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ことばってなんだろう

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私たちのものの見方、感じ方、考え方など、それらの操作方法と人生にもつ意味について。不定期更新の予定。
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言葉っておもしろい

I love you.

与格って何だろう?と思ってググっているとこんな記事にも遭遇しました。

だそうです。

与格とは何ぞや?から始まり同引用記事で印象的だったのが次のフレーズ:

ヒンディー語の与格の説明を見ていると何だか利他も利己も自分の意思だけで説明し切れないなあと思われますね。何が自分をまた他人を満足させるのかなんて自他を含むいろんな要素の組み合わさり方でどうとでもなりそうですし。

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ことばなんて

うまくならなくたっていい

うまさに

溺れてしまうぐらいなら

ぼかぁ信じてるよ

ことばよりもずっと前に

なんであろうと

よくしりたい

そう思う気持ちがあることを

ことばってな

ただ

そこから

湧き出てきているものなんだ

頭の体操もいいけれど

世の中のあれこれを分析するにはいろんなテクがある。

21世紀の現在では、概ね西欧由来の科学と呼ばれている分野で開発・確立されてきた手法やその原理原則を真似たようなものが主流となっている。

テクニカルなものというのはあまり善悪優劣があるとは私は思っていなくて、無限に多様であって何ら問題はないと理解している。

とはいえあまり私たち人間の生き様に直結するものではない分析テクというものはある。いや。

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何を感じ取っているか?

「前向き言説」”「前向き言説」に対する気持ち悪さ”とは言うけれど、より具体的に何を何から感じ取っているんだろう?(自問自答)

「前向き言説」が、現代においてパワフルであることは間違いない。

とかいいつつ、そもそも「前向き言説」って何???

”設計がリジッド”で”融通が利かない”、

”盲目的(非常に限られた領域または要素でのみ説明し切ろうとする感じ)”、

時に、”必要以上に「正しさ」を主張

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たとえ話

メッセージ伝えたい時に使うよね。

連想っておもしろいよね。

関連性があるようでないようで。

ハマると伝えたいことがうまく伝わる。

とはいえ、関連性は実はおぼろげなので、間違ってメッセージが伝わることもある(そして紛争なども起こりうる)。

関連性はおぼろげとはいえ、当然、全く何もないわけではない。そもそも、つくしと瞬間接着剤だって関連付けられるってぐらい、

ことばなんてもなぁ基本つながる

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ことだま

興味深い記事だった。

もうすぐ退位される今上天皇。

”寄り添う”が象徴的なことばになっているように、国民の安寧を願ってくださっているイメージが強い昨今。

メディアのクォリティも疑わしいところがないともいえないので、ひょっとするとねつ造されたイメージなだけなのかもしれない。

私は特に皇室フリークでもないので、さほど情報は持っていないんだけれど、その限られた情報から蓄積された記憶では、”寄り添

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「生きさせられている」は受動的か

ふとした疑問。

あんまり「私、生きてます」とか思わない方がいいんじゃないか?と。

自らのやることなすことに責任を全くとらないってこと??とも解釈されうるんだけどさ。

「生きさせていただいている」みたいな謙譲的表現ならまだ受け入れられやすいかな???

なんでこんなことをつらつら考えるのかというと、現代ってエゴが出ずっぱりな印象があるからなんよね。

私の人生、私の好きなように生きる

あまり

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最近あんまり考えてない

んだけど、考えていることは、やっぱり”ことば”について。

妻は息子に数学得意になってもらいたいと、せっせと算数の問題を解かせているけれど、数学って一体どんな学問なんだろう?というのが私にはよく理解できていなくて、よって、それが得意になるという状態がどんな感じなのかもよく分からない。

「既に分かっていることをよく理解する学問」とも聞く。

あとは厳密な論理の積み重ねかなぁ。

論理的思考。

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インターネットが一つのおっきなコミュニティだとすると

そこの住人が読みたくもないものはいくら書いても読まれるわけがない。

そこの住人はかなり多様だと言われていて、そこで読まれないようなものは、インターネット以外の世界でも読まれはすまい、と一般的には考えられている。

必ずしもそうとはいえない、と私は考えるけれど、そんなことを今ここ(インターネット上)で言っても仕方がない。

今回考えてみたいのは、テキストを書くに当たっての対象の設定について。

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VS.アルゴリズム

#note をコンスタントに公開していると、何のために書いているのか?誰のために書いているのか?というようなことを自問自答させられる。

それもこれも大して読んでもらえないから。

折角書いたんだ。さざ波ぐらいは起こしたいよね。

ただ、独自のやり方、とかとんでもなくエラソーなことを語っているように、すぐに成果を上げられるとも思っていない。

いや。真面目に。常識の範疇を飛び越え過ぎって思っている

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アクションとしての「考える」

アクションとしての「考える」

「考える」「考える」って一応アクションよね?

本マガジン『動的平衡の社会学』において、だけではないけれども、私は極端にアクション嫌い。というか。。。

みんなして急いで動きまくろうとする風潮に対して「それってどうなの?」と疑問を呈し続けている。

そこへきて、「考える」をアクションだなんて言っても、苦しい屁理屈やアクションに対する皮肉にしか聞こえないかもしれない。

実は結構真面目。

「考える

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敵は超巨大だ

敵は超巨大だ

さっさと何か書いた方がいいのは山々なのだけれど、計画も必要と思う。それぐらい書きたいと思うことはバカデカい。

人間が道徳心を失った地点まで戻らなければならない。

しかも、私が21世紀の現在使える言葉は、相当西洋文明に浸食を受けている。

つまり、極東の辺鄙な島国で生まれたのに、西洋オリジンの文化が、土地特有の翻訳・解釈も経ながらだけれど、生活の一部として受け入れられているという状況。

それは

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The White Tiger

The White Tiger

By Aravind Adiga

近所の行きつけの図書館の「要らない本の箱」で見つけた本。

ぱっと見、めちゃキレイだったので、全く面白くなくて読まれなかったか?面白過ぎてあっという間に読まれちゃったか?どっちかな???と思っていたのですが。

当たりでした♪

フィクションの勉強のために最近買った本そっちのけで読んでしまいました。

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舞台はインド。

ちょっと『罪と

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今の神様昔の神様

伝統的宗教の信者がその信じている神様のすごさというか抱くべきおそれみたいなものを長い歴史や伝統、そこから(根拠薄弱ながら)夢想される普遍性などなどに求めるという傾向はある。

昔の神様ってスゴイのか?

神様って人間の発明だから、大したことないんじゃないか?

現代人って昔の人よりも進んでいるって思いがちなくせに、神様となると古い方が威厳があるのかな?

昔の人を敬う方法というのは、思い切って言え

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