見出し画像

3色ボールpenish 2

術後2回目の受診
(私の胸のエイリアンの続きの話)

スフレパンケーキ

よくあるスフレパンケーキを売りにしたカフェに入ると、テーブルというテーブルがおしゃべりなおばちゃんと若い娘で埋まっており、カフェではなくて雑踏の中に入り込んだみたいに眩暈がした。

今日は術後2回目の受診日で、時間ギリギリに到着したくない私は4時の予約時間より1時間早く到着し、病院の近くのカフェに入ったがここはハズレだった。

やっぱりスタバにしておけばよかったかな。

店内に足を踏み入れた瞬間帰っていきそうな客の気配を察知したのか、若い女性店員は私を最も店の奥の比較的煩くない席へ案内した。

さてスフレパンケーキを注文と思ったら焼き上がるのに30分から40分もかかると言う。そんなに時間がないので普通のパンケーキを注文して一息ついた。スフレパンケーキはオーブンで焼いて焼き立てを提供するんだろうけど以前別のスフレパンケーキ押しのカフェでそんなに待ったっけかなと考える。

普通のパンケーキを待つ間、乳がんの小冊子を読み復習する。そんな私はなかなか良い患者だと思う。今日はDr.ヤマネコの言うところの「10,000円ポッキリ」の破格なお値段でRS(再発スコア)を検査するオンコタイプDXの結果を教えてもらう日。

Oncotype DXとは。
簡単にいうとアメリカの会社の検査で、21種類の遺伝子を調べて10年以内に再発するかどうかを0~100のスコアで表すもの。たったの一万円ポッキリでこんな検査を受けられるとは。しかも保険適用外なのにこのお値段。3週間前のDr.ヤマネコの珍しくふざけた様子を思い出してふふつと笑う。

今日のヤマネコ先生は。

ドアをノックして診察室に入るとDr.ヤマネコはいつも通り背もたれのあるクルクル回る椅子に座りこちらを向いていた。

向いてはいたが、いつもと違って少し首が左に傾いていた。ちょっとばかり不自然な感じで。

「どうぞ、おかけになって」

首を妙に傾けているものの、物腰が柔らかく気遣いができて穏やかなところはいつも通り。薄暗い診察室の壁側にコンピュータのモニターが三つ並んでいるのもいつも通り。ヤマネコの後ろ側でキノコちゃんが入力をしようとキーボードに両手を乗せて行儀よく座っている。いつも通りの光景。

ヤマネコは左に首を傾げたまま手元のA4のドキュメントをみていた。1ページ目は表紙になっており私の患者番号や検査番号、名前といったものが書いてある。2枚目以降に重要な検査結果がかいてありそうだが表紙が邪魔で良く見えない。身を乗り出してなさそうな感じでさりげなく前傾にして覗き込むとヤマネコが言った。

「これ、結果のところに名前がないじゃない?どうやって本人だとわかるのかな。ええっと、◯◯年生まれ、誕生日が7月14日」

「はい、そうです」

「あっこれね、ここに名前が書いてあった。はまぐり子さんね、結果は良かったですよ。良かったねえ。」

抗がん剤治療をせずに済むということだ。私は安堵した。しなくていいなら、その方が生活に支障が出なくて助かる。

「良かったねえ」

ヤマネコは再び深く息を吐くようにそう言った。そういってオンコタイプDXの結果を細かく教えてくれる。用紙に今までに調べた私の胸にいたエイリアンのような姿のがん細胞の検査結果を書き込みながらヤマネコはこう言った。

「こうして自分で後からでも見てわかるようにしておけば、どこへ行ってもわかるから」

えっ?私はここの病院でずっと診ていただくつもりでいるのに。なんとなく別れ話を切り出されたような悲しい気持ちになる。

「数値は22なんだけどこれは年齢によって結果の見方が変わるの。あなたの年齢だと抗がん剤治療をした場合の再発率を下げるパーセンテージは1%以下。ね?でもどうしてもやりたいなら……」

私は笑っていえ結構ですと答える。

「じゃあホルモン療法の治療を。しましょうか、ね?」

こちらへ向き直るヤマネコの首はやはり左に傾いていた。寝違えたのかな?よほど聞いてみようかと思ったがなんとなく言えなかった。

ヤマネコはホルモン療法剤の種類についてや薬剤の副作用について説明してくれた。いつも通りとても理解しやすい説明だったのだが、私はヤマネコの首が心配で、今思い出そうとしても詳細が部分的にしか思い出せない。

「ひとまず2週間か一ヶ月で来てくれるかな、どっちがいい?」

「どちらでも先生のおすすめの方で!」

「じゃあ2週間後にしましょうか。傷はどう?前の時、傷みたっけ?どう?見てみようかな、ちょっとだけいい?」

私は上着をめくって傷を見せる。

「ここ、まだ硬いねえ、ごめんね」

左胸摘出の3色ボールペンくらいの長さの傷の、脇の下寄りの所に2センチくらいの組織を寄せたシワが硬くなっているところがあり、手術後からヤマネコはずっとそれを気にしているようだ。組織を寄せて縫合するのだからこんなこともあるだろう。

でもね、先生。
命は救われたのだから身体のほんの一部のこんな小さなシワくらい、なんてことないんですよ。もう本当に気にしないで下さい、先生。確かにこの組織の寄った部分、ちょっとフランケンシュタインぽくはあるけれど。

「すこし、柔らかくなってきましたよ」と私。

「うん、そっか」とヤマネコ。

実際術後と比べるとかなり良くなってきて柔らかさを取り戻しつつある。術後は極太の針金が入っているかのような硬さであったが、今は洗濯ロープくらいの雰囲気になってきた。

「じゃあ、次は2週間後、12月1日ああもう師走だねえ。仕事、忙しい? 師走関係なく忙しいか」

そう言ってヤマネコは笑った。

診察室を出る時に、ドアを開けて室内に向き直るとヤマネコはいつもこちらを向いている。この人のこういったスタンスには本当にいつも感心するし素晴らしいなと心底思う。私は左に少し首を傾けているヤマネコ先生に深々と頭を下げつつ、早く首が治りますようにと心の中で願った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?