全部いっぺんにはできない

「ごめんなさい」って素直に認めれば笑って赦すって言ったら、「そんな寛容になれるなんて神か仏」とか「口で『ごめん』って言って何も反省しない人だらけになる」って返す人がいるんだけど、私はまあとりあえず笑って赦してから考えればいいと思う。笑って赦すって別に聖人たれってことじゃあないんじゃないかと。特に問題がでっかくて現実に被害を被っている人が沢山いればいるほど、「ごめん」「ごめんで済んだら警察要らん」を繰り返している間に、どんどん被害がおっきくなると思う。現実に救済策を策定して実施して被害者を困難から救い出すためには、間違いを起こした人にそれに専念してもらう必要がある。「ごめん」はもうええから着実に仕事進めてよ、ってメッセージ。

もうええって言わなきゃなんないのは、そうならなきゃ、間違いを起こした方の人々がいつまでたっても「どうやったら批判をかわせるか?」つまり被害者のことではなくて、批判者の動向に注意や労力を割いてしまうから。そうしているうちは間違っても「自分ら間違えました」って言わないし、言わないでいるってことは、段々と本当に間違えてなんかなかったんだって錯覚し始める。なんでかっていうと、そんな泥沼になるってことは、そもそもの問題がえらい複雑な原因結果関係を含んでいて、実際「どこが間違いだったんだ?」ってのが特定されにくいから。ということは、引き延ばせば引き延ばすほど、いくらでもそれらしい理屈はつけられるのだ。真っ赤なウソなんてもんではなくて。

つまり、ごめんって言うのは、複雑な要因が絡んでいることは分かっている、だからこそ、うちらんとこでケジメつけることにせんと全く手が付けられない、って区切りをつけるってこと。大事なのはだから外野は余計なこと言わないってこと。実際に手を動かしてもらわなきゃならない人と被害を被っている人。そっから話を始められるよう干渉するってのはいい。

でも、被害を今は被っていない人が、自分らも将来的に被害被る可能性があるからってだけで、実際に手を動かしてもらわないと困る人々に「あんたらの言うことは信用でけん」とかいってわいわい騒いじゃいけないと思う。やめないと、、、本当にいつか被害被ることになるよ。。。

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