだろう。観る側にも経験や知識が不足していたのだから。


ヤットさんの最大の貢献は、サッカーというのが「考えるスポーツ、理解するスポーツ」なのだと教えてくれたことだと思う。
現在の日本代表が着実に実績を重ね、成長を続けてきたことも、単に個々の能力向上だけではないと思う。各選手がよく考え理解しようとし続けてくれて、その結果として対応・修正能力が上がったのだと思う。

ロシアW杯で散った(ベルギーに2-3と逆転負け)先輩たちを見てきた代表選手が、カタール大会で驚異(ドイツ、スペインを撃破)の結果を残し今も成長を続けているのは、「チームとしていかに戦うか」ということを、各選手が既に理解しているからだと思う。


今の日本代表だと、下位相手なら試合をコントロールする術を知っている。それが昔とは違う。その先鞭をつけたのがヤットさん世代の代表だったと思う。


遠藤はよく「コロコロPK」が代名詞のように言われると思うが、特筆すべきは試合の戦術眼、ゲームコントロール、必殺のパス、技巧FK、などであろう。

唐突に去った中田英寿とは対照的に、ヤットさんはサッカー界に貢献してくれた。
代表での悔しさ等は勿論あったと思うが、残した偉業は後世に語られるべきである。日本のサッカー史に名を刻むレジェンドである。


本当にありがとう。
サッカーを面白くしてくれて、ありがとう。

長い間、お疲れさまでした。

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