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何を感じ取っているか?
「前向き言説」”「前向き言説」に対する気持ち悪さ”とは言うけれど、より具体的に何を何から感じ取っているんだろう?(自問自答)
「前向き言説」が、現代においてパワフルであることは間違いない。
とかいいつつ、そもそも「前向き言説」って何???
”設計がリジッド”で”融通が利かない”、
”盲目的(非常に限られた領域または要素でのみ説明し切ろうとする感じ)”、
時に、”必要以上に「正しさ」を主張
「生きさせられている」は受動的か
ふとした疑問。
あんまり「私、生きてます」とか思わない方がいいんじゃないか?と。
自らのやることなすことに責任を全くとらないってこと??とも解釈されうるんだけどさ。
「生きさせていただいている」みたいな謙譲的表現ならまだ受け入れられやすいかな???
なんでこんなことをつらつら考えるのかというと、現代ってエゴが出ずっぱりな印象があるからなんよね。
私の人生、私の好きなように生きる
あまり
インターネットが一つのおっきなコミュニティだとすると
そこの住人が読みたくもないものはいくら書いても読まれるわけがない。
そこの住人はかなり多様だと言われていて、そこで読まれないようなものは、インターネット以外の世界でも読まれはすまい、と一般的には考えられている。
必ずしもそうとはいえない、と私は考えるけれど、そんなことを今ここ(インターネット上)で言っても仕方がない。
今回考えてみたいのは、テキストを書くに当たっての対象の設定について。
こ
アクションとしての「考える」
「考える」「考える」って一応アクションよね?
本マガジン『動的平衡の社会学』において、だけではないけれども、私は極端にアクション嫌い。というか。。。
みんなして急いで動きまくろうとする風潮に対して「それってどうなの?」と疑問を呈し続けている。
そこへきて、「考える」をアクションだなんて言っても、苦しい屁理屈やアクションに対する皮肉にしか聞こえないかもしれない。
実は結構真面目。
「考える