水道橋博士、ヴァンヘイレン、サイバー小娘。〜小娘編6〜

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朝から夕方までのバイトを終えた小娘は、チャリをかっ飛ばしていました。
今日は日中だけインドカレー屋のバイトで、夜のファミレスバイトはお休み。さっそく昨日手に入れたディレイを試しに、ヴァンヘイレンのスタジオへと向かいます。

よく磨かれたドアを開けると、いつものように静かなロビーに鳴り響く自販機のブーンという音がします。
カウンターを見やると、そこにいたのはオーナーである水道橋博士でした。

なんとなくヴァンヘイレンに会うことに気まずさを感じ最近ここから足が遠のいていた小娘は、ホッとしてカウンターへ向かいます。

「お〜、ハム子ちゃん久しぶりね〜、最近来ないねって話してたんだよ〜」

あれ?そうですかね?と目を逸らしとぼける小娘。

「こんなに来ないことなかったし、彼氏でもできて忙しくなったか?ってみんなで言ってたくらいだよ」

と軽く笑う水道橋博士。そしてそのまま

「いいメンバー見つかった?」

と続けてきます。

ギクっとするって、こういう感じなんだな…と思いながら、小娘は何も言えず水道橋博士を見ます。

「ハム子ちゃん、自分の思うようにするべきだよ。誰が何を言っても、ハム子ちゃんの時間はハム子ちゃんのものなんだから。何も悪いと思わなくていいんだよ」

これまで水道橋博士とこんなに長い会話したことなかったな…と小娘はぼんやり思います。

ヴァンヘイレンや他のおっちゃんたちが小娘をかまっている時も、水道橋博士は会話に入ることはなく、いつも小娘に対して他のお客さんと同じ感じでしか接してきませんでした。
機械的に必要なマイクの本数やアンプの好みを聞かれ、部屋に通され、終了後にはテンプレ通りに会計をしてどうもありがとうございました、と送り出されるだけの関係です。

かまってもらうことに慣れていた小娘は、どこかで水道橋博士に嫌われてるのかもなぁ、と思っていたくらいです。

そんな水道橋博士が、いま小娘が抱える感情を見透かしていたことに驚きました。
でも小娘は、不思議とその言葉に温かさは感じませんでした。どこか突き放されたような、ひとりの人として扱われている緊張感を感じます。

誰も本気では背負ってくれない、誰かがどこかへ連れて行ってくれるわけでもない、そんなことを通告された気分です。

小娘は改めて、水道橋博士は怖いなと思いました。
ありがとうございます、とだけ伝え、早速部屋へあがります。

なんとなく見た目が好き、という理由で今まではボロボロの白いマーシャルの部屋を選ぶことが多かった小娘ですが、今回は最近バンドで使うスタジオでよく当たるJCM900というマーシャルのある部屋を指定しました。
残念ながらここには800しかない、と水道橋博士が言うので、じゃあそこでお願いしますと部屋を取りました。

ヴァンヘイレンが知ったらなんか思うかな、と考えながらせっせと準備をします。

水道橋博士の一言でなんとなく腹が据わった小娘は、
だからなんだよ、いいんだよ、自分しか面倒みれないんだから!とかき消しながら昨日買ったヤマハのディレイを繋ぎます。相変わらず単純な思考です。

バンド練習をしてみて、オーバードライブやディストーションといった歪み系エフェクターの使い方が致命的に下手だと自分で感じていた小娘は、今日は思い切ってギターとディレイとチューナー(音階を合わすための機材)とアンプだけ、という一度試してみたかったセッティングにしてみました。

小娘は初めて個人練習で入ったスタジオで、マーシャルに直接ギターを繋いで思いっきり腕を振って大きな音を出したときの感動を忘れられませんでした。これは大人になった今も忘れていません。

白いマーシャルはたぶん玄人向けで小娘にはうまく扱いきれないけれど、普段使う900やこの800はなんとなく相性がいい気がします。

あれこれとアンプのつまみをいじり、思い切りジャーーー!とかき鳴らすと、思わず「おぉーーー!!!」と自分で叫ぶほどカッコいい音ができました。
骨太でズドーン!と身体の芯から鳴るような音でした。

次のスタジオはこれで試してみんなに聞いてもらおう、とワクワクしつつ、ついにディレイのスイッチを踏み、軽くギターを弾いてみます。

ちゃらん…らん…らん…らん…

やまびこのように音が返ってきます。
今はまだ線路を走る電車のガタンゴトン、のテンポに近く、その反響もだいぶくっきりと大きく返ってきます。

イメージの中のフレーズは、もっと柔らかく澄んでいて、遠くでぼんやり音が丸まっているような感じです。

床にどかっとあぐらをかき、いくつか並んだツマミをぐいっと捻りながらちゃり〜んとギターを弾いて、また捻ってまた弾いて…反響してくる音の間隔や輪郭の明確さなんかを調整していきます。小娘はイメージの音を探してひたすらこの作業に没頭しました。

プルル!っと内線が鳴り、水道橋博士からあと5分で終わりだとコールが入ります。

まだイメージ通りになっていない小娘は延長できるかを尋ね、全然大丈夫、とのことで2時間の延長を申し出ました。個人練習に3時間も入るのは初めてでした。

熱中しすぎて途中で目眩がして、急いでバッグを漁り、ピーチョコをだして口に放り込みました。
体力がない自分が恨めしいですが、今はそれでも手を止めたくありません。

ギリギリまでトイレも我慢していましたが、そろそろ限界です。
あーーーーーもう!!!と自分の膀胱に苛立ちながら、アンプをスリープ状態にして外へでます。

トイレに出たついでに、自販機でカフェオレを買いました。
音を聞きすぎて何がなんだかよくわからなくなっていた小娘は、ぼけーっと甘いカフェオレを飲みながらロビーの椅子で耳と頭を整理します。

ずっと弾きっぱなしだったので、左手はかすかにプルプルと震えているし、指先はジンジンと痛みます。
でも小娘は、すごく楽しんでいるのを自分で感じていました。できるならこのままずっとこうしてたい、早くメンバーにアンプだけの歪みの音も聞かせたい、ディレイも使いこなしてあの曲を早く完成させたい、とワクワクしています。

そこへ水道橋博士がまた珍しく声をかけてきます。

「ハム子ちゃん、アン直にしたの?」

え、なんでわかるんだこのおっさん…3階まで来て立ち聞きしてたのか…とギョッとしつつ、

「あ、はい…歪み上手く使いこなせなくて、いっそ外しちゃったらどうかなと思ってやってみたんです」

と答えると

「すごくいいよ、めちゃくちゃかっこいい、よく見つけたね。ハム子ちゃんの右手の良さがよく活かせてる。」

と水道橋博士。

すでに長時間のディレイとワンフレーズの繰り返しでトランス状態、絶賛興奮状態になっている小娘は、感情もジェットコースター状態です。
嬉しくてたまらなくて、また涙がぶわっと目にたまるのを感じます。

ですが、なんとなくこいつの前では絶対泣きたくない、と思う気持ちでなんとか堪え、「ほんとですか?ありがとうございます」

と言うと、

「ハム子ちゃん、ハム子ちゃんはいいギタリストだと思うよ俺も」

とニヤつきながら水道橋博士が言います。

なんかやっぱりこいつ嫌い、くそオヤジだよと思いながら笑って部屋へ引き上げます。

3時間みっちり試し、ようやくイメージ通りのディレイのセッティングをみつけ、ずれないようにテープで印をつけてヘロヘロになりながらロビーへ降りると、カウンターにはヴァンヘイレンがいます。

「お疲れ」

こちらに顔を向けた久しぶりのヴァンヘイレンは、こんなに老けたおっちゃんだったかなと思うほどくたびれて見えました。


「お久しぶりです」

とぎこちなさを感じながらカウンターへ向かう小娘。

昔ながらの黒い画面に緑で数字が表示されるタイプのレジの金額を確認して、お財布からお金を支払おうとします。

(ん…?500円?)

今日は2時間延長したので1500円のはずでしたが、おそらく水道橋博士との交代でうまく話が伝わっていないんだろうと思い、

「延長したんで3時間です」
と言うと、

「うちからのゴールド会員の特典だよ、おめでとう」

とヴァンヘイレンが金色のかたいカードを小娘に差し出します。

このスタジオは最初はペラペラの紙のメンバーズカードからスタートし1年ごとに更新していくシステムで、5年経つと金色のかたいしっかりとしたカードになり、永年更新料無料になります。

本来、こんな割引特典など勿論ありません。
これは完全に水道橋博士かヴァンヘイレン、はたまた両名の厚意であることは明らかです。

どうしたもんかと戸惑っていると、ヴァンヘイレンが続けて

「都内ばっかじゃなくて、うちでもたまにはやってよ。売れたらここ出身だって押すんだから」

なんとも言えない気持ちになって、小娘は思わず

「がんばります…本当にありがとうございます」
と涙ぐみながらまじめに答えます。

真面目か!と茶化されながらスタジオを後にして、疲れ果てた身体でちゃりにまたがります。

疲れすぎていて、このまま30分近く自転車で帰るのは無理そうでした。

浮いたスタジオ代でありがたく電車に乗って帰ろ、と、小娘はギターを背負いのそのそと、でも幸せな気分で駅へ向かって歩きだしました。

続く



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