悔しい思いよりも恥

色々悔しい思いは味わう。

単に自分が上手くできなかった。

その上、それ必要?と思うような揶揄や嘲笑を受ける。

当然上手くできるようになって見返してやる!と感じる。

でもあんまり長続きしない。私の場合。

それより。

恥ずかしい思い。

これを怖がらない。

なんて横着な戦略だと我ながら感心する。

上手くやれるように頑張るのって。。。しんどいのよね。。。

綿密に計画立てて一段一段登っていくというのもきちんとできた記憶なし。

一つ一つに思いを込めるというのも苦手。

ただ実際に身に起こったことは「自分のことだな」と受け止めはする。

実際起こったことって、事前に様々想定していたこととは違ってる。想定していたのに防げなかったことなんてのも数え切れない。何度も同じようなことは起こる。それはいろんな意味で「恥ずかしい」こと。

でもその「恥ずかしい」という感覚。それをもたらすに至ったすべてのこと。それが私自身に起こった事実。逃げも隠れもできない。(言葉で誤魔化して逃げようとすることはできるけれどね。。。)

そんな意外なこと、思い通りにいかないことの連続の中、なんとかかんとか面倒みれるのって結局自分自身のことだけだなと。

他人のこと?

うーん。

面倒見るのとは違う感覚。

誰かのことを見て感じたり考えたりするのは自分だなとは思う。

干渉になるのかどうか?は微妙だけど、なるべく思いのままやってもらいたいとは思う。後々恨み言が残らない感じで。つまりポテンシャルは上手に使いこなす感じで。

鍛錬・練習含む準備は勿論大事。

端っから上手くできなくてもいいと開き直るのも問題。

まあそれでも。

起きていないことは分からないからさ。

私は恥ずかしい思いも含め実際に起こったことを大事にするだろう。今後も。

単に身の程を知るというだけではなく、身の程を深く知るためにも、思いの外上手くできなくて恥ずかしいような思いも恐れずに。

ゆっさゆっさといろんな揺さぶられ方を刻み込んでいきたい。

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