「ないものはない」(または絶対無)
そもそも人生って、、、戦いじゃないんだけどね。。。(自分との戦いと言うのは勝手だけど。。。)
あくまでも自分を特定させない。
そうやっていると周りが勝手にいらだって色々仕掛けているうちに失態を犯してくれる。
自分にとっての幸せなんて「ない」。他人の失態を眺めて、自分は失態は犯してないってちょっと安心できればいい。
楽ちんだね。
そりゃみんなマネするさ。
「待ち」や「しばし静観」ってのはある。でもそれは自分が何かを見たいと思っているから。その何かとは、他人の失態ではない。その先。他人の失態は哀れだけれど、それを補って余りある何かがおぼろげにでも見えているからこそ待つ。
責任感も生まれる。きっと骨は拾ってやる。
楽ちんではない。
まだないけどきっとある。
それを信じるのは案外難しい。
けど「何かあるな、、、」って感じるの、、、止めらんないからね。人間って。
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