たいがいやけども

たいがいてきとーに生きてきたけど、もっともっとてきとーに生きたかったなー。

少なくとも、てきとーに生きてきたことについて、全く責任なんて感じない程度には。。。

見ての通りの人間に、見ての通りだと言ったところで何になるか?

余計なお世話ってもんだ。

結局のところ、全くの独り相撲人生であった。。。独りで相撲とるのって本当にバカバカし過ぎて笑いも出ないね。

敬意とか尊重とか。。。

マジ辞書から消し去りたい気分だ。

伝説・空想の動物たち(ドラゴンとかユニコーンとか)よりはるかにタチ悪いよ。。。

しかし。。。

真面目に信じてるのか???

ともかくサバイバルしないと何もできないからってサバイバルのためならほぼ何やったっていいんだ、とか、そもそも目指せばサバイバルできるって。。。

サバイバルなんて。。。

語義からしても、理屈からしても、今現にとある状態にある(つまり生きている)、ってことで、その時になんなきゃ分かんないもんだよね。。。

0.1秒後であろうがその時になってみなけりゃ分からない。

そんなこと(先のことは分からない)よりも。。。

とある状態はそもそも「目指す」もんじゃない。

「そうなる」ものだ。

「健康である」とか「病気である」とかとちがって、「生きている」は、いったんそうでなくなったら次はない。健康と病気は何度でも繰り返せるけど、「生きている」と「死んでいる」はそうはいかない。

世の中には何度も繰り返せることの方が圧倒的に多いから、とある状態だって目指せばなんとかなる(失敗しても何度も目指せる)と思われているけど、基本的に状態は目指せない。

様々工夫は凝らせても、「そうなる」かどうかはフタを開けてみなければわからないこと。

状態は目指しているんじゃなくて、願っているんだ。

「努力努力というけれど、結果が伴わなけりゃ意味がない」とか。。。

言っている連中こそ楽しんでいるのはそのように言えるようにとたゆまず努力しているプロセス。

どんな境遇に置かれようが結果なるものは開いてみたあとに分かるもの。

余裕な連中は結果を予測したり出したりしているんじゃない。

”余裕”というプロセスを楽しみ続けられるよう”必死で努力”しているだけだ。

結果を根拠に威張るなんて愚の骨頂だ。

そしてできる方の人間から結果を根拠にできるようにと必死になっている現代。人間全体で愚かになってしまっていることに疑いはない。

あからさまに威張るなんてことはしないといっても、そもそも「結果」が「努力」と必然的には繋がらない以上、俺の努力は有効で、あんたらのはムダって差異付けしようとすれば、エラソーにならざるを得ない。そうでもしなければ、みんなそろって運任せで生きているに過ぎないってことがバレてしまう。ちゃんと頑張った人だけが生きていられることにしておかねばね。。。

威張ってなんていないって言いながら、実は徒党を組んで「”余裕で”エラソーにできる体制」が確立・維持されるよう、”必死で努力”している。

そして。。。

その(醜い)努力は評価・報酬に値すると。

とある状態にある(結果が出た)ことに気付いたなら、まずとりあえずは感謝しときなさいっての。

なんで「俺さまががんばったから」になるわけさ。。。

傲慢にもほどがあるっていうよりも。。。

頭ヨワイの???

ビバ!啓蒙されたらしい人類!!(自分たちのことを啓蒙されたとか言い出した時点で既に詰んでいたのかもしれないね。。。)


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