グローバリゼーション(悩)

とはいうものの、広まっているのは西洋由来のしきたり。ビジネスとか。国民国家とか。間接民主制とか。

一般市民の生活に関わる物質的な部分でも、お家の建屋だって台所や食卓、居間やそこを調える品々だって、どんどん西洋風のものが取り入れられている(もちろん日本なら和風、その他のアジアの国々なら各々の伝統的風味も残されるわけだけど)。

大きな趨勢は、供給側主導で持ち込まれていて、個々の消費者の趣味・好み・必要性などをもとにして西洋風のものが広まっているわけではないのだろうけれど、私たちが今現実に目にしている通り、結局は広まり続けている。

なんでだろうね?

何ジンであっても使いやすい?便利だから?

清潔そうでかっこよくても、使い勝手が悪ければそれほど広まることもないだろう。

元々なくて、西洋風のものの他に選択肢がないとか?

いずれにせよ、非西洋の伝統的なものはどんどんとバックグラウンドへと引っ込んでいく。グローバリゼーションとともに。

さすがに第二次大戦の痛手から立ち直ったあたりからは、そうした廃れゆく伝統的なるものへの回帰や、維持・保存を訴えるアクティヴィズムなども目立ってきたけれど、そうした動きも分業やらの資本主義的生産システムとか、国民国家なるものが敷く法制度とかの上で企画・実践される。

現在世界には約200の国民国家があるので、それぞれの国々にリーダーたちがいる。このグローバリゼーションの世の中では、確かに白い男だけがリーダーなのではない。

けれど。

リーダーの中にもそこはかとなくピラミッドみたいなもんがあって、頂点の方には白い男たちがいる印象がある(単なる印象であると私は思いたいのだけどどうなんだろ)。。。

これも確かなことだけど、国連や多国籍企業のトップたちだって、いろんな色の人たちがいるから、そこだけ見れば白だけが優遇されているとはいえない。

が、しかし。。。

「白に染まれる(っていうとなんかおかしいけど)」人が上の方にいる気がしてならない(これも気のせいならいいんだけど)。。。

世の中を動かしていく、あるいは、世の中をすいすい泳いでいくためには、西洋風をマスターするに限る。

のかな???

最近は単一独占より多様性の方がいいともいわれているけれど、ふつーにやってると単一独占の方へと傾くようだ。

なんでだろう?

『模倣の法則』(タルド)???

今みたいに地球が狭くなった(多くの人がいろんな所へ行ける、似たようなもんが満遍なく行き渡る)なら、多様性ってのはほぼ無理なんだろうか?

現実的には、地球外生命体の登場に期待するわけにもいかないし、そもそも多様性のどこがいいのか?単一独占の何が危ういのか?考えるしかないのかなー?

なんかでも、、、負け戦っぽくて気が乗らないなー。。。


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Hakushi Hamaoka

動的平衡の社会学

私たちの社会を構成する関係性は全て非対称で非平衡。「社会を分析する」とは、動的平衡のプロセスを精緻に観察することから始められるべき。
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