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克服

困難は克服したい。

困難な状態に出くわせば、少しでも良い状態に変えようともするだろう。

原因結果の分析をして、原因を潰すか、媒介物をめっけて、そいつのはたらき具合に細工を加えて結果をちょっとでも変えようとするか。

合理的科学的手法としてはそんな感じ。

意識の領域ではどうだろうか?

原因物質が本当に殲滅されたり、因果関係が物理的、化学的にチェンジされてなくても、とある事象・現象を克服したような気分ぐらいは作り出せそう。

全く同じ物事が違って感じられる。気の持ちようとか。

みんながみんなラボに入って実験・分析できるわけでもないので、やっぱり意識で調整でしょうね。多くの人は。困難に出くわしたな?と感じれば。

置かれた状況なりに結構どうとでもなる。

人間の想像力は激しくパワフルだ。

激し過ぎる感も否めないのだが。。。

あのー。ちょっとぐらい現実に目を向けてみません??

そんな感じ。

弱点の克服。

これね。

もっとも現実感が薄くて、激しくパワフルな想像力が爆裂しているのって。

自分のことなんだ。勝手にさせてもらうぜ!

そだね。

弱点克服イリュージョンって、それでもサイテーって思う。

他人様のことはどーでもいいので、私自身のことを話しましょう。

私は怒りん坊です。

始終怒ってます。

物心ついたころから、落ち着いた安らかな気持ちで、イライラせずニコニコ笑っていた記憶がありません。

もうダメだと結構若い頃に諦めましたね。

克服なんて無理。克服したなんて思えるほど努力したともいえない。でも、せめて抑える努力ぐらいはしようと。

ダメもとですわ。

抑えられたとしてもそりゃ全部私以外の人々、モノゴトのお陰。ラッキー。

よくお相手して下さいました。ありがとうございます。

そんな感じ。

どこまでいってもダメな自分。それに付き合ってくださる人々。

これが同時進行なのがポイント。

いい大人なので、問題あれば修正しようとはしますが、現に起っちゃっていることはどうしようもない。修正?そりゃした方がいいに決まってますけども。。。修正前の状態でも周囲に人々はいるし。「次は大丈夫ですけぇ」とか言ってそれ信じてくれたとしたって、失敗や過ち、とまで言わずとも、マズイ自分が存在した事実はキャンセルはできない。

私の中で現実に目を向けるとは同時進行の事実を忘れないこと。

実感としてあるのは「逃げ場はない」。

やけのヤンパチ?

なってもいいけど、それで終わらないさ。

受入れであって悟りではない。

自分のことなんで勝手にやらせてもらってます。

同時進行なのに勝手に想像の世界に行っちゃって(逝っちゃって)勝手に現実に戻って来る。

そこまで勝手はできませんがね。

同時進行のタガが外れれば、誰だってコンフォタブルな想像の世界に逃げ込むさ。

そしてあんまりにも当たり前に行って戻ってを繰り返していれば、それが当たり前と思ってしまう。

そんな自由気ままな、事実とあり得べき別の可能性の間の行き来を指して、「自己批評的」「客観的に自己を振り返ることができる」などと言えるか?全く言えない。

言いたいなら、せめて「ちょっと失礼します」ぐらい言って行けばいい。想像の世界。現実に戻ったら?「失礼しました」でしょ?

この一言が言えないと。。。

とんでもなく失礼なヤツになってしまう。

礼儀を弁えなきゃ相当エグイことできるよ。私たちって。

前進前進。向上向上。もいいけどさ。

同時進行の現実を抜け出すことはできない。

不完全な醜態さらさなきゃなんない。いくら次はよくできるとしてもね。

一つよくなりゃパーフェクトっすか?

なわけないよね。

いくつ弱点抑えたって、パーフェクトヒューマンにはなれやしない。

理屈で考えれば当たり前のこと。

「自分が不完全?んなこと自明過ぎるでしょ?」

なんつって余裕ぶっこいているヤツほど、どんだけ自分が不完全な醜態を晒し続けているか?って現実についてスーパーディスカウントしちゃってる。

想像力爆裂させるのもほどほどにしないとね。。。

「弱点克服」なんてそんな甘っちょろいもんじゃない。

本当に克服したい気持ちがあるなら。

片時も忘れないでいようと試みぐらいしてみてごらん。

まず無理ってことが分かるから。

くれぐれも。

「克服を試みるな」

なんてことは全く言ってませんので。

間違えないでね。

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