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旅席にて

 集団行動でのルールを守る。

 守らないとみんなが困る、、、じゃなくて、自分が、怖い目に合う、、、かも?、今回はそんなお話です。

 ある日、私はいつも使う電車に乗り込んだ。始発ではないももの、十分に座れる混み具合であった。私は好みから、向かい合う4人席を探した。旅に行くようなその4人席を私は個人的に『旅席』と呼んで、ほのかに好んでいた。

 すでに旅席の窓際にはツンとすました(表現が昭和)20代くらいの女性が座っていた。向かいの2席は、いかにも不機嫌といった30代くらいの男性が、自分と自分の荷物で占めていた。自身は窓際にもたれかかり、荷物も大きくはないが、場所とりの如く散乱させていた。

 当然マナー違反ではあるが、その車両が満員という訳でもないので、その状況は誰にとっても特に問題では無かった。その旅席を選んだ自分ですら、他にも座席があったので、どうこう言う筋合いでもなかった。私はさほど気にもせずに、残りの1席に腰を下ろした。

 すぐに隣の女性が、向かいの荷物の男性と膝が触れ合わないような位置に座り直し、新参者の私に、自分たちの関係性を説明しようとする。視線はスマホからそらさずに、それでいて、なにかしらの不満があることが、隣の私からだけは見てとれた。自分はこの人とは無関係です。私も、マナー違反だとは思っていますし、男性としても嫌いです。ですが、何にせよ、注意を促すような関係でもないので、このままの距離を維持しようと思います。空気がそう伝えてくる。

 なるほど、私も同じです。気分的には決して良いものではありませんが、ただの移動時間のよくあるひとコマ。このままでいるべきでしょう。私もそう伝えるべく、ほんのわずかに隣との隙間を作り、軽い会釈で友好関係を確認した。

 電車は順調に進み、異様なほど快晴の景色が、乗客たちの会話を弾ませた。”荷物男”はそれらの声にうるさいぞと不満を言いたげに、やや荒々しいそぶりでスマホにイヤホンをつなごうと、絡まったコードをほどきにかかる。視界の隅に見えるその動作に「ちっ、テメェが言うな」と言わんばかに口元を歪ませる、ところどころガラが悪い女性。その様子を眺めつつも、唇フェチだと思われないよう、無意味なまばたきでごまかす私。

 電車は多少アクセスが良い駅に着く。降りる人、乗り込む人、スター不在のドラマ人間交差点が幕を開ける。満員の車両は、立つ人たちが目立ち始める。最後に、登山帰りといったパンパンのリュックを担ぐ50代くらいの女性が、息を弾ませ乗り込み、電車は再び出発した。

 リュックの女性は素早く荷物男を見つけ歩み寄り、どかせなさいよ、と視線を送るも、彼は明らかに見えていながら、眠っていて気づかなかったかのような演技に入った。しかも窓側に映る自分の顔に向かい、ブツブツとなにか不満気な文句をつぶやいている。これは無理だと確信したのか、リュックの女性は素早い判断で車両を移り、再び、われわれの旅席には静けさが戻った。

 しかし、小さな変化が起きた。荷物男が、若干、膝を伸ばしたのである。彼のジーパンのシワだまりが女性のスカートにかすかに触れたかに見えた。隣の女性は露骨に荷物男を睨みつけ、私にチラ見で援護を要請する。私は素早く若干の睨みを送り、同盟としての姿勢を示した。男はしばし対応を渋るも、やがて靴紐が気になったかのような仕草から、わからぬように膝を元の位置に戻した。

 そりぁ、そうだろう。2対1ではさすがに不利だ。加えて私の顔は無駄に怖い、悪人顔の典型だ。それに荷物男は、モラルがないというだけで、特に攻撃力があるわけでもないのだろうから。私は急に腹がたってきた。何にって、態度を変えたということにだ。

 眠っていて気がつかなかったというなら、その自身が決めたシチュエーションの演技を続けるべきなのだ。あなたは眠っていた、ならば膝を伸ばしたのは偶然、何を反省する必要がある?あなたは眠っていた人になりきれていない。荷物男は明らかに劇団オンディーヌのオーディションに落ちる存在だった。

 私はこの、変なポイントに妙に腹が立ち、やがて完全に思考を支配されてしまった。人は脳の2~3%くらいしか使っていないというが、この荷物男は、明らかに私の使っていない脳の数%を占めていた。

 考えれば考えるほど、腹わたが煮えくりかえってくる。荷物男は1人分の座席に荷物を広げている段階で、すでにマナー違反なのだ。膝がぶつかろうが、それを反省しようが何の違いもないのだ。ぶつからないように座れば紳士なのか、それで、われわれ側に加われるつもりでいるのか。もし、心を入れ替えるというのなら、今からでも遅くはない。すぐに荷物を上の網棚に乗せ、空いた席を、立っている数人に解放するのだ。

 しかし、荷物男は膝こそ元の位置に戻したものの、荷物を広げた座席の横で、また不機嫌な顔つきのまま、寝る演技へと入っていった。

 私は、ふと思った。この人なら、ある程度は不幸になっても、構わないんじゃないかと。。。

 おかしな話である。たかだか空いてる座席に荷物を置き、知らん顔をしたくらいの罪で、不幸になっても構わないとは、かなり極端な発想である。とはいえ、私が裁くという訳ではなかった。ただ、私がそう心の中で、思っただけなのである。もっと言えば、小さな念を送ったのである。荷物男よ、君は不幸になっても、いいんじゃないのと。

 まぁ、どれくらいの不幸か。もちろん生き死にではない。事故や重い病気、失業や借金などは論外だ。大事な時に、ちょっとチビっちゃうとか、それを好きな娘に見られるとか。。。新作のDVDをレンタルし、返し忘れるとか、しかもまたそれを借りて来てしまったとか。。。

 そんなことを想像してみる。というより、少し、具体的に念じてみた。
荷物男が、一生、高額の宝くじに当たりませんように。。。買う弁当が、常に棚で一番古いものを選んでしまいますように。。。どこに住んでも、自然と黒い恋人(ゴキブリ)が集まりますように。。。

 私は急に怖くなった。一体何を考えているのか。人を呪わば穴2つ。悪しき念は必ず自分に返ってくる。くわばらくわばら、エコエコアザラク。

 私は気分を変えようと視界を移し、何気にガラス越し景色を眺める。すると、当たり前のように荷物男が視界に入ってくる。

 しかし、この時に視界に入ったものはそれだけではなかった。席がないため立っている数人の、例えようもない嫌な表情が、ズラリと並んでガラスに映っていたのである。ある者は睨み、ある者はともに立つものに耳打ちをしている。それは向かいの4人席や、斜めの横並び席の座れている乗客までも含んでいた。気がつけば、かなりの人数が、荷物男に嫌な視線を注いでいたのだ。

 私は一気に怖くなり、何となく立ち上がり車両を変えてしまった。そこまでする必要があるかはわからないが、やり過ごすには気分が悪すぎたのだ。

 車両を変え、先ほどまでの旅席を思う。何かの偶然であの車両が監禁状態となり、やごて集団ヒステリーを起こした場合は、間違いなく、荷物男が最初の犠牲者となるだろう。。。

 また、何も起きなかったとしても、私を含めた数人が、今の段階ですでにマイナスの感情を注ぎ混んでいる。少なからず、通常のモラルのある人に比べれば、はるかに良くないことが起こりやすいはずだ。

軽い罪、不似合いに重めな罰。私は、気がついてはいないまでも、荷物男の今置かれている状況に少しだけ哀れみを感じつつ、集団行動でのルールは、最後に自分を守ると、あらためて思い知らされたのだった。。。

2017.9.19