ちょっと違っている少数派をターゲットにするよりも

大多数の普通の人々が少数派にやさしくなれる方が絶対いい。

少数派をターゲットにするのは簡単なだけではなく、そんなつもりがなくても、少数派をターゲット扱いする多数派の方の満足度向上を指向してしまう。

「問題を一つ一つ解決しようとしている。」

「実際に一つ一つ解決できた。」

等々。

少数派は救われる人々というよりも、解決されるべき問題であるかのよう。

になってしまう。

一つ歯車が狂えば、「駆除」されちゃったりもする。「社会のため」とかいう美名?の下に。

大多数の普通の人々の方が、ちょっと違った少数派にやさしくなれる方法って?

まず大前提として、普通って何?とか問わない。

違いが気になってしまったら、分かってしまったら、気付いた(理解した)というその違いに沿って調整すればいい。気付いた(理解した)方の人間が。

それが基本的なやさしさ。

「せんせー。この子ヘンですー!」

子どもなら仕方ないかもしれないけれど、それでもなお、望ましいこととはいえない。(注:泡吹いて卒倒しかかってたりしたら知らせなきゃダメですよ勿論。)

幼子たちは案外普通に遊んだりしている。

気付いた後どう振る舞うべきか?

導くのは大人の役目だろう。

勉強も大切よ。何がどう違うのか?なぜ、どうやって違いが生まれるのか?適切に、子どもたち、或は、違いについて全く予備知識のなかった人に伝えられないと導くことなんてできないからね。

勉強なんて自分を飾るためにやるもんじゃないんだよ。

分かっていると思うけど。

弱者救済もね。


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