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3色ボールpenish

術後初受診
(私の胸のエイリアンの続きの話)

診察室に入るとDr.ヤマネコは背もたれのあるクルクル回る椅子に座りこちらを向いていた。

薄暗い診察室の壁側にコンピュータのモニターが三つ並んでおりヤマネコは右手でマウスを操作しながら私の名前が大きく表示されすぎてデータが見切れているのを「拡大しすぎだなあ」といいながら縮小ボタンをクリックする。

「はまぐり子さん、どう〜?調子はぁ」

いいです、元気ですなど答えながら画面操作をするヤマネコの向こうを見ると最初にDr.グリズリーにあった日に先生の横で入力業務をしていたキノコちゃんがキーボードにお行儀よく両手を乗せて入力できる体勢で座っていた。

「思いのほか病理の結果が早く出たのでお電話差し上げたの。早く知りたいでしょう」
「はい、待ってる間はドキドキです」
「そうだよねぇ、ドキドキするもんねえ」

いつもの淡々とした口調でゆっくりと話す。ドキドキするもんねえと言った後もヤマネコはモニターのデータの画面サイズをなにやら調整しており私のドキドキを煽った。見覚えのある私の胸のエイリアンの画像が出てきてヤマネコは再度私の名前を確認する。

「はまぐり子さんね」
「はい、そうです!」
「結果はねえ、まずまず良かったよ〜」

そうですか!良かったです!でも良かったけど『まずまず』っていう部分どうなのかな?まずまずってなに?まずまずってどういう時に使うかな?あんまり使わない言葉だからよくわからない。0から100までのスコアにするとまずまずって80くらいの印象よ。

「あ!そうだ!」

えっ?何ですか?

「あの冊子持ってる?」

もちろん持っていますよ、復習してきましたもん。でも。

「先生、ロッカーの中に入れてあります」

「持っておいでよ」

私はまずまずの結果を伸ばしに引き伸ばされてロッカーへ走る。あたふたアタフタあたふたアタフタ。盛大に音を立てながら大慌てでロッカーから冊子を出して走って診察室の前へ戻り息を整えてノックして入る。
ヤマネコは満足そうに冊子を受け取って無言でパラパラと該当のページをめぐって探す。

「読んで復習してきました!」

ちょっとアピールしてみる。

「復習してきたんだぁ。そっかぁ、じゃあここに書いてあげるね」

ヤマネコは一番最初に乳がんとは、癌のタイプとは、あなたはどんな乳がんなのか、どんな治療方法があるのかといった説明を詳しく説明してくれた時と同様に、手術で取り除いた癌組織の病理結果を著しく可読性に欠ける字で書き始める。モニターに映る病理結果をみて、冊子に書く。

「ね?2センチ以下、良かったねぇ」

ヤマネコは感情の起伏が小さめなのだけれど、この時は心底よかったねと思ってくれているのが伝わった。「悪い奴はやっつけよう」そう言ってくれた手術当日のエコー検査の時のことを思い出す。ヤマネコは回転椅子から滑り落ちそうになったことを覚えてはいないだろうけど。

「それで、と。リンパ節の癌細胞はゼロでした」

「そうですか!良かったです」

「そう。よかったねえ」

また冊子に書き込みながら話を続ける。


オンコタイプDX

「で、オンコタイプDXの話ね。覚えてるかな?」

「はい、覚えています」

「そう。これチェック、これチェック、これチェックということでね、はまぐり子さんはオンコタイプDXの検査が受けられるの。」

一番初めに乳がんとはという話を聞いた時にオンコタイプDXの話を聞いていたがその時にはまあこれは条件があるから置いといてと言われた。条件に適用するなら私の癌細胞の特性を調べてほしい。

「お願いします!」

「うん、わかった。昔はさぁこれ50万円もしたんだよね。皆んな50万円も払って調べたりしてたの」

「50万円??」

「そう。保健適用外なんだよねぇ。春くらいから適用になるって話もあるんだけどさぁ」

「はい…そうなんですか」

そんなに費用がかかるとは。
昔は50万円もと言うならそれ以下のはず。だけどそんなに低額になるとも思えない。衝撃に耐えようと身構えて次の言葉を待つ。

「でもね、あなただけ!特別に!
10,000円、10,000円ポッキリで検査ができます!」

テレビショッピングのセールストークさながらの文句をヤマネコはいつもよりは抑揚をつけて勿体ぶって宣言する。

「あなただけ!特別に!10,000円ポッキリ!」

私は可笑しくなって吹き出した。ヤマネコの向こうのキノコちゃんも笑っている。衝撃の波動は全く違うベクトルでやってきた。ヤマネコってやっぱり面白い。オンコタイプDXの検査の同意書にサインする時にまずヤマネコが自分の名前を書いた。そして3色ボールペンを書類の上に置く。

手術前に傷の大きさを聞いた私に、これくらいかな?と3色ボールペンを胸の少し上に置いてそう言った、あの時のボールペン。その3色ボールペンを手に取り私は自分の名前を書いた。

「結果は二、三週間ででるから次回は3週間後ね。何か気になることやわからないこと、あるかな?」

「オンコタイプDXの結果をうけて今後の治療方針が決まるんですね?」

「うん、そうだよ。一緒に決めるんだよ」

そのあとヤマネコは「仕事忙しい?」とか世間話的なことをした。先生はお忙しそうですねと答えると「僕はそんなことないよぅ」と少し楽しそうに答えつつ、回る椅子の上で3色ボールペンをカチカチやっている。私は診察の終わりがよくわからず、立ち上がっていいものか迷っていた。

小さな声で「おわり?」と呟くとキノコちゃんが小さな声で「おわりです」と教えてくれた。

ありがとうございましたと深々とお辞儀をして診察室を出る時、ヤマネコは回る椅子の上でゆっくりと回りながら「じゃあねえ〜」と言った。


そういえば、手術の翌日の回診の時に「傷、大きくなかったでしょ?あなたじゃなかった?傷が大きくなるのを心配していたのは?」と聞かれたことを思い出す。いえ、私ではありませんと答えた。私は傷が大きくなることは心配していなかったから。だけど今思えば、興味本位と仕事に復帰するまでの時間を知るためにとで傷のサイズを聞いた。そして3色ボールペンくらいだと答えをもらっていた。ヤマネコは私が傷跡が大きく残ると気にしていると勘違いしそしてそれを覚えていてくれたのだ。私の主治医があなたでよかった。

この日も受付で「今日は病理検査の結果をお伝えしますがお一人ですか?」と聞かれた。「はい、1人です」と答える。次の受付時も別のナースに同様の質問を受けああそうかと思う。これから抗がん剤治療をするとかしないとか重大なお知らせをするのだからひとりで大丈夫なのか?ってこと。
私は一人で大丈夫だし仮に大丈夫ではないとしたら誰と一緒に話を聞けばいいのか。高齢の父母に負担はかけたくない。配偶者も子供も兄弟姉妹もいない。こうして書いてみると私には本当に誰もいないと実感できる。しかし多かれ少なかれ人は関係のある家族を少しずつ失い最後には自分自身も失うのだ。だからお一人様だからと自分を憐れんだことはないし一人だからこその自由も謳歌している。

でも。こういうことがある時に、なんとなく社会的に引け目を感じるのも事実。
だけど。それは自分自身のスタンス次第でなんとでもなるからオッケーね。

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