見出し画像

98話 混沌が生まれる①

たったひとりの女性を見つめながら場内がざわつく様子は、生々しい中年男性独特のもので、同性の僕ですら気持ち悪さを感じたほどだった。
マスターは手に持ったマイクで、気合いの入った大きな声で言った。
「じゃ、シャンディさん、自己紹介からお願いします。おい、みんな、静かに聞けよ!!」
接客業としては若干問題ありのマスターの物言いでトークを求められたシャンディさんは、まずは身を乗り出し鼻息も荒く食い入るように注目する観客席へ、両手で「カモンカモン!」と自分への拍手をど派手にあおる事から始める。その堂々とした流れは、いかにもSHOWマンといった、落ち着き払った貫禄を感じさせるものがあった。

そして、ざわつきが収まるのを待ち、シャンディさんは話し始めた。
「え~と、シャンディで~す。まさか、こんな温かい拍手に包まれるとは。えぇ~、っと、では、軽く自己紹介をば、」
ここでの彼女の自己紹介は、実に手慣れたものだった。
シャンディさんはブルース好きのロックバンドのボーカルで、いつもは紅一点の男所帯バンドを率いているとの事で、むさ苦しい男集団にもまるで臆する様子もなく、軽快に自分の音楽活動を語った。
彼女は、革ジャンの下にやや薄手の派手めなTシャツを着ていて、その絵柄はどデカくエレキギターのアウトラインがデザインされたものだった。そんな格好をされては、そこに参加者達の注目が集まらない訳はなかった。
彼女はその視線に気が付き、さらに挑発的な発言を重ねた。
「あ、このシャツですか?アタシ、エレキギターが超好きで、特に、最近ブルースギターにはまってて。おかしいですかね?おかしいですよね?アタシ」
こんな言葉まで聞かされては、ブルースセッションに集まった客席のギタリスト達が放っておくはずもなかった。この段階から今までのジェントルな真面目ムードは一転し、店内は凶暴な野獣達のジャングルと化した。
この獣達は、非常に厄介な集団だ。これから目の前の獲物を奪い合うために、とりあえず自分達の「ギター・テクニック」を披露し合うのだろうから。しかも耳をつんざくようなかなりの「爆音」で。

マスターはこの異常事態を肌で察して、すぐに適切な処置を講じた。
「じゃあ、ギターはホストメンバーと、もう一人は、ちょっとロックっぽい若いので行こうか?」
これはホストメンバーならヒイキにはならないからという公的な理由。そして「ロックっぽい」「若い」という選択なら、オヤジ集団の中では「目の敵にはしないだろう」というマスターなりの采配だった。
これでステージはドラム、ベース、ホストのギターと若いギター、そしてボーカルのシャンディさんとなった。そうすると少々ステージが込み合ってしまうので、マスターは僕へも追加の指示を出す。
「じゃあ、ハープの広瀬君さぁ、悪いけど、ちょっと休憩な。いいかい?」
ほぼ出ずっぱりだった僕は、このマスターの判断に従ってステージを降りようとハーモニカをケースにしまい、ドリンクを手に持ち、一旦ステージを離れようとした。
するといきなり、シャンディさんがマイクで甘ったるい声を出し始めた。
「えぇ~っ、ブルースハープの人は残って下さいよぉ~。お願いしますってぇ~」
彼女のやや酒焼けをしたハスキーな声はBarという場にぴったりだった。そのまま彼女は、マイクを片手に慣れた様子で、女性らしいなめらかな動きで客席に向かって話し続けた。
「アタシ、今日すっごい驚いちゃってぇ、ブルースハープにぃ~。こんなに、ハープって、歌うんだなぁ~ってぇ~。アタシの中で、ハープっていったらミック(ジャガー)ひとりだったけどぉ、今日からは2人になったって感じぃ~」

店内の拍手は止まり、一気に嫌なヒートアップをし始める。
ここで、客席にいた誰からも僕への「無難な冷やかしの声」が出ないという段階で、自分のこれからの立ち位置が確定した。そう、今はっきりと、僕は参加者全員の「邪魔者」になったのだ。
マスターは特に考えも無しに、このシャンディさんの言葉に従った。
「じゃあ、広瀬君は、とりあえず残って。そうなると、手狭だね」
そしてこの後のマスターの判断が、この後の地獄を生む事になった。
「ならギターは、若いのだけで行くか。まぁ、ここは若いのに譲ってやろうぜ~、なぁ?ははは」
なんと手慣れたホストメンバーのギタリストではなく、若手の参加者の方を選んでしまったのだ。残された若手ギタリストは、口の内側からベロでほほを突き出し、照れた様子全開で、リーダーとなるシャンディさんに視線を移し、軽く会釈をする。
シャンディーさんは年上の女性っぽく、少々ふざけたような会釈を返し「イェ~イ♫じゃよろしく~。で、曲はですね、」と言い、そのまま楽しそうにメンバーへセッションの指示を始めた。打ち合わせの間、ドラムのマスターとベースの2人は、はち切れんばかりの笑顔だった。

僕の方も、とりあえずはハーモニカが褒められたからには、ある程度はソロを振られるだろうと、頭の中で個人的な作戦を立て始めていた。
(う~ん、あまり長いソロも良くはないし、かといってあまりテクニカルに演奏しても客席のギタリスト達ににらまれるだろうしな。意外にこれは、微妙で難しい判断だぞ)
僕はブツブツ独り言を言いながらシャンディさんとの打ち合わせで聞いた曲のKeyに対応するべく、ハーモニカのさまざまな「ポジション・チェンジ(ハーモニカKeyの方を持ち替える技法)」の準備をしておく。正直言って、まだ女性ボーカルとの演奏経験も少なかったので、あまりピンとは来ず、ある程度ハーモニカの合わせ方にバリエーション性を持たせておきたかったのだ。

打ち合わせを終え、マイクを片手で軽く包み込むように持ち直したシャンディさんは、客席側を一望しながら、セッション演奏の第一声を上げた。
「じゃあ、行こうぜぇ。ヘェイ!!」
そして指輪やアクセサリーだらけの手を、元気よく僕の目の前に伸ばして来た。
僕に顔を近付けたシャンディさんは「よろしくぅ!!ブルースマン!!ヒュ~♪」と言うと、独特の視線を送って来た。
対して僕は「はぁ、よろしく、お願い致します」と、会社でお得意先にするように、丁寧に答えるのだった。
この時、会場中の無数のギターのネックが、全てヤリのように、自分に向けられるのを感じた。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?