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海外放浪記(社会人時代)

東南アジア中国放浪後の就職活動では、全くの準備不足で色々と紆余曲折はあったが、なんとか希望の業界(国際開発協力)で職にありつくことができた。

当然海外志向。しかも開発途上国地域ではあったのだけど、あくまでも仕事で、なるべく長い期間滞在したいというのが望みだったのと、あと、旅行はのんびりできないんじゃあ行っても忙しいだけだ、と、仕事が巡ってこない以上敢えて外国へ行きたいとは思わなかった。

今は全く状況は変わったみたいだけど、私が就職したころは、ある程度経験を積まなければ短期の出張ベースでも海外での業務に従事できるチャンスはほとんどなかった。

実際職場の諸先輩方は様々な業種で主に開発途上地域での仕事を経験された方々がほとんどで、いわゆる社会人採用の人たちであったし、同期入社の面子も、大学院卒とか学卒だけども休学して留学していたという人間がおり、つまり、年齢的には私よりは2~3歳上で、そうした人から順に海外出張の仕事が回ってきていた。

若干の例外もあったけど、典型的な年功序列。

ということで、2、3年は何もないんだろな、ということは受入れていた。

そうこうしているうちに3年目の終盤に一週間程度ミャンマーに行かせてもらい、4年目には系列団体へ研修という名目で出向して、そこでは研修期間である1年とちょっとの間に、7回(いずれも短期)出張させてもらった。ちなみに内訳はフィリピン(灌漑施設(の建設を取りやめとするもの)、地震火山活動観測ネットワーク設置、4回)、ラオス(林業、2回)、ジンバブエ(下水処理場建設、1回)。

ただ出張、しかも短期じゃあなぁ。。という感じで、なんか仕事をやったっていう実感が中々得られなかった。フィリピンの1件は取り止めだったし。。

途上国地域での開発協力の仕事。

やっぱり長期滞在でもしなきゃ、仕組みやらその国ごとの事情やらなにやら、そうそう把握できるもんでもないよなぁと。その点フィリピンに1年ちょっとという期間に4回も行けたことはとても恵まれてはいたんだけどね。フィリピン側に知り合いもできたし。。でもやっぱり出張ベースではね。。。自ずと限界がある。1件は取り止めだったし。。(しつこい)

そんなこともあり、もとの組織に戻って、やっぱり(主に年功序列のせいで)あまり海外での仕事はなかったんだけども、短期の出張なら別にいいや、と思っていた。

唯一これは!と思ったのは、約一か月間スリランカへ単独で出張する仕事に恵まれたこと。

これは中々身になったという実感があった。

なんてったってそれまでの出張は諸先輩方がメインで、カバン持ちといっちゃあ言い過ぎだけど、やっぱり自分はあくまでも補助的役割だったからね。

補助がイヤとかでなく、やっぱり甘えちゃうじゃない?よく知っている人たちに。

それではいかんのやけどもね。どうしてもね。

業務の内容もスリランカの主要な病院を巡って、医療器材を中心にスリランカ側の要望を必要性に照らして確認するというもので、ちょっと放浪っぽかった。コロンボ周辺だけでなくて、わりと遠方の病院も巡ったし。

スリランカ人の運転手さんと二人で。

その運転手さんなぜだか日本の演歌が気に入っているということで、車での移動中ずっと演歌。

演歌をききながら~🎶

って歌(吉幾三)も実際そのテープ(時代を感じさせるなー)には入っていたんだけど、そういう雰囲気もなんかよかった。

そうこうしているうちにさらに2年ほどが過ぎ、とうとうやってきました。海外赴任のチャーンス。

会社の年齢構成のせいやろね。

段々上の人々が家庭?子どもさんたちの教育?などの事情で海外赴任を受けなくなってきていた。

こちとらもう願ったりかなったりで、二つ返事で行かせてもらうことにした。

行先はザンビア。

これも関連団体への出向という形なので、期限はわりと厳しめに決まっていて3年間。

赴任前の研修・準備などの約2か月も含まれているので、現地は正味2年10か月程度だったけど、出張ベースとは全く状況・条件が違う。

就職してから苦節?ってほどでもないけど。。7年を過ぎた頃だった。

多分ここでの経験がなければ、今みたいに社会人辞めて本気の?放浪なんてしてないと思う。

流れよね。いわゆる。

一旦流れ始めたものはそうそう簡単には止まらない。

社会人時代はなので放浪というより、放浪の種が播かれた時期だったといえるのかもしれない。

何がそうさせるのか?

放浪といったって何も全く考えないでフラフラするわけじゃあない。

逆。

いろんな仕組み。特に国というものが今じゃどこにでもあって、どんなに開発途上といわれていたって、それが法律でもって様々な制度を敷いていて、そういうものに従わずには、原則、生きてはいけない。

外人って立場だと、当然だけれども、現地国民とは別に特別に管理されるから、自ずと諸制度に敏感になる。ならざるを得ない。

政府間の国際協力の仕事だと、二国間の取決めで、各種特権が付与されたりもするのだけれども、特権なわけだからオールマイティってことではなくて、逆に”通常との差”を理解しておかないと、現実には起こりにくいけれど、そういう特権が見直され、取り消されちゃう可能性もあるということ。

まあ完全マスターなんてもんとは程遠いんだけれど、そうした仕組みを概略つかんでいると、国が違ってもやるこた同じ、っていうとちょっと乱暴だけど、まあそれなりに準備はできる。

だからかな。

放浪に流れてしまっているのは。。。

要するに放浪し、流れ続けることに対してカベが低い。

制度的なお話とは別の種も播かれたと思う。

日本って何?日本人って何?みたいなね。。。

そうやってちょっと距離を置くようになったこと。

あくまでも精神的にね。

今じゃ物理的にもか。。。

でもやっぱり始まりは精神的なものだと思う。

私は外国に行けば行くほど、自分は日本人の権化だという思いが強くなる。

振る舞い、性格、考え方、クセ、感情の動き、などなど。

これほど日本っぽいやつおらんやろ?だって日本で生まれて日本で育ってきたわけやし。当たり前。

そういう感覚が、適度な日本との距離感なんだと私は思っている。

ヘンなこと言ってる?

まあ詳細は後に回すとして、

こういう感覚は他の国の人にはなかなか得られないんじゃないか?とも思う。

だってアフリカの国々なんて多くは第二次大戦後国境ひかれてできた国よ。

今ザンビア国民だといったって、それぞれが自分自身のことをザンビアっぽいなんて思えるか??それより何々族とかやろ??もしくは双方併存使い分け??

というように、日本みたいに太古から続くアイデンティティ?文化?みたいなものと、現在の国家とがつながっている国って相当少ないんじゃないか?

ヨーロッパの国々といったって、領土や名前は何度も変わってきているわけで、現在の国家の枠内での国民それぞれが、自身のルーツやら自身を特徴付けていると感じている要素などを、現国家の名前で代弁させて納得なんてできるのか?は定かでない。

つまり、日本人以外は別に海外に出ようが出まいが、国民とされている国家なるものに対していくばくかの距離感がある。

だから無条件・無批判に現在の国家なるものを国民全員で担ぐなんてことはほぼない。

そこで、もとに戻ると。

私が自分のことをとことん日本ぽいって感じることがなんで日本との距離感をおいていることになるのか?

まず、少なくとも”自動的”ではなくなるよね。ちょっと意識が向く。日本人というものであることに。

次に、特徴とかかな?あげつらうというか、とある要素を取り出してみて「これが日本っぽいものの正体?」みたいに分析するというか。。まあ対象としていろんな要素を見直してみる感じ?

そして最後。これがとても大事と思うんだけれど、様々見直してみたところで、そういう日本っぽいもんは自分からはまあ切り離せないな、と感じる。

生まれた頃からくっついてきているというか、自分の存在の仕方?生まれてからここまでの道筋全部。日本っぽいものあってこそ?うーん。どういえばいいか。。まあどれぐらいのポーションを占めるか、どんだけのインパクトを与えるかなどは時と場合によっても変わるんだろうけれど、絶対ゼロにはならない、ということかな。日本。

まあこの三段階を経てというか、何度も何度も繰り返していくとさ。

おそらく大体の場合、信仰対象のような感じで、日本なるものに縋りつこうとすることはなくなるはず。

ファミリーメンバーに対するかのように、なぁんか小憎(こにく)らしいところや、どうしても癇に障ることがあったとしても、いとおしくも思えてしまうような。ふとした時に「いてくれてありがとう」なんて感謝してしまうような。そんな感じ。

いい関係と思わん?私と日本?

やっぱヘンかな???

まあだから、私の場合、今となっては、日本に住んだとて放浪なんだろうと想像する。帰らないけどね。

毛嫌いしているわけではなくて、やっぱちょっと辛いかな?と。

日本人以外の人間は、国家とか今の国名とかと、きっとある程度距離がある、と言った通り。

言葉も通じない、風俗習慣も違っても、親近感とまではいかないけれど、何だか安心。

距離おいてるもん同士。

日本に帰ればそんな人間いやしないわけで。簡単に言えば孤独。なだけならいいけど。。。面倒。

今はポルトガルに根付こうと試みているわけだけれど、やっぱり同じヨーロッパでもデカい国はできるだけ避けたい。イギリス、フランス、ドイツ、、、スペインもポルトガルと似ているところがある分イヤだな。デカいポルトガル?みたいな。。。

デカい国が住みにくそうに感じるのは、日本の皆様お馴染みの”同調圧力”ってやつ?それが強そうだから。

これも仕方ないところがあるんだろう。大国にしてみれば。

実際強いんだから、、、。統治者側は国名活用してまとめようとするだろうし、大勢の(主に利益を被っている)人々はそれで固まろうとして違和感なんて湧きにくいだろうし。。。

人間の考えつくことなんてやっぱり大して多様じゃあないんだよ。

元々は個々様々、無限の多様性?ともいえるものがとある方向へまとめられる力。パワー。

そういうものに”抵抗する”のでなく、”いなす”のでもなくて、ただ少しだけでも自覚的でありたい。

できればみんなにもそうあって欲しい。

あくまでも一人一人のやり方で。

アナーキーだなぁ。。。

(21世紀編へつづく)

そういえば、会社辞める直前に放浪っぽい出張があった。

当初3~4週間の予定で出かけたモルディヴ。

リゾートじゃないよ。

2004年末に起きたスマトラ沖の巨大地震と津波。

モ国も津波の被害を受けたため、その復興支援のお仕事。

これがなんとトータル約2か月の長旅になってしまった。

詳しい話は21世紀編で語るかも??

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